ダムや海、山、川、岬を巡るツーリングを通し関東を主に日本の風景を紹介します

カテゴリー: ダム ( Dams ) (2ページ目 (16ページ中))

上日川ダムは入場規制

久々のツーリング。後半は人が少なくて夏は涼しい上日川ダムを目指します。(前半は別途記事)

大菩薩湖をバックにNC750S(2023年9月)
大菩薩湖をバックにNC750S(2023年9月)

少し小さいですがバイクのタンクの奥に大菩薩湖が見えています。晴れていれば奥に富士山が見えるのですが、雲隠れです。リンク先の写真(2年前)と比べると右側の植生がずいぶん成長しているのが分かります。

上日川ダムは閉鎖中…

上日川ダムの入り口(2023年9月)
上日川ダムの入り口(2023年9月)

なんと上日川ダムは閉鎖中。「水門気象条件等により」「警戒態勢」とのこと。なんだろう、台風もないし?夏涼しく人が少ない上日川ダムは管理人お気に入り上位のダム、ずっと閉鎖はなしにしてね東京電力様。

日川の砂防ダム

日川の大規模砂防ダム(2023年9月)
日川の大規模砂防ダム(2023年9月)

上日川ダムは閉鎖中で寄ることが出来ませんでしたが、上日川ダム下流、日川の砂防ダムに寄ってみました。この上流は程度自然石で護岸されいました。

砂防ダムは埋まって河川の傾斜を緩和し治山を行う目的で建設されますが、この砂防ダムが埋まるのには何十年か掛かりそうです。とはいえ、大規模土石流が発生するとあっという間かもしれません。

上日川ダムの下流が日川、そしてその沢

上日川ダムの下流が日川。日川は周りの山々から幾多もの小さな、大きな沢を集めて甲府盆地に流れ込みます。その一つ焼山沢の風景を動画撮影してきました。水音と一緒にお楽しみください。

時系列が逆になりますが、次回はこのツーリングの前半を紹介します。

奥多摩ツーリング

小河内ダム+奥多摩湖は奥多摩ツーリングの定番

小河内ダムの湧水(管理人は飲みますが飲用可かどうかは不明)

奥多摩ー小河内ダム+奥多摩湖のツーリングは定番中の定番。そのまま直行するのも悪くはありませんが、ちょっと林道に寄ってみるのも楽しいです。

奥多摩の林道某所(2023年7月)
奥多摩の林道某所(2023年7月)

ニホンカワラトンボ@奥多摩

ニホンカワトンボの雄で無色翅型の成熟個体(2023年7月)
ニホンカワラトンボの雄で無色翅型の成熟個体(2023年7月)

林道の付近では昼なのにヒグラシが鳴いていました。またニホンカワトンボは近寄っても逃げず撮影に応じてくれました。

最近の小河内ダムは洪水調整を意識

小河内ダム堤体と洪水吐(2023年7月)
小河内ダム堤体と洪水吐(2023年7月)

「東京砂漠」と呼ばれた渇水があったころ小河内ダムは東京の主力の水がめでした。基本的に上水確保が優先され意図的に水位を下げることはなかったはずです。

翻って現在、東京都の水がめは利根川水系に移行し水不足が懸念される状況はかなり解消しています。逆に近年、水害の可能性が高くなったことから小河内ダムも多摩川の洪水調整を行う協定が結ばれています。

そのため、水位はこの時期高くても70%程度です。この位だと洪水吐前のテラスが見えています。

小河内ダムを右岸から(2023年7月)
小河内ダムを右岸から(2023年7月)
小河内ダムを右岸展望所から(2023年7月)
小河内ダムを右岸展望所から(2023年7月)

ちなみにこの展望台、春先は間近でニホンザルが観察できるスポットです。

また奥多摩ニホンザルが増えているのかこんな風景も(4月の左岸)。

ニホンザルの親子@奥多摩(2023年4月)

ちょっとブログ書くのが大変になってきたので編集方針変えました。それではまた次回!

八ッ場ダムツーリング(嬬恋、野反ダムなど)

八ッ場ダムを出発して長野県の上田方面に向かいます。その途中で「野反湖」の標識を見つけて、そちらに向かいます。が、意外と距離がありました。

野反湖に到着すると展望所があり、トレッキングを楽しんでいる人たちで賑わっていました。そしてその展望所の脇にはニッコウキスゲ。どうやらこの花を目当てに来ている人も多かったようです。

ニッコウキスゲ@野反湖畔(2023年7月)
ニッコウキスゲ@野反湖畔(2023年7月)

野反湖、野反ダム

野反湖と面白い雲(2023年7月)
野反湖と面白い雲(2023年7月)

野反湖は野反ダムのダム湖です