ダムや海、山、川、岬を巡るツーリングを通し関東を主に日本の風景を紹介します

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猟師工房にクマ肉を買いに行く

なんか雰囲気変わってた

デミグラスシチューとキョンカレー
デミグラスシチューとキョンカレー

今回は撮影をしなかったので写真はお土産のパッケージ。猟師工房ドライブインにクマ肉を購入しようとNC750Sでツーリングしましたが、前に来た時から比べると雰囲気が変わってました。

写真のパッケージでいうともともとキョンカレーの雰囲気だったのがデミグラスシチューに変わったというか…上品になって、価格も上品になってました。レジで話を聞くと猟師工房ランドは元々の香木原小学校跡の店に戻って独立したとのこと。

というわけで、香木原小学校跡の店に。

キョン@猟師工房(2022年10月)
キョン@猟師工房(2022年10月)

今回撮影しなかったので、古い写真ですが。

到着後はお店の話などを聞かせてもらいました。
・独立したのでランドの方は中小型獣中心でいければと思っている
・奥に解体場を整えて、より独立してやっていけるようにしたい
・タイワンリスもラインナップにはいるかも
・房総半島のキョンは台湾系で小さい(中国南部には大きい群がいるそうです)
・キョンの毛皮最高!でも、皮を剥いでなめして製品化するのは本職じゃないととても無理!(実際、しっとりした手触りは最高です。 管理人追記)
・鹿、イノシシは狙って取る人がいるがキョンは狙っている人がすくない
・でも、房総半島でかなりのペースでキョンが増えているのは間違いない
・小学生を招いて命の授業をやる予定
などの話を聞かせていただきました。こういう話が聞けるのが猟師工房ランドの楽しみです。

命の授業は管理人も受けてみたいな。

愛媛県3ダムツーリング 黒瀬ダム

赤いクレストゲートはどこかで見たような…

県道12号線から黒瀬ダム堤体を望む(2025年5月)
県道12号線から黒瀬ダム堤体を望む(2025年5月)

志河川ダムを後にして次に向かうのは帰途の国道194号線から県道12号線に入ってすぐの場所にある黒瀬ダム。黒瀬ダムは堤高61mで中型の重力式コンクリートダムです。赤い2門のクレストゲート(ラジアルゲート)が四国で昭和40年代から昭和50年代に竣功したダムの特徴?(鏡ダム大渡ダムなど)

ダムの目的はF(洪水調整)N(不特定用水)I(工業用水)P(発電)です。当初FNIでしたが、昭和50年代の水力発電ブームで昭和57年にPが追加されたそうです。(公式)

県道から直接堤頂上道路につながるダム

黒瀬ダム標識とNC750S(2025年5月)
黒瀬ダム標識とNC750S(2025年5月)

神奈川の城山ダムのような幹線道路ではありませんが、黒瀬ダムの堤頂も道路になっており自動車やバイクでも通行可能です。

黒瀬ダムを上流側から望む

黒瀬ダム堤体を上流左岸から望む(2025年5月)
黒瀬ダム堤体を上流左岸から望む(2025年5月)

手前に取水設備があり、奥に二門のラジアルゲートの上流側が見えています。かなり放水した状態で、雨が少なかったためにこのような水位になっているのか洪水のための事前放流かは分かりませんが、時期的には前者と思われます。

おかげでゲートが良く見えますが、これからの農繫期にかけて水不足にならないことを祈りましょう。

これでこのツーリングのダム巡りは終了。国道194号を高知県側に走って帰途につきます。往路の国道494号線に比べると圧倒的な快走路。途中には大橋ダム長沢ダムなどアクセスのよいダムがありますがおとなしく帰宅しました。

総走行距離267kmで燃費は33.1km/l。信号が少ないのですが、494号では流石に燃費は伸びません。

次回は、439号を走ります。

愛媛県3ダムツーリング 志河川ダム

国道11号線からすぐの重力式コンクリートダム

ダムアプローチの道路から志河川ダムを望む(2025年5月)
ダムアプローチの道路から志河川ダムを望む(2025年5月)

