ダムや海、山、川、岬を巡るツーリングを通し関東を主に日本の風景を紹介します

月: 2022年10月

南相木ダムツーリング 帰途編

御巣鷹山トンネルは一般車通行禁止です

御巣鷹山トンネルとNC750S(2022年10月)
御巣鷹山トンネルとNC750S(2022年10月)

御巣鷹山トンネルは南相木ダムと上野ダムを結ぶ最短経路と思われますが一般車両通行禁止です。google mapだとトンネル名だけがあって道がない状態になっていますが、こういう事情があってのことです。トンネル名の表記があったと思われるトンネル上部にプレートの跡が残っています。

御巣鷹山トンネルのプレートとNC750S(2022年10月)
御巣鷹山トンネルのプレートとNC750S(2022年10月)

現在では東京電力関係者が南相木ダムと上野ダムを結ぶ水路(水管?)のメンテナンスを行う目的で使用されているものと思われます。JAL123便の事故で有名な御巣鷹の尾根や昇魂の碑は御巣鷹山トンネルとは尾根を挟んで反対側に位置し、南相木ダム側からはアクセスできません。

この後、比較的近くに見える県道2号線(川上佐久線)経由であちばけダムに向かうことにしましたが…。結構遠いです。馬越峠辺りは狭い場所も多く木々が道に迫っていて晩秋の夕方は薄暗く少し心細い。とはいえ、川上村に下ってくると風景が開けます。

農業用スプリンクラーの攻撃にさらされ

清川村の農業用スプリンクラー(2022年10月)
清川村の農業用スプリンクラー(2022年10月)

濡れました。農業用スプリンクラーが動作している様子ですが、写真右側光の反射で光っているのは一般道です。管理人も通過するのですが、バッチリスプリンクラーの攻撃を受けました。動画はこちらからご覧ください。

あちばけダムは阿知端下ダム

あちばけダム(2022年10月)
あちばけダム(2022年10月)

あちばけダムは脱ダム宣言の頃に建設された主目的が砂防のダムです。比較的規模も大きいので農業用水とかにも使っていそうですが?分かりません。2022年10月現在、マイクロ水力発電を行うべく発電所建屋と流路変更の工事が行われていました。やや拍子抜けしましたがそろそろ本格的に帰途につきます。

全行程460kmを超えるので途中で給油します。給油の時にNC750Sの給油口を見せた時のガソリンスタンドのオジサンの反応が面白かったです。バイクに後ろから給油するのは初めてだったそうで…。

浅間山の夕焼け

浅間山を佐久から望む(2022年10月)
浅間山を佐久から望む(2022年10月)

帰りは国道141号線まで戻り途中から中部横断自動車道で道の駅ヘルシーテラス佐久南へ。道の駅は通り過ぎて浅間山が見える場所で撮影を。この辺り、ある事情で少し土地勘がありますが、今となっては言う甲斐もなし。

とはいえ、風景は最高。中部横断自動車道に戻り上信越自動車道→関越自動車道→環八の長旅です。急いでも仕方ないのでペースを守って走りました。関越嵐山、高坂で少し渋滞したもののまずまず順調に帰宅。とはいえ、自宅に戻った時には完全な夜間走行でしたが…。

次回は番外編を予定しています。

南相木ダムツーリング ダム天端編

南相木ダムは天端も白い

ちょうちょやま、歌碑、ダム名碑(2022年10月)
ちょうちょやま、歌碑、ダム名碑(2022年10月)

ちょっとした公園のように整備されていますがすべてが石灰岩推しで白いです。手前の不思議な造形のオブジェクトは「ちょうちょやま」と名付けられています。その右側、ちょうちょやまに少し隠れているのが丹治富美子さんの歌碑part2。

「おもかげを だきてのぼれば 何処より 彩美しき 蝶のまいきぬ」

が彫られています。その左にダム名碑です。

ウズマク広場が小さく見える

南相木ダム天端からの風景(2022年10月)
南相木ダム天端からの風景(2022年10月)

天端から下流側(ほぼ西向き)をみると先ほどのウズマク広場が堤体麓に見えます。奥にとがって見えているのが男山。さらにうっすらと八ヶ岳の稜線が見えています。硫黄岳、赤岳付近と思われます。

南相木ダムのダム湖は奥三川湖

奥三川湖(2022年10月)
奥三川湖(2022年10月)

