ダムや海、山、川、岬を巡るツーリングを通し関東を主に日本の風景を紹介します

月: 2021年8月

NC750Sの生産中止の理由

NC750Sの生産中止の理由

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NC750Sの生産中止発表は2020年11月でした。

その理由は単純に言えばバイクに乗るのは趣味だが設計、製造して売るのはビジネスということでしょう。NCがNew mid Conceptに基づいて「求めやすい価格」を志向するとしてもビジネスとしてみれば安すぎれば問題です。またNCのコンセプトが説得力があればあるほど、他社ブランドとの差別化が図れる一方でNC750Sの存在は自社のCB系のブランドとのカニバリ(共食い)とブランドの希薄化が発生してしまいます。

実際、管理人がNC750Sを購入した際は、NC750SとCB650Rを比較しました。荷物の積載量、航続距離、価格などの点でNC750Sに軍配を上げました。「クロスオーバー」としてNC系でNC750Xがありまた、 着座位置を下げたNC750X -LDもリリースされていましたが比較はしませんでした。Sはストリート、Xはクロスオーバーのイメージが強く別物だと思っていたのが理由です。NCのブランドの中にSとXを一緒にした段階でブランドマッピングが少しおかしくなっていたのです。

VFR系のブランドもX, FがありますがこれもVFR800XとVFR800Fで迷う人は居ないでしょう。VFR800XとNC750Xで迷う人は居るかもしれませんが「価格」の敷居でブランド差が明確になってます。

富士山とNC750S(2021年5月)
神回 奥多摩→大菩薩初鹿野線のツーリング 5 
富士山とNC750S(2021年5月) クリックしてこのツーリング記録をご覧いただけます

ブランドイメージからNC750Sのカタログ落ちを見る

NC750Sの位置づけはブランドの観点から見るとCBとNCの中間にあってグラデーションの中間に位置していたと考えます。ブランドマネージメントの観点からいうと各ブランドは個々として明瞭であるべきで中間の存在は好ましくない。直2OHCと直4DOHCの大きな違いがあるものの同程度の排気量でストリートという点で「混ざって」しまいます。

またNC750Sの存在は教習車のNC750Lと市販NC系のブランドを直結しました。教習者用のNC750Lはその目的から低出力化されて教習車として使用されNC750Sとのルックスの相似性からNC系のブランドそのものの低出力イメージや初心者イメージに繋がってしまっていました。そこでNC750Sを切りルックスが大幅に異なるNC750Xを活かして、NC750Lのイメージと市販NC系ブランドのイメージを分離したのです。

NC750Sと背景に大渡ダム(2021年5月)
NC750Sと背景に大渡ダム(2021年5月)
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残念だがもうあなたには買うことが出来ない

そんなNC750Sですが販売当初の大人気に反して2018年式はほとんど売れておらず、そのうちの一台を管理人が乗っていることになります。実際色違いを含めて2018年式に会うことはほとんどありません。つまり、新車は勿論、中古車でも市場にほとんど出ることがなく、もう読者の皆さんが入手することが難しいでしょう。尤、無理して入手して乗るという車種ではありませんが…。

ビジネス、ブランドなどの観点からカタログ落ちしてしまったNC750Sですがロングツーリングの相棒としては最高です。街中を乗っていて扱いやすいトルク特性、田舎道をゆったり走った時の楽しいパルス感、ワインディングを十分に楽しめる性能、高速道路を安心して走れる安定感。

まあ性能に関して言えば、反論のある人はいるかも。非力な割に重いとか。そう思われる方は別の車種に乗るでしょうし、そもそも買うのが難しいのです。

NC750S(2020年4月)
NC750S(2020年4月)
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100,000kmは乗りたいなあ

購入から2年弱ですがトラブルは全くなく好調そのものです。オイルはまずまずこまめに交換し、タイヤは前後18,000km走行後辺りに交換しました。後ろはまだ残っていたのですが前が先にダメになってしまいました。うまく乗れていない管理人の腕の問題もあるかも知れません。次はチェーンの交換を考えています。

マメに手入れしていけば100,000kmはまあ余裕で行けそうな感じです。むしろ管理人が多忙になってツーリングに行く機会が減っている方が心配。なので最近は一日で遠出するようにしてます。何せ航続距離400kmオーバー。関東地方はほぼ無給油で往復できます。今はとても忙しくてあまり本格的なツーリングに行けてませんが、人生史上あまり行ったことの無い東北地方や北海道も泊りがけで行く時間を作りたいと思ってます。