このツーリング、予定では次は黒瀬ダムでしたが、国道11号線を走っていると「志河川ダム」の標識を見つけたので急遽立ち寄り。あまり予定に拘らない管理人のツーリングはいつも「急遽」なのですが…。

国道11号線から南向きに山のほうに走るとすぐにまだ綺麗なコンクリートの堤体が見えてきます。堤高48.2mの重力式コンクリートダム。規模でいえば千葉県の片倉ダム保台ダムより少し大きい。ちなみに愛媛県の東部は降水量が少ないため千葉県に似て中小型のダムが散在しています。

目的は現状でAP(農業用水、発電)ですが主目的は前出の面河ダムの利水権がない冬季の農業用水です。(発電は最大49.9kWの小水力発電)このダム貯水量が少ないのが特徴ですが、逆に言うと比較的満水越流していることが多いようです。見てみたかった。

なお志河川の読み方は「しこがわ」です。

碑文が詩的なのは愛媛だから?

「志河の恵水」碑(2025年5月)
「志河の恵水」碑(2025年5月)

写真の「志河の恵水」。「しこのめぐみ」って読むんでしょうね。普通読めないと思います。やや詩的な印象があるのは、正岡子規の故郷愛媛県だから…か?

慰霊碑ではないのは良いことだ

志河川ダムの記念碑(2025年5月)
志河川ダムの記念碑(2025年5月)

古いダムでは立ち退きに協力した住民への記念碑と建設中に事故死した方の慰霊碑がしばしばありますが志河川ダムには見当たりませんでした。最近建築で安全に建設され事故がなかったものと思われます、よいことです。

導水構造がスタイリッシュだ志河川ダム

志河川ダム堤体前でNC750S(2025年5月)
志河川ダム堤体前でNC750S(2025年5月)

堤体を正面から見るとゲート類は隠れていて、左右の導水構造が非常に特徴的です。まだ新しい志河川ダム、これからも愛媛県の道前道後地方の冬季農業用水源として活躍していくことでしょう。(参考 冬の志河川ダム

次は3ダム目、黒瀬ダム。

愛媛県3ダムツーリング 面河ダム

面河ダムまでの道のり

管理人の実家から国道194号線を経由し、酷道で有名な439号を西向きに進みます。ただしこの区間はちゃんとした2車線で快走路です。そして494号線へ。橋を渡って集落の中を少し東向きに走った後、山に向かって登っていきます。当初はさほどではありませんが、山中を進むに従って酷道感が増します。

1車線道路で舗装はされているので危険は感じませんが、やや舗装が傷んでいる箇所では気を遣いました。また意外と交通量が多いので前からくる4輪車との待ち合わせは所々であります。

高知県側は渓流に沿って道路があり、所々で渓流に降りて風景を楽しめるのは楽しいものです。

面河ダムの役割は非常に大きい

面河ダム記念碑とゲート機械室(2025年5月)
面河ダム記念碑とゲート機械室(2025年5月)

面河ダムは四国愛媛県の石鎚山の西側、仁淀川水系割石川に建設されています。堤高73.5mの重力式コンクリートダムで規模的には中型のダムです。目的はAIPです。その役割は特に灌漑において非常に大きく雨量が少ない愛媛県道前道後地域に農業用水を供給しています。

戦後、愛媛県道前道後地方の安定的な灌漑を図るために計画されましたが、仁淀川水系の既得利水権はお隣で下流の高知県にあり交渉が必要でした。当初、目的にはW(上水道)が含まれ人道的な観点から概ね合意にこぎつけていました。しかし予算等の都合でこれがI(工業用水)に入れ替えられたことで高知県側は態度を硬化。結局両県の担当者の懸命な交渉でなんとか計画が進み始めたそうです。

なお「水徳洽豫州」は「水の徳、豫州を洽(うるお)す」と読みくだせます。豫州は愛媛県の旧国名伊豫のこと。うるおすをあえて「潤」ではなく「洽」としたのは「いきわたる」という意味を含んでいるからかと管理人は思ってます。

