この時は4輪で行きました
小田原城の北条氏を豊臣秀吉が攻めたときに布陣したことで知られる石垣山に7月某日行ってきました。大河ドラマ「独眼竜政宗」で勝新秀吉が渡辺謙正宗をビビらせたシーンの方が有名かもしれません。
この時は友人と二人、4輪だったのでツーリングではありませんでした。だから番外編。
登り口には竹の杖がおいてありました。そんなに厳しい道なのか…と一瞬思いましたが、なくても何とかなる、けどあった方が絶対良い位な感じでした。それに暖かい時期だとヘビとか出てきたらバシッてできる。
登り口脇には野面積みの石垣やや崩れかけている感じもしますが、400年以上前の代物。そういう意味ではよく残っているなあという方が正しいか。写真が下手なので、迫力が伝わりにくいですが切石積みの整った石垣とはことなる臨場感がありました。
布陣する際に最も重要なものの一つが水場です。一夜城には井戸があり、その周辺は石積みに囲われて井戸曲輪と呼ばれたそうです。写真は井戸曲輪へのおりぐち。当たり前ながら降りるのも石積みの段です。例えるなら磯場を降りていくのに似た感覚。竹の杖が活躍します。
井戸曲輪に降りて周りを見回すとこんな感じです。石積みは入り口近くと同じく野面積みですがこちらの方が石が小さく緻密に積まれている印象です。井戸の性質上石積みの傾斜を緩くできないことからこのようになっているのかと想像しました。梯子は草引きの手入れ作業中に使用しているものです。石垣に草が茂ると崩れやすくなるため定期的に手入れしているのでしょう。暑い中大変な仕事だと思いました。
井戸があったとされる場所を覗いてみましたが水は見えません。当時はもっと深く掘りこまれていて、釣瓶で水を汲んでいたのでしょうか?当時の様子はちょっと分かりませんでした。
井戸曲輪から上がって二の丸を通って本丸跡へ。この辺りは石積みもぽつぽつありますが、もともとの山の地形を活かして作った印象でした。写真では本丸跡が広く見えますが何万もの兵が滞陣できるほど広くはありません。本陣の偉い人達用スペースだったのでしょう。
正にここで豊臣秀吉を筆頭に有名な戦国武将たちが戦術を練っていたのかと思うとなかなか感慨深いものがあります。同行の歴史マニア友人は竹の杖を振り回していましたが、戦国武将の下知の気分だったのでしょうか。なお、竹の杖を振り回しても全く大丈夫、我々以外誰もいませんでした。
奥には天守跡がありますがそもそも戦時中の布陣場所、本来天守閣など必要ありません。それでも天守を作って相手をビビらせるという発想が天才的かも。
二の丸から本丸に上がってすぐのところに展望台があります。展望台から小田原城が…ギリギリ見えるか見えないか。写真でも木の陰ギリギリです。しかしこの木があったからこそ一夜城が成立したとも言えます。
小田原は箱根、伊豆方面に繋がる交通の要所。横浜方面から小田原にアクセスする定番西湘バイパスの終点が写真の小田原ブルーウェイブリッジを超えた左側石橋ICです。小田原らしく橋の向こうに見える灯台が小田原提灯になっているのがプリティ!
さんざん戦国を偲んだあと次回は小田原城へ。
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