まあ100,000km乗っても日本のすべてのダムは見れないと思いますが。

雪の都民の森 NC750Sと共に
路面の雪は溶けていましたが木々には多くの雪が残っていました

奥多摩経由深城ダムツーリング

入間白岩林道は通行止め

入間白岩林道の入り口(2021年7月)
入間白岩林道の入り口(2021年7月)

7月某日、ちょっと天気が悪いけどツーリングに出かけました。天気予報も「曇り」。予定は都心から青梅街道、秋川街道を経由して檜原村。入間白岩林道で数馬に抜けて奥多摩湖。奥多摩湖から大菩薩ライン経由で上日川峠に向かい、上日川ダム北岸。林道を抜けて、大菩薩初鹿野線経由で甲州街道に抜けて都心に帰るルートを想定していましたが…残念。周りの植物たちを撮影して引き返します。

山野草とニホンミツバチ?(2021年7月)
山野草とニホンミツバチ?(2021年7月)

夏が本番になってきて花に変わって昆虫が主役になってきました。あちこちで幼齢のバッタや跳ねたり、ミツバチが蜜を集めるのに忙しそうに飛び回っていました。写真のミツバチはセイヨウミツバチかニホンミツバチか?撮影場所から2~3km以内には養蜂所はなさそうなのでニホンミツバチと思われますが、巣箱を置いている可能性もありはっきりとは分かりません。

マムシグサの実(2021年7月)
マムシグサの実(2021年7月)

マムシグサの若い実です。このマムシグサ6月ごろからずっと撮影しているのですがなかなか実が赤くなってきません。記事をまとめている8月は雨が多く出かけられていません。撮影のタイミングを逃さないか心配しているところです。

深城ダム方面にツーリングルートを変更

奥多摩湖方面へ。奥多摩湖近辺から想定していたルートの柳沢峠方面を見ると、キリ?というか雨。大菩薩初鹿野線で大雨に降られた過去を思い出し経路変更。久々に国道139号方面に抜けて深城ダムを訪ねることにしました。

深城ダムは山梨県営の重力式コンクリートダムで上日川ダム、葛野川ダムで構成される揚水発電所の下流に位置します。アクセスはごく簡単で国道139号を小菅村から大月方面に南下し松姫トンネルを抜けてすぐの国道沿いにあります。ダムの上流側手前に展望所がありまずそちらに立ち寄り撮影。(晴れた日の深城ダムの様子はこちらー2020年9月)

深城ダム展望所でNC750Sを撮影(2021年7月)
深城ダム展望所でNC750Sを撮影(2021年7月)

この展望所からは深城ダムの堤体正面が良く見えます。更に降雨期を前にして放水中で水位が低くいつもにも増して堤体が良く見えました。

深城ダムの堤体正面(2021年7月)
深城ダムの堤体正面(2021年7月)

天気が少しだけ回復して良いタイミングで明るくなりました。堤体中央にオリフィスゲートとクレストゲートが見えています。この時はオリフィスゲートから放流中でした。というか、水位が低くてクレストゲート丸見えです。

深城ダムの天端とNC750S(2021年7月)
深城ダムの天端とNC750S(2021年7月)

深城ダムはほとんど訪れる人がいません。なので、良いアングルの記念撮影もしやすいのが良いところです。ダム天端は車両通行止めですが、歩いて散策することが出来ます。しかし、深城ダムのだいご味はやはり階段状になった減勢工下流を流れ落ちる水の音。NC750Sを駐車場に停めなおして国道を徒歩で大月側に数百メートル移動します。

深城ダムは人工の名瀑だと思う

人口の名瀑、深城ダムの放流音をお楽しみ下さい

ダム堤体に戻ってきて天端から放流の様子を録画しました。

深城ダム天端から放流の様子を撮影。

ダム天端から下流側を撮影するとこんな感じでした。オリフィスゲートからの放流に加えて下の建物横からも放流されています。これは深城ダムに併設された深城発電所の放流と思われます。深城発電所は認可出力340kWでいわゆる小型水力発電所です。周囲に電線がなくどうやって送電しているのか分かりませんが、もしかしたらダムの運用用に使用されているのかもしれません。

動画の30秒過ぎくらいにちらちらと何かが飛んでいるのが分かります。

堤体下流側をよく見るとイワツバメがたくさん

深城ダムのイワツバメ(2021年7月)
深城ダムのイワツバメ(2021年7月)

ダム堤体下流側をよく見ると小さな動物が群れていました。肉眼では確認しにくかったのですが、カメラの望遠でみて分かりました。どうやらイワツバメの群れのようです。天敵である猛禽類から身を守るのに天然の環境では断崖絶壁に群れたりするようですが、人口の断崖絶壁ダム堤体表面に群れていたようです。イワツバメも大変だ。