面河ダムは大変な工事を経て1967年竣工

面河ダム上流側から堤体を望む(2025年5月)
面河ダム手前駐車場の説明(2025年5月)

高知県側に流れる割石川をせき止めて愛媛県側に導水するには分水嶺を超える必要があります。このため石鎚山麓に導水用のトンネルを建設し愛媛県側の中山川などまで導水しています。

この導水は「虹の導水」と呼ばれ、これにより過去には水争いで死者が出ることもあった同地方の灌漑状況は大幅に改善されました。規模的にはありふれたダムですが、果している役割はとても大きいのです。
参考 面河ダム 虹の用水へ挑んだ人々 (読み物としても面白いです)

面河ダム天端の面河堰堤表示(2025年5月)
面河ダム天端の面河堰堤表示(2025年5月)

ダムではなく堰堤表記になっていることから古いダムであることがわかります。堤頂長は159 mで往復しても大した距離ではありません。左岸側に管理事務所があり、右岸側は…行き止まりです。

面河ダム天端から発電所を望む(2025年5月)
面河ダム天端から発電所を望む(2025年5月)

ダム下流には発電所がありますが、簡単に降りていくことはできません。むしろ国道494号線からは下流側が近く、ダム堤体にたどり着くには一旦国道494号線から県道153号方面に西進する必要があります。

険しい山中の難工事であったことは思い遣られ、実際ダムに直接ダンプカーでコンクリートなどの資材を運び込むのは困難で索道を張った循環バケットが使用されたとか…。

実際、多くのダムでは山の中でもある程度の道幅が確保されていることがほとんどですが面河ダムへのアプローチは建設当時大型車が行き来できる感じではありませんでした。(近年は改良されていると思われます)

面河湖(2025年5月)
面河湖(2025年5月)

面河湖です。風景を堪能して次の目的ダムに移動します。

次は志河川ダムです。

大山祇神社を目指して しまなみ海道→瀬戸大橋で瀬戸内海往復ツーリング

国道194号線を北上してしまなみ海道へ

途中の大橋ダムに立ち寄り記念撮影だけ。直後の高知ー愛媛県境の寒風山トンネルは歩行者・自転車が通行可能な日本一長いトンネルです。そして内部がその名の通り寒い。

四国ツーリングは海沿いを行く限り、この時期(ゴールデンウィーク)比較的暖かいですが、山間部は肌寒い場所も多く、特に寒風山トンネル内は寒いです。是非、一度通過して寒さを実感してください。(真夏は涼しい)

しまなみ海道を通過して大山祇神社到着

大山祇神社の鳥居の扁額は「大山積大明神」となっているのは以前のツーリング(しまなみ海道途中の風景などもこちらから)で紹介しました。本殿にお参りして、本殿の裏側を散策した後、今回の目的の宝物殿に向かいます。

船舶の巨大なプロペラが良く目立つ

料金を支払い国宝館に向かうと目立つのが巨大な船舶用プロペラ、勿論寄付者は今治造船。ただしこちらは併設の海事博物館。「海事」の名の通り海にあるものは魚類、貝類、海生哺乳類などの動物、海藻、海底から掘削された鉱物などなんでもあります。(こちらは国宝館の後に見学しました。)

国宝館、紫陽殿ともに撮影禁止なので

スケッチしてみました。大山祇神社の国宝館は多くの胴丸(鎧)を収蔵、その中でも瀬戸内のジャンヌダルクと呼ばれ有名な鶴姫が着用し大山祇神社に奉納したとされる「紺絲裾素懸威胴丸」(1500年頃)です。

現代の感覚(私が代表させてもらいます)で素直にみると「女性が付けていた」と想像するのが自然だと思います。右側のスケッチはその感じを伝えようとして周りの胴丸との対比を書こうとしたのですが…技量不足で止めてしまったもの。

無粋なことを言えば鶴姫の実在性に疑問がある上に、1500年頃の胴丸としては胸部が大きくウエストがくびれて大腿部・臀部にかけて大きくなる形式は特別「女性用」というわけではなかったとか…。

この胴丸は大袖がないので余計に周りの甲冑との差が引き立ちます。

こちらは平安時代の鎧

スケッチの出来栄えは生優しく見守ってください。こちらは時代をさらに遡り1190年頃作成の「紺絲威鎧・兜・大袖付」。全体的に非常に「凝った」作りになっていることが素人の管理人でもわかりました。

社伝では源頼朝の武将河野通信(かわの みちのぶ)が奉納したとされており、瀬戸内で展開された源平合戦で源氏についた河野に頼朝が下賜ものでは…との想像も…。(こちらのほうは可能性としてはある…か?)

