9月某日、少し疲れもありあまり遠出する気分にならず、でもどこかには出かけたい気分。そこで利根川大堰に行ってみることにします。

利根川大堰は環七から国道122号線で向かうのが最短で、この経路を選択しましたがこれは失敗。都心から蓮田までの区間はE4東北自動車道の出入り口が複数あるために自動車道に比べてキャパシティの小さい国道側はとても渋滞します。今後は近寄るまいと心を決めて進むと加須あたりから「埼玉古墳群」「忍城」「古代蓮の里」などへの標識が立っています。

のぼうの城で映画化されていた「忍城」に向かうことにしましたが、その手前に埼玉古墳群があったのでそちらに先に寄ります。

埼玉古墳群は「さきたま古墳公園」として整備

されています。また比較的近隣の水城公園と忍城を合わせた「ぎょうだ歴史・文化の旅」コースや古墳を巡る「ぎょうだ古墳巡りの旅」コースなどが紹介されていて、歴史の町として行田市をアピールしています。さきたま古墳公園はその両方の拠点ともいえます。

駐車場でNC750Sと公園案内図(2022年9月)
駐車場でNC750Sと公園案内図(2022年9月)

駐車場から古墳群方面に歩きます。古墳がそれなりに大きいので古墳群を歩くのは結構な運動になります。

石田堤と丸墓山古墳(2022年9月)
石田堤と丸墓山古墳(2022年9月)

丸墓山古墳につながる小高く盛り上がった小路は豊臣秀吉配下の石田三成が忍城を水攻めにするために築いた「石田堤」の一部です。「堤」=堤防の印象とのぼうの城で築いていた「堤」が結構高かったのでもっと高さのあるものをイメージしていました。当時のものがそのまま残っているわけではないでしょうが、さほど「高い」わけでもなかったようです。

奥は丸墓山古墳。てっぺんに石田三成が陣を張ったとか。

昭和14年に史蹟として一度整備

昭和14年の埼玉村古墳群碑(2022年9月)
昭和14年の埼玉村古墳群碑(2022年9月)

されたようで、その当時の石碑が立っています。(もちろん新しい石碑もたっています。)内容をかいつまんでみると「この地域は古来から人口稠密で栄えていて古墳も多く残っている。昭和13年には周辺の9基の古墳を合わせて古墳群として文部省の指定を受けた。丸墓山古墳は豊臣秀吉がこの地域を制圧しようとしたとき派遣した石田三成が陣を張った… 云々」です。

昭和13年は皇紀2600年。日本の歴史を掘り起こし国民の意識向上の意図もあったか?と勘繰りますが、年号は昭和で記されているので勘繰りすぎか?

丸墓山古墳から忍城方向を望む

丸墓山古墳から忍城を望む(2022年9月)
丸墓山古墳から忍城を望む(2022年9月)

丸墓山古墳から忍城方向を見たのが上の写真。肉眼では復元天守がギリギリ確認できるくらいです。(年齢のせいで視力が落ちた…)確かに水攻めにしたくなるほど平らな土地です。が、かなりの広さがあり、管理人の印象だと「水攻めするには広すぎないか」でした。

丸墓山古墳から稲荷山古墳を望む(2022年9月)
丸墓山古墳から稲荷山古墳を望む(2022年9月)

左手前が稲荷山古墳、右奥が将軍山古墳です。稲荷山古墳は前方後円墳ですが全方部が昭和12年に干拓工事用の用土として使用されてしまいました。現在では残っていた写真などを基に復元されています。昭和13年の史蹟指定は更なる破壊を危惧したのかもしれません。

稲荷山古墳の発掘後の展示

稲荷山古墳石榔の復元図(2022年9月)
稲荷山古墳石榔の復元図(2022年9月)

稲荷山古墳は115文字という多くの文字が象嵌された鉄剣が出土したことで有名です。古墳に上ることができて、鉄剣出土の石榔の配置が写真のように展示されています。

石榔に加えて粘土榔もあってこの古墳が複数人を埋葬したものであろうことが分かっています。更にこの二つの埋葬跡の配置から考えて中央部に埋葬された中心人物がいることが予想され、実際まだ発掘されていない遺跡がある模様です。そうであれば、埋葬者の真上を歩いていることになりちょっと「ごめんくださいね」って感じもします。

将軍山古墳は小型の博物館として整備

将軍山古墳(2022年9月)
将軍山古墳(2022年9月)

されています。入場料はメインの博物館である「さきたま史蹟の博物館」と共通で大人200円。安価なので内容が大したことないのではないかと思われるかもしれませんが、絶対そんなことありません。自信をもってお勧めできます。

将軍山古墳の埋葬状態の復元

将軍山古墳の埋葬復元(2022年9月)
将軍山古墳の埋葬復元(2022年9月)

優れているなあと思ったのが古墳内部で埋葬石室内部を再現展示している点です。乗馬の将軍復元像を見た後、階段を上がっていくとこんな感じで再現石室が現れます。かなりリアルでドキッとします。

ただし、かなり復元時に要素は追加されていて実際の出土品は金属製品と土器のみだったようです。遺体や木などの有機物は分解されていたそうです。

埼玉県名発祥之碑

埼玉県名発祥之碑(2022年9月)
埼玉県名発祥之碑(2022年9月)

大きな碑の右に埼玉県の名前の由来が書かれています。内容をかいつまんでみると、埼玉という地名は律令制の最初期(726年)には存在していたことが確認されていて埼玉、前玉(さきたま)などと記載されていました。古墳群内に古来から前玉神社があることからこの地名の表す地域の中心がこの周辺だったと考えられます。

埼玉県の成立は明治になって埼玉県と入間県が設置されいくつかの変遷を経て明治9年に現在の埼玉県の県域ができたとのこと。

さきたま史蹟の博物館はなかなか良い

鳥形埴輪(2022年9月)
鳥形埴輪(2022年9月)

古墳群で出土した出土品を展示しているのがさきたま史蹟の博物館。この博物館「フラッシュは禁止だが撮影はOK」という嬉しい展示方針です。埴輪、鉄剣、馬具など様々な出土品がありますが管理人のお気に入りは可愛らしい顔の鳥形埴輪。

稲荷山古墳出土鉄剣の実物も展示!

稲荷山古墳出土鉄剣(2022年9月)
稲荷山古墳出土鉄剣(2022年9月)

そして有名な稲荷山古墳出土金錯銘鉄剣の実物が展示されています。金象嵌の文字は現在でもきれいに判読できてかなり感動します。この鉄剣の出土で「獲加多支鹵(ワカタケル)」と示されおり、第21代雄略天皇(若健、幼武 ともにワカタケルとよめる)の実在が強く支持されるようになったのは有名です。

この鉄剣「辛亥年」(=471年)に制作されたと書かれていて、1550年前のもの、それに書いた文字をいま自分の目で読んでいると思うと感慨深い。ぜひ実際にいって鉄剣の金文字を目に焼き付けてみてください。感動請け合いです。

そろそろ目的地へ…

駐車場でNC750Sと公園案内図(2022年9月)
駐車場でNC750Sと公園案内図(2022年9月)

最初に掲載したこの写真。実は一番最後、公園を離れるときに撮影したものです。水城公園+忍城も比較的近いのですが、古墳群公園が意外と大規模で見どころも多かったのでまたの機会にすることにしました。

利根川大堰に向かいます。(長文、読んでいただき拝謝。それだけ「さきたま古墳群公園」いいです。)