深城ダムを満喫した後は国道139号を南下して猿橋まで抜けて甲州街道。国道16号→青梅街道の経路で帰宅しました。深城ダムの放流動画が大収穫のダムツーリングでした。

次回は大場所。矢木沢ダムへ。

歴史マニアと行く一夜城と小田原城(小田原城編)

小田原城は大きかった…

小田原城址公園のハス
小田原城址公園のハス

一夜城から車で小田原城に移動します。一夜城に上るのが結構大変で、余程若くて体力に自信がない限りは自動車移動が無難です。よく考えると大城郭とそれを落とそうという大軍の陣ですから「一駆け」の距離にある方が不自然ですね。

写真は小田原城址公園のハス。2000年前の種を発芽させて…というあの大賀ハスです。ちなみにハスとスイレンの違いって分かりますか?こちらで紹介してます。この写真とリンク先の睡蓮の写真を比べると全然違うのが分かると思います。

小田原城の馬出門枡形(2021年7月)
小田原城の馬出門枡形(2021年7月)

堀越しに馬出門枡形を撮影したのが上の写真です。門のところで壁が90度曲がって門に殺到する敵を矢狭間や鉄砲狭間から狙い撃ちする気満々の作りです。

馬屋曲輪の矢狭間から馬出門枡形を見る(2021年7月)
銅門前の矢狭間から馬出門枡形を見る(2021年7月)

全体的に「立ち入り禁止」の場所が多い日本の観光地ですが、小田原城の銅門手前の土塁の上の塀まで上がる階段は特に掲示がなかったので登って矢狭間から馬出門枡形を撮影したのがこの写真。まさに狙い撃ちです。

小田原城の銅門(2021年7月)
小田原城の銅門(2021年7月)

小田原城の銅門です。銅門をくぐると二の丸です。歩いている人は歴史マニアの友人。左右の鉄砲狭間、矢狭間から狙われながらの登城です。

小田原城の威容(2021年7月)
小田原城の威容(2021年7月)

時代劇で江戸城役を担うのは多くの場合姫路城ですが、小田原城も使われることがあるそうです。(歴史マニア曰く)電線は余計ですが、この角度から見る小田原城天守閣はなかなかの威容。残念ながら再建天守ですが。

天守閣から一夜城方面を望む(2021年7月)
天守閣から一夜城方面を望む(2021年7月)

天守の最上階は展望台になっています。一夜城方面を見てみると…どこかわかりません。単なる山。と思っていたら、訳知り顔のオジサンが「あそこに一夜城というのがあってね」という話を同行の方にしている横で含み笑いの歴史マニア。「だって自分たちそっちから取材済みで勝ってるって思った」って。そんなんで勝っても仕方がないと思いつつ、やっぱ勝ってるなと同感な大人げない管理人です。

小田原城から一夜城を望む(2021年7月)
小田原城から一夜城を望む(2021年7月)

一夜城方向を望遠で撮影した写真です。写真やや左側、右側の手前の山の奥の小高い山が一夜城と思います。この場所であそこを見ながら、
「殿、大事でございます。」
「何事じゃ。」
「はっ、敵陣の奥に城が出来ております。」
「城じゃと。そのようなもの昨日まで無かったではないか。」
「しかし、こちらからご覧ください。」
「っぐ。なんと、なんとしたこと、一夜にして城を築いたと申すか…」
などというやり取りが頭に思い浮かんできました。実際のところどうだったんでしょうねえ?

小田原おでんの店構え(2021年7月)
小田原おでんの店構え(2021年7月)

一夜城から小田原城見る、小田原城から一夜城見るプロジェクトも終わったし、帰ります。駐車場への移動中+車中で友人の「小田原評定で評判が悪いけど、北条氏康はバランスの取れた名将だった」話を拝聴。確かに一面だけから物事見てちゃだめだなあと思った次第。

昼食。小田原はその海産物を活かした練り物が名物でそれをさらに活かしておでんが有名だそうです。

歴史マニアの友人の職業はおでん屋。おでん屋が案内してくれるおでん屋に間違いはありませんでした。ただ、「俺の大根の方が旨いでしょ」って聞かれて回答に困る私でした。

※ここのおでんは若い出汁が特徴で出汁も香りが強く大根はさらりと煮あがっているのが特徴。友人のおでんはこなれた出汁が特徴で香りより色々なネタからでた味が特徴。大根は一晩以上出汁を含ませてジワッと味が出てくるのが美味。どちらも美味しいので少し困った次第。