この鎧、非常に立派でかつ大振りです。実際に着用して戦場を駆け回る…というよりも河野の権威を表すために使われたのでは?というのが管理人の感想です。

なお、大山祇神社の国宝館には多数の文化財が所蔵されていますが、平安時代から戦国時代までの胴丸・鎧類の収蔵数は日本で随一です。アクセスが難しい場所ですが目的地として訪問する価値があります。(管理人の感想です)

他にもたくさんの文化財があったのですが、とても一日の訪問で鑑賞できる量ではありません。後ろ髪ひかれつつ、海事博物館を軽く見学して帰途につきます。

帰途も今回のツーリングのテーマ

今回の目的地は大山祇神社の国宝館でした。もう一つ目標があって、しまなみ海道を四国から本州に渡って瀬戸大橋で四国に帰ってくるルートを走るでした。

しまなみ海道を渡り切って山陽道を走り瀬戸大橋方面に。瀬戸大橋の与島SAで降りて橋と讃岐富士を撮影。瀬戸大橋は本四三架橋では最も古いのですが、様々な形式の橋梁コンプレックスが見られるのが特徴です。(与島PAまでの動画)

目標を達成して走行距離約400km。NC750Sにちょうどいい距離のルートでした。いやー、また鑑賞にいきたい。

次回はダム。

この空を飛べたら …と思うXL883N?

わても飛んでみたいなあ… と思っている風情

飛行機を見て「わしも飛んでみたいなー」と思うXL883N
飛行機を見て「わても飛んでみたいなー」と思うXL883N?

1か月と2週間空いて、少し寒くなったので始動はどうかと思いましたが、渋いながらも無事スタート。

XL883Nのバッテリー充電を兼ねて都内某所にショートツーリング。たまたま飛行機が映りこんでいますが、XL883Nが飛行機を眺めているようにも見えます。

オイル染みも解決したようだ

XL883Nのエアフィルター(交換後)
XL883Nのエアフィルター(交換後)

前回エアフィルターを交換してごく短距離しか試走していませんでしたが、30km以上走った段階でもギヤボックス上のオイル染みも解消しました。新しいフィルターの色が目立ちます。

この日は環七を一周してツーリング終了。有人スタンドでの給油の時、レギュラーを入れられそうになり結構焦りました。あそこの給油所はもう使わない…かも。またバッテリーの様子を考えると今年中にもう一回、走るのが良さそう。

NC750Sと房総半島の風景(2)

自衛隊駐屯地裏の沖ノ島護岸の風景

館山航空自衛隊駐屯地裏でNC750Sと富士山( 2024年9月)
館山航空自衛隊駐屯地裏でNC750Sと富士山(2024年9月)

左奥に富士山が見えています。この向きが西北西。雲がなければ内房が見えるはずですが、霞んでます。

釣り人も登場

館山航空自衛隊駐屯地裏でNC750Sと富士山( 2024年9月)
館山航空自衛隊駐屯地裏でNC750Sと富士山(2024年9月)

沖ノ島護岸は釣りのメッカでもあります。この日はあまり釣れている様子はありませんでした。

見事なバルバスバウ

第三十五開運丸とNC750S(2024年9月)
第三十五開運丸とNC750S(2024年9月)

この船、第三十五開運丸という船で竣工は令和4年9月、ちょうど2年経過という新しい船です。480トンの漁船で、主に旋網でとれた魚を港まで運んで水揚げする運搬船です。製造したのは長崎造船株式会社。この造船会社のHPを見るとこのタイプの船の製造が得意のようです。なお「旋網」は「マキアミ」と読みます。