南相木ダムのダム湖は奥三川湖と名付けられています。三川は地名で、更にその由来は三つの川が合流する谷間だったことからか?地図上では三川という川の名前も確認できるので…ちょっとよくわかりません。ご存じの方がいらしたら是非コメントお願いします。

上野ダム湖に繋がる導水口は見えません

奥三川湖の導水ロ近く(2022年10月)
奥三川湖の導水ロ近く(2022年10月)

揚水発電の上池に使われる奥三川湖ですから下池への導水口があるはずですが通常は水面下にあって見えません。多分上の写真の水中にあるはずです。この導水口から上野ダム湖までトンネルを通して繋がっています。トンネルのある山の名前は「御巣鷹山」。はいJAL123便で有名なあの山です。

ダム天端左岸側のモニュメント

南相木ダムのタイヤモニュメント(2022年10月)
南相木ダムのタイヤモニュメント(2022年10月)

ダム天端を渡って左岸側にはダム建設時に使用した90t積みダンプのタイヤがモニュメントとして残っています。大きさが分かりにくいですがタイヤの直径が2.6m、重さは1.3tです。逆光で見えにくいですがBRIDGESTONE製です。

そして帰途へ

南相木ダム天端とNC750S(2022年10月)
南相木ダム天端とNC750S(2022年10月)

最後にNC750Sをダム天端の様子と合わせて記念撮影。車止めにある看板に奥三川湖周回遊歩道の文字が見える通り湖全体を歩いて周回することが出来ます。1周5.3kmの記載もありますね。トレッキングにはちょうど良い距離だと思いますが、これから東京に帰らないといけない身。途中で寄りたい場所もあるので南相木ダムを後にします。

次回は帰途で撮影した写真など。

南相木ダムツーリング ウズマク広場編

ウズマク広場のウズに登ってみる

ウズマク広場のウズとダム堤体(2022年10月)
ウズマク広場のウズとダム堤体(2022年10月)

流石にダム堤体は登らないように立ち入り禁止ですがウズマク広場は徒歩で自由に歩けます。Wikiによるとウズマク広場は自動車侵入可と書いていますが2022年時点で車両止めが設置され侵入不可です。ご注意を。

白いダム堤体が特徴的な南相木ダムですが、これはこの近隣でとれる石灰石を使用して建設されたためです。ウズマク広場の各所にも使われていて印象的です。

大スロープの洪水吐

南相木ダムの洪水吐(2022年10月)
南相木ダムの洪水吐(2022年10月)

南相木ダムの洪水吐はウズマク広場から良く見えます。一直線のスロープで下流側に減勢工があります。洪水吐から流れた水は南相木川に合流します。

南相木ダムはもともと南相木川が流れていた谷に水を貯めていますが、ダム建設時に南相木川はトンネルを通じて下流に流されるようになっています。つまり南相木ダムのダム湖の水は洪水吐を通過する以外、南相木川に通常は通じていません。

ではダム湖の水は…揚水発電の下池側の神流川の水です。南相木川の慣行利水権に配慮してこのような設計になっているとか。確かに南相木川沿いには滝などの景勝地が多くそのような判断に至ったことも首肯できます。

石灰岩の歌碑

丹治富美子さんの歌碑(2022年10月)
南相木ダムの洪水吐(2022年10月)

ウズマク広場の傍らに丹治富美子さんの歌碑があります。「悠久の時経し石の フィルダムは 造りし人の魂と輝く」が刻まれています。自然を称えつつも、それをいくらか奪いながら生きていく人類の営みに厳しくも同情する視線を忘れない氏の考え方が出ている歌のように思われます。(管理人の見方ですが詳しくないので違ってても怒らないで下さい。)

白石のダムの麓のウズの上 青空向けて一叫びする

ウズの天辺から見る風景(2022年10月)
ウズの天辺から見る風景(2022年10月)

影響されて一句読んでしまいました。ウズマク広場のウズの天辺から見た風景です。奥に見えるのは男山の稜線か?青空の爽快さに思わず一叫び。何を叫んだか…意味のある言葉ではありませんがストレス解消。

ウズマク広場を後にして

NC750Sと南相木ダム堤体+洪水吐(2022年10月)
NC750Sと南相木ダム堤体+洪水吐(2022年10月)