次回は深城ダム辺りへ。

歴史マニアと行く一夜城と小田原城(番外編)

この時は4輪で行きました

一夜城案内図(2021年7月)
一夜城案内図(2021年7月)

小田原城の北条氏を豊臣秀吉が攻めたときに布陣したことで知られる石垣山に7月某日行ってきました。大河ドラマ「独眼竜政宗」で勝新秀吉が渡辺謙正宗をビビらせたシーンの方が有名かもしれません。

この時は友人と二人、4輪だったのでツーリングではありませんでした。だから番外編。

一夜城の竹の杖(2021年7月)
一夜城の竹の杖(2021年7月)

登り口には竹の杖がおいてありました。そんなに厳しい道なのか…と一瞬思いましたが、なくても何とかなる、けどあった方が絶対良い位な感じでした。それに暖かい時期だとヘビとか出てきたらバシッてできる。

一夜城登り口の野面積み(2021年7月)
一夜城登り口の野面積み(2021年7月)

登り口脇には野面積みの石垣やや崩れかけている感じもしますが、400年以上前の代物。そういう意味ではよく残っているなあという方が正しいか。写真が下手なので、迫力が伝わりにくいですが切石積みの整った石垣とはことなる臨場感がありました。

一夜城井戸曲輪への降り口(2021年7月)
一夜城井戸曲輪への降り口(2021年7月)

布陣する際に最も重要なものの一つが水場です。一夜城には井戸があり、その周辺は石積みに囲われて井戸曲輪と呼ばれたそうです。写真は井戸曲輪へのおりぐち。当たり前ながら降りるのも石積みの段です。例えるなら磯場を降りていくのに似た感覚。竹の杖が活躍します。

一夜城井戸曲輪の石積み(2021年7月)
一夜城井戸曲輪への降り口(2021年7月)

井戸曲輪に降りて周りを見回すとこんな感じです。石積みは入り口近くと同じく野面積みですがこちらの方が石が小さく緻密に積まれている印象です。井戸の性質上石積みの傾斜を緩くできないことからこのようになっているのかと想像しました。梯子は草引きの手入れ作業中に使用しているものです。石垣に草が茂ると崩れやすくなるため定期的に手入れしているのでしょう。暑い中大変な仕事だと思いました。

一夜城井戸曲輪の井戸?(2021年7月)
一夜城井戸曲輪の井戸?(2021年7月)

井戸があったとされる場所を覗いてみましたが水は見えません。当時はもっと深く掘りこまれていて、釣瓶で水を汲んでいたのでしょうか?当時の様子はちょっと分かりませんでした。

一夜城本丸跡(2021年7月)
一夜城本丸跡(2021年7月)

井戸曲輪から上がって二の丸を通って本丸跡へ。この辺りは石積みもぽつぽつありますが、もともとの山の地形を活かして作った印象でした。写真では本丸跡が広く見えますが何万もの兵が滞陣できるほど広くはありません。本陣の偉い人達用スペースだったのでしょう。

正にここで豊臣秀吉を筆頭に有名な戦国武将たちが戦術を練っていたのかと思うとなかなか感慨深いものがあります。同行の歴史マニア友人は竹の杖を振り回していましたが、戦国武将の下知の気分だったのでしょうか。なお、竹の杖を振り回しても全く大丈夫、我々以外誰もいませんでした。

奥には天守跡がありますがそもそも戦時中の布陣場所、本来天守閣など必要ありません。それでも天守を作って相手をビビらせるという発想が天才的かも。

一夜城から小田原城方面を望む(2021年7月)
一夜城から小田原城方面を望む(2021年7月)

二の丸から本丸に上がってすぐのところに展望台があります。展望台から小田原城が…ギリギリ見えるか見えないか。写真でも木の陰ギリギリです。しかしこの木があったからこそ一夜城が成立したとも言えます。

小田原ブルーウェイブリッジ(2021年7月)
小田原ブルーウェイブリッジ(2021年7月)

小田原は箱根、伊豆方面に繋がる交通の要所。横浜方面から小田原にアクセスする定番西湘バイパスの終点が写真の小田原ブルーウェイブリッジを超えた左側石橋ICです。小田原らしく橋の向こうに見える灯台が小田原提灯になっているのがプリティ!