奥に館山城、手前の釣り人が並んでいるのが館山港

NC750Sと館山港、館山城(2024年9月)
NC750Sと館山港、館山城(2024年9月)

館山城は模擬天守です。管理人、ダムだけではなく属性もありますが再建天守、模擬天守には今一つ魅力を感じられず…通過しました。なお館山港は漁港ではなく旅客・工業港として使われています。漁港は前回写真掲載した、館山湾北側の船形港が中心となっていて役割分担がはっきりしています。

国道410号の合流の一時停止は…

野島埼灯台とNC750S(2024年9月)
野島埼灯台とNC750S(2024年9月)

見落としたら高確率で捕まります。というか、捕まりました。下り坂で前に海が広がり、国道410号も見通しが良いので一時停止を見落としやすいです。聞いたところ、房総半島南端部国道410号への合流T字路かなりの確率で一時不停止の取り締まりをやっているそうです。皆さんもお気をつけあれ。

帰りは鴨川に抜けて、猟師工房に寄って鹿のスペアリブを購入して帰途につきました。

NC750Sと房総半島の風景

港とバイクの風景は相性がいい

内房某港からNC750S、横須賀発電所、富士山
内房某港からNC750S、横須賀発電所、富士山

横須賀の三本煙突はなくなりましたが、最新鋭の発電所が建設されて稼働中。奥には富士山。内房の定番の風景です。

フェリーにも一度は乗らなければと思う

金谷フェリー港から富士山、横須賀発電所、東京湾フェリーなど
金谷フェリー港から富士山、横須賀発電所、東京湾フェリーなど

神奈川県の横須賀と千葉県の金谷を結ぶ東京湾フェリー。一度は乗ってみたいけど、未だ果たしていないなあ。

カツオ漁を支えるのはこの船か?

船形港の網船とNC750S
船形港の網船とNC750S

高知県出身の管理人、カツオをよく食べます。カツオといえば一本釣りです。針を海に入れれば釣れる…というものではなく魚群を探して生き餌を入れて海水を水面に打ち水してカツオを捕食モードにしてから釣るという手順が大変な漁です。

その重要な要素は活きのいい生き餌。どうやら最高の生き餌を確保するのがこの船の役割のようです。近年では生き餌だけでは経営が大変なので多少の多角化はしているようですが…。美味しいカツオのために応援します。(届くか知らんけど)

続きは次回。

しまなみ海道ツーリング(大山祇神社編)

〇〇〇〇による社名柱

〇〇〇〇による題字ーおそらく再建(2024年5月)
〇〇〇〇による題字ーおそらく再建(2024年5月)

大島(愛媛県)から大三島に渡って大山祇神社へ。

大日本総鎮守ですよ。日本全部任せろってこと。この字は有名な元総理大臣の手によるもの。「大日本」の時代の人で…過去にお札にも…分かったかな?正解はこの記事の最後で。

大山祇神社参道正面(2024年5月)
大山祇神社参道正面(2024年5月)

鳥居と参道の正面です。鳥居の向かって左側に上の社名柱が見えています。そして鳥居にかかっている扁額は↓

日本総鎮守 大山積大明神の扁額

「日本惣鎮守 大山積大明神」の扁額(2024年5月)
「日本惣鎮守 大山積大明神」の扁額(2024年5月)

社名柱と扁額の違いが興味深いですね。大日本⇔日本、総鎮守⇔惣鎮守、大山祇⇔大山積。何故だ?