ダム堤体と洪水吐が良く見える場所にNC750Sを停めて記念撮影。NCの赤、周りの緑、空の青。光の三原色ですね。合わせてダム堤体の白になっていますね。狙って撮影したわけではないですが…。

次回はダムの天端の様子。

南相木ダムツーリング 到着まで編

10月に入った某日。東京は今一つさえない天気ですが、山梨県北から長野県南にかけては好天の天気予報。そこでこれまで行ったことのない南相木ダムに行くことにしました。琴川ダムが自然流入ダムで日本一高い場所にありますが、揚水発電の上池を含めると南相木ダムが日本一。今のうちに行かないと寒いですからね。

が、中央自動車道が調布入口から渋滞。先が思いやられましたが、八王子からは渋滞解消し韮崎ICまで。そのあとは国道141号線を北上します。

道の駅 南きよさと の青空

道の駅南きよさとの青空(2022年10月)
道の駅南きよさとの青空(2022年10月)

昼頃には南相木ダムに到着したかったのですが、渋滞の影響で遅れ。結構手前の道の駅南きよさとで昼食にします。それにしてもなんときれいな青空でしょう。国道141号線から少し入ったところに野辺山宇宙電波観測所がありますがやはり澄んだ空気がポイントなのでしょうね。

道の駅南きよさとからは富士山も見えます

道の駅南きよさとの風景(2022年10月)
道の駅南きよさとの風景(2022年10月)

道の駅南きよさとの風景です。池を作って周りは散策路になっています。池には渡り鳥が何羽か浮かんでいました。手前に見えている稜線は斑山(まんどりやま)と思われます。そしてその奥に富士山が頭をのぞかせていました。

佐久往還(国道141号線)は山の風景が素晴らしい

NC750Sと赤岳、槍ヶ岳、蓼科山(2022年10月)
NC750Sと赤岳、槍ヶ岳、蓼科山(2022年10月)

佐久往還(国道141線)の東側には男山、西には上の写真の赤岳の連峰。澄んだ空気とよく晴れた青空に相まって山々の風景が美しい。渋滞も信号も少なく夏場のツーリングコースとしては最高です。ただし冬はとても寒いでしょう。

ウズマク広場から南相木ダム堤体を望む

ウズマク広場から南相木ダム堤体を望む(2022年10月)
ウズマク広場から南相木ダム堤体を望む(2022年10月)

南相木ダムは佐久往還から東に入り南相木川に沿ってかなり上流に昇った場所にあります。地図で見てもわかる通りかなり距離はありますが、ところどころに名所の滝やそれらを目当てにした観光客を受け入れる旅館などがあり走っていて不安になるような感じではありません。

とはいえ、ダムに近づくにつれて人の気配は少なくなってきます。ウズマク広場方面の標識に従って進むとまず洪水吐の急スロープが見えてその奥に白亜の南相木ダム堤体が見えてきます。

ウズマク広場は特徴的

ウズマク広場の案内板(2022年10月)
ウズマク広場の案内板(2022年10月)

南相木ダム堤体の下流側はウズマク広場として整備されています。なんというか渦をテーマに設計された公園で渦部分も流れ部分も自由に立ち入れるのですが…なんとも個性的な公園です。

次回はウズマク広場から南相木ダム周辺を愛でます。

近場ツーリングー利根大堰編

古墳群公園から利根川に向かうとそこが利根大堰

古墳群公園から利根大堰までは県道306号線を北上します。この経路は多くの場所で武蔵水路に沿っており、武蔵水路の様子を眺めながらの移動です。田舎の水路とは異なり、かなり大規模でかつ開放水路なのでこれはこれで見ものです。(撮影しておけばよかった)

利根大堰は埼玉県道20号線が通過しています。この道路結構な幹線で交通量もかなり多いです。更にこの日は堰の上で大型トラックが故障で立ち往生。片側交互通行で大渋滞になっていました。右岸側から左岸にわたって撮影できそうな場所へ。なお右岸は埼玉県、左岸は群馬県で県境にもなっています。

利根川大堰を左岸上流から望む(2022年9月)
利根大堰を左岸上流から望む(2022年9月)

左岸上流の堰が見えるところから撮影した利根大堰。よくみると、水面にボートのコーナー浮きが浮いているのが見えます。このあと4艇のボートが走行していました。どうやらアマチュアボートレースが盛んなようです。