さんざん戦国を偲んだあと次回は小田原城へ。

○○○○世界一 上日川ダム ダムツーリング(小河内ダムと上日川ダム)後編

上日川ダムに到着

上日川ダムの石碑(2021年6月)
上日川ダムの石碑(2021年6月)

上日川ダムに到着です。上日川ダムの入り口は大菩薩初鹿野線沿いにあって大菩薩嶺側からアプローチすると見落としやすいので注意が必要です。また手前で大菩薩北岸展望所に分かれる道がありますがこちらに行くとダム堤体にはたどり着けませんので注意してください。(こちらのルートも風景が良く、通行止めになっていなければ駐車場から更に奥に進む林道も絶景が期待できます。こちらでご覧いただけます。

上日川ダム周辺の風景

  • 上日川ダム下流側堤体(2021年6月)
    上日川ダム下流側堤体(2021年6月)
  • 上日川ダムから大菩薩湖を望む(2021年6月)
    上日川ダムから大菩薩湖を望む(2021年6月)
  • 上日川ダムの洪水吐と遠景(2021年6月)
    上日川ダムの洪水吐と遠景(2021年6月)
  • 大菩薩湖の白化した流木(2021年6月)
    大菩薩湖の白化した流木(2021年6月)

上日川ダムは非常に景色の良いダムと言えます。特に下流側は日川沿いの谷の上が開けてその先に富士山がある絶景です。勿論、天気に恵まれないと富士山は見えません。大菩薩ラインの柳沢峠からみるより数km近くになりますがそれでも40km弱離れていますからね。

上日川ダムの上流側は大菩薩湖。上日川ダムは葛野川ダムとのコンビで日本有数の揚水発電所の上池(大菩薩湖)ー下池(松姫湖)をなしています。この揚水発電所の特徴は水量より高度差で有効落差714mは世界最大。但し貯水容量は1,147万立方mとあまり大きくはありません。揚水発電所の特性上、一日のピーク消費電力需要を賄う時間分だけ発電が継続できれば十分という考え方かもしれません。ちなみに前々回の小河内ダム(奥多摩湖)の総貯水量は18,900万立方mで一桁大きい値です。

更に特徴的なのが湛水面積の狭さ。51haと奥多摩湖の20分の1です。1/10の体積で1/20の湛水面積なので単純計算だと2倍深いことになります。また揚水式発電所であることから水の上下が激しく、最大21m!の変化があります。激しい。このことから湖水面へのアプローチは全面的に禁止されていて遊泳やボート、釣りなど一切禁止です。

なお2枚目のスライドの右側に見えているのが葛野川発電所への導水口と思われます。

上日川ダムの洪水吐

  • 上日川ダムの自然越流式の洪水吐(2021年6月)
    上日川ダムの自然越流式の洪水吐(2021年6月)
  • 上日川ダムの洪水吐スロープ部(2021年6月)
    上日川ダムの洪水吐スロープ部(2021年6月)
  • 上日川ダムの洪水吐減勢工(2021年6月)
    上日川ダムの洪水吐減勢工(2021年6月)

上日川ダムはご覧の通り中央土質遮水型ロックフィルダムなのでダム堤体にはゲート類はなく、ダムの右岸に洪水吐があります。この自然越流式の洪水吐ですが、洪水吐の流路と減勢工が特徴的です。ダム左岸からダム天端を歩くとこの洪水吐の流路のコンクリートが万里の長城ならぬ百里の長城位に良く見えます。減勢工の後流が急カーブになっていて、水があふれないようにするためかその部分の流路壁が高くなっているのが造形として面白いです。

大菩薩湖は揚水発電による水の出入りがありますが、大規模ではないものの元の日川の水源からも流れ込みがあります。富士山が南側にあるとはいえ太平洋側の湿った空気が谷沿いに流れ込みやすい地形なので梅雨時期や台風の時は猛烈な雨が降ることがあります。そのような時に活躍するのでしょう。

そういえば初めて大菩薩湖を目指したツーリングでも「もーれつっ」な雨に降られたことがありました。大月の国道20号線が30cm程度、冠水しているのに気づかずNC750Sで突っ込んで、後からエンジンの調子が心配になったことがあります。(結局無事でしたが。)ダムツーリングには天気情報と上質な雨具が必要なことを実感した大菩薩初鹿野線でした。

NC750Sと記念撮影

上日川ダムとNC750S(2021年6月)
上日川ダムとNC750S(2021年6月)

上日川ダムの石碑の前で記念撮影して帰途につきます。大菩薩初鹿野線をそのまま国道20号向けに走って甲斐大和で合流。道の駅甲斐大和で休憩したあと、大月まで国道20号線、大月から中央自動車道で都心まで帰りました。

そうそう、上日川ダムの公衆トイレは閉鎖されてましたから注意した方が良いと思います。

このツーリングはこれでおしまい。次回は…小田原にするか?深城ダムにするか?迷ってます。