大山祇神社の拝殿の様子

大山祇神社拝殿の様子(2024年5月)
大山祇神社拝殿の様子(2024年5月)

大山祇神社の由来は古く719年に現在の場所に遷座されたそうですが、拝殿や本殿は室町時代に再建されたものとのこと。(公式サイト

もちろん屋根は葺き替えられていますが、古さを感じさせません。

大山祇神社の本殿を裏から

大山祇神社本殿を裏から(2024年5月)
大山祇神社本殿を裏から(2024年5月)

神社によっては拝殿、本殿の周りに道があってその所々に小さな社があるケースが割とあります。大山祇神社もその一つで、一つ一つのお社をお参り…したかったのですが時間の都合で省略。

斎田も文明の利器で

大山祇神社の斎田(2024年5月)
大山祇神社の斎田(2024年5月)

由緒のある大山祇神社では古くから斎田のお祭りが続けられているそうです。その旧暦5月5日の御田植祭、旧暦9月9日の抜穂祭で奉納されるのが有名な「一人相撲」。見てみたいですが、多分とても人が多いのでしょう。

正解は伊藤博文公

題柱の裏側(2024年5月)
社名柱の裏側(2024年5月)

社名柱の文字は伊藤博文公によるものでした。

宝物殿もとても見たかったけど

多々羅大橋を大三島の岸壁から望む(2024年5月)
多々羅大橋を大三島の岸壁から望む(2024年5月)

残念ながら時間と体力切れ。予定していなかった大島(愛媛県)の見所が意外と多く時間をかけてしまい、大山祇神社をじっくり楽しむ時間が取れませんでした。加えて至近の駐車場が満車でちょっと歩いたところに止める必要があったので歩き疲れたのもあり、後ろ髪をひかれながら帰途につきました。

是非再訪したい場所がまた増えてしまいました。この回これで終わり。次回は…ナニニシマスカ。

中筋川ダムツーリング(前編)

高知県道21号線(土佐清水宿毛線)

大半夏?の若芽と仏炎苞(2024年5月)
大半夏?の若芽と仏炎苞(2024年5月)

アクセスが大変とされる高知県西部ですが、管理人にとっては出生地・幼少期過ごした場所でもあり、母の出身地でもあるのでなじみ深い場所です。その当時はダムに目覚めていなかったので、今回「中筋川ダム」にダムツーリング。

ただし今回別に予定があった上にタイトルの「高知県道21号線」がなかなか魅力的で駆け足の取材でした。上の写真は県道の大半夏カラスビシャク?です。関東地方にも分布しているらしいのですが奥多摩では見たことが…ありません。

トンネルを抜けるとダムだった

高知県道21号線から見る中筋川ダム(2024年5月)
高知県道21号線から見る中筋川ダム(2024年5月)

高知県道21号線の土佐清水側(下ノ加江)からアプローチすると林道っぽい道が続きます。国道56号線の合流近くに中筋川ダムはあります。単にダムにアプローチするだけなら国道からのアプローチの方が圧倒的に早いです。

なお国道56号線の南(地名 平田)にダムがあり、北は芳奈(よしな)という場所。ここが母、祖母一族の出身地。

NC750Sと中筋川ダム(2024年5月)
NC750Sと中筋川ダム(2024年5月)

中筋川ダム諸元

中筋川ダムを展望所から望む(2024年5月)
中筋川ダムを展望所から望む(2024年5月)

詳しくはこちらで。中筋川は渡川水系に属していて有名な四万十川の主な支流の一つ。下流の中村で合流します。

中筋川ダムは降水量の多い高知県西部地方で洪水を防ぐことを主目的としてFNAWIの多目的ダムです。形式は重力式コンクリートダムで堤高73.1mの下流側堤体に設置された段状の構造が特徴的です。

この構造は深城ダムの減勢工下流にも似ていて、デザイン的には美しく越流時には減勢工の役目も果たすようですが「ゴミが溜まりやすい」という弱点もあるとか。

中筋川ダム堤体正面

NC750Sと放流中の中筋川ダム(2024年5月)
NC750Sと放流中の中筋川ダム(2024年5月)

中筋川ダムの堤体正面はダムサイトから県道21号線を国道56号線方向に少し北上した場所にある管理用道路からアクセスできます。特に施設はありませんが、堤体正面直下からダムを愛でることが出来ます。

2門の常用吐きゲートと自然越流式のゲートが良く見えます。確かに自然越流している様子は見ものと思われます。(が、そんな洪水時は立入禁止でしょう。)

まだまだ見どころがありますが予定の時間をオーバーし、後ろ髪をひかれながら次の目的地、土佐清水に向かいます。

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