左岸下流側は立ち入りが大変

利根川大堰左岸の砂地から(2022年9月)
利根川大堰左岸の砂地から(2022年9月)

もうすこし水に近いところで撮影できないかと考え左岸下流側に移動しますが行き止まりになります。ただし釣り人?が歩いた踏み跡がしっかり残っていて立ち入っていくと左岸の砂地にたどり着けます。

好きずきの蓼かと思いましたが…

利根川大堰左岸砂地のイヌタデ(2022年9月)
利根大堰左岸砂地のイヌタデ(2022年9月)

蓼の仲間が生えていました。場所柄蓼食う虫も好き好きのタデ(ヤナギタデ)かと思いましたがどうやらイヌタデのようです。両種にていますがイヌタデはピリッとする蓼の風味がなくあまり役に立たないことから「イヌ」タデと命名されたとか…。可愛らしい花ですけどね。

利根大堰を見るのは右岸がお勧め

利根大堰とNC750S(2022年9月)
利根川堰とNC750S(2022年9月)

左岸は川に近づくのが大変なうえに見所があまりありません。利根大堰は右岸からみるのがお勧めです。堰は2段構えになっていて写真右側で水が白く流れているところは消波ブロックが斜面状に組まれて上流側に水が溜まるようになっています。更に写真左側の堰で水を堰き止めて水位を確保するようになっています。

利根川はサケの遡上の南端

利根大堰付近の禁漁表示(2022年9月)
利根大堰付近の禁漁表示(2022年9月)

利根川はサケの遡上の南端です。古くはサケ漁も行われていたそうですが、昭和30年代には激減。同じ時期に関東地方の大渇水「東京砂漠」の発生があり利根大堰が計画され、昭和40年代初頭に堰が運用開始になりましたがその頃はサケに関しては多分壊滅的な状況だったのではないかと想像。

遡上は10月から始まることが多いが…

利根大堰の魚道(2022年9月)
利根大堰の魚道(2022年9月)

昭和57年から放流事業が始まり10000尾を超える遡上があった年もありましたが、現状では観測が困難なほどに激減。全国的にサケが減っていることもある上に南限の利根川は水温が少しでも上がると遡上したくなくなるのかもしれません。今年はどうでしょう。

なおサケの禁漁期間は1月1日から12月31日…全面禁漁です。また2010年ごろは遡上数も多く、遡上の様子を観察できる魚道観察設備がありますが2022年9月時点で閉鎖されています。(廃止ではないので復活してほしいですね)

利根大堰のゲート

利根川大堰のゲート(2022年9月)
利根川大堰のゲート(2022年9月)

利根大堰のゲートを右岸から見るとこんな感じです。水が流れている奥のゲートと手前で高さが違います。ゲートの途中で上部が折れ曲がることで高さが調整できるようになっているようです。

利根大堰の機械室群

利根川大堰の右岸上流から機械室を望む(2022年9月)
利根川大堰付近の禁漁表示(2022年9月)

番号が振られている機械室が規則正しく並んでいるのはなかなかの壮観です。橋脚と機械室の基礎部分は共用する構造になっているのが分かります。

利根大堰の取水口から樋管→各用水への分岐

利根川大堰の取水口(2022年9月)
利根大堰の取水口(2022年9月)

堰で堰き止められた水を取水口で取水して

須加樋管のゲート(2022年9月)
須加樋管のゲート(2022年9月)

堤防の下を水を通す樋管を通って

各用水路への分岐点(2022年9月)
各用水路への分岐点(2022年9月)

各用水に導水されます。写真左から邑楽用水路、埼玉用水路、武蔵水路、見沼代用水路と書かれています。この分岐の水量を見ていると関東地方で使用されている上水道、農業用の水の膨大さが思いやられます。

利根大堰編はここまで。ここから往路の渋滞を鑑みて経路を変更して東京に帰ることにします。利根川に沿って北西向きに走り、関越自動車道本庄児玉ICから練馬まで走り環八で自宅近辺まで。

この日は走行距離は短かったものの歩いた距離が長かったので少々疲れました。がそれだけに充実したツーリングでした。

次回は日本一のダムへ。

近場ツーリングー埼玉古墳群編

9月某日、少し疲れもありあまり遠出する気分にならず、でもどこかには出かけたい気分。そこで利根川大堰に行ってみることにします。

利根川大堰は環七から国道122号線で向かうのが最短で、この経路を選択しましたがこれは失敗。都心から蓮田までの区間はE4東北自動車道の出入り口が複数あるために自動車道に比べてキャパシティの小さい国道側はとても渋滞します。今後は近寄るまいと心を決めて進むと加須あたりから「埼玉古墳群」「忍城」「古代蓮の里」などへの標識が立っています。

のぼうの城で映画化されていた「忍城」に向かうことにしましたが、その手前に埼玉古墳群があったのでそちらに先に寄ります。

埼玉古墳群は「さきたま古墳公園」として整備

されています。また比較的近隣の水城公園と忍城を合わせた「ぎょうだ歴史・文化の旅」コースや古墳を巡る「ぎょうだ古墳巡りの旅」コースなどが紹介されていて、歴史の町として行田市をアピールしています。さきたま古墳公園はその両方の拠点ともいえます。

駐車場でNC750Sと公園案内図(2022年9月)
駐車場でNC750Sと公園案内図(2022年9月)

駐車場から古墳群方面に歩きます。古墳がそれなりに大きいので古墳群を歩くのは結構な運動になります。

石田堤と丸墓山古墳(2022年9月)
石田堤と丸墓山古墳(2022年9月)

丸墓山古墳につながる小高く盛り上がった小路は豊臣秀吉配下の石田三成が忍城を水攻めにするために築いた「石田堤」の一部です。「堤」=堤防の印象とのぼうの城で築いていた「堤」が結構高かったのでもっと高さのあるものをイメージしていました。当時のものがそのまま残っているわけではないでしょうが、さほど「高い」わけでもなかったようです。

奥は丸墓山古墳。てっぺんに石田三成が陣を張ったとか。

昭和14年に史蹟として一度整備

昭和14年の埼玉村古墳群碑(2022年9月)
昭和14年の埼玉村古墳群碑(2022年9月)

されたようで、その当時の石碑が立っています。(もちろん新しい石碑もたっています。)内容をかいつまんでみると「この地域は古来から人口稠密で栄えていて古墳も多く残っている。昭和13年には周辺の9基の古墳を合わせて古墳群として文部省の指定を受けた。丸墓山古墳は豊臣秀吉がこの地域を制圧しようとしたとき派遣した石田三成が陣を張った… 云々」です。

昭和13年は皇紀2600年。日本の歴史を掘り起こし国民の意識向上の意図もあったか?と勘繰りますが、年号は昭和で記されているので勘繰りすぎか?

丸墓山古墳から忍城方向を望む

丸墓山古墳から忍城を望む(2022年9月)
丸墓山古墳から忍城を望む(2022年9月)

丸墓山古墳から忍城方向を見たのが上の写真。肉眼では復元天守がギリギリ確認できるくらいです。(年齢のせいで視力が落ちた…)確かに水攻めにしたくなるほど平らな土地です。が、かなりの広さがあり、管理人の印象だと「水攻めするには広すぎないか」でした。

丸墓山古墳から稲荷山古墳を望む(2022年9月)
丸墓山古墳から稲荷山古墳を望む(2022年9月)

左手前が稲荷山古墳、右奥が将軍山古墳です。稲荷山古墳は前方後円墳ですが全方部が昭和12年に干拓工事用の用土として使用されてしまいました。現在では残っていた写真などを基に復元されています。昭和13年の史蹟指定は更なる破壊を危惧したのかもしれません。

稲荷山古墳の発掘後の展示

稲荷山古墳石榔の復元図(2022年9月)
稲荷山古墳石榔の復元図(2022年9月)

稲荷山古墳は115文字という多くの文字が象嵌された鉄剣が出土したことで有名です。古墳に上ることができて、鉄剣出土の石榔の配置が写真のように展示されています。

石榔に加えて粘土榔もあってこの古墳が複数人を埋葬したものであろうことが分かっています。更にこの二つの埋葬跡の配置から考えて中央部に埋葬された中心人物がいることが予想され、実際まだ発掘されていない遺跡がある模様です。そうであれば、埋葬者の真上を歩いていることになりちょっと「ごめんくださいね」って感じもします。

将軍山古墳は小型の博物館として整備

将軍山古墳(2022年9月)
将軍山古墳(2022年9月)

されています。入場料はメインの博物館である「さきたま史蹟の博物館」と共通で大人200円。安価なので内容が大したことないのではないかと思われるかもしれませんが、絶対そんなことありません。自信をもってお勧めできます。

将軍山古墳の埋葬状態の復元

将軍山古墳の埋葬復元(2022年9月)
将軍山古墳の埋葬復元(2022年9月)

優れているなあと思ったのが古墳内部で埋葬石室内部を再現展示している点です。乗馬の将軍復元像を見た後、階段を上がっていくとこんな感じで再現石室が現れます。かなりリアルでドキッとします。

ただし、かなり復元時に要素は追加されていて実際の出土品は金属製品と土器のみだったようです。遺体や木などの有機物は分解されていたそうです。

埼玉県名発祥之碑

埼玉県名発祥之碑(2022年9月)
埼玉県名発祥之碑(2022年9月)

大きな碑の右に埼玉県の名前の由来が書かれています。内容をかいつまんでみると、埼玉という地名は律令制の最初期(726年)には存在していたことが確認されていて埼玉、前玉(さきたま)などと記載されていました。古墳群内に古来から前玉神社があることからこの地名の表す地域の中心がこの周辺だったと考えられます。

埼玉県の成立は明治になって埼玉県と入間県が設置されいくつかの変遷を経て明治9年に現在の埼玉県の県域ができたとのこと。

さきたま史蹟の博物館はなかなか良い

鳥形埴輪(2022年9月)
鳥形埴輪(2022年9月)

古墳群で出土した出土品を展示しているのがさきたま史蹟の博物館。この博物館「フラッシュは禁止だが撮影はOK」という嬉しい展示方針です。埴輪、鉄剣、馬具など様々な出土品がありますが管理人のお気に入りは可愛らしい顔の鳥形埴輪。

稲荷山古墳出土鉄剣の実物も展示!

稲荷山古墳出土鉄剣(2022年9月)
稲荷山古墳出土鉄剣(2022年9月)

そして有名な稲荷山古墳出土金錯銘鉄剣の実物が展示されています。金象嵌の文字は現在でもきれいに判読できてかなり感動します。この鉄剣の出土で「獲加多支鹵(ワカタケル)」と示されおり、第21代雄略天皇(若健、幼武 ともにワカタケルとよめる)の実在が強く支持されるようになったのは有名です。

この鉄剣「辛亥年」(=471年)に制作されたと書かれていて、1550年前のもの、それに書いた文字をいま自分の目で読んでいると思うと感慨深い。ぜひ実際にいって鉄剣の金文字を目に焼き付けてみてください。感動請け合いです。

そろそろ目的地へ…

駐車場でNC750Sと公園案内図(2022年9月)
駐車場でNC750Sと公園案内図(2022年9月)

最初に掲載したこの写真。実は一番最後、公園を離れるときに撮影したものです。水城公園+忍城も比較的近いのですが、古墳群公園が意外と大規模で見どころも多かったのでまたの機会にすることにしました。

利根川大堰に向かいます。(長文、読んでいただき拝謝。それだけ「さきたま古墳群公園」いいです。)

富士山の風景

河口湖、山中湖、富士山、箱根、駿河湾がみえる

一昨日は山陰に出張でした。羽田空港から山陰に向かう飛行機は離陸して都心上空を通過し富士山の北側を通過します。これを見越して左側の窓際席を予約しておいたのが正解でした。

甲府盆地付近の上空通過時には手前から河口湖、写真左山中湖、中央富士山、写真左奥箱根、写真右奥に駿河湾が見えました。絶景です。狙った風景が撮影出来てこの時点で満足…という訳にはいかず出張なのでこの後が仕事なのですが幸先の良さにご機嫌。

富士山を北側上空から(2022年10月)
富士山を北側上空から(2022年10月)

でしたが残念なことにこのあと雲が多くなり雲海が広がっていました。それはそれで美しいし隣を飛んでいる飛行機を見つけたのも面白いなーと思った次第。

上空で更に上空を飛行する赤組(2022年10月)
上空で更に上空を飛行する赤組(2022年10月)

結局90分ほどのフライトでしたが退屈することもなくたくさんの写真を撮影出来ました。で、この後、レンタカーで仕事先に移動しミッチリ打ち合わせでした。

ツーリングじゃないですが美しい日本の風景の一コマをご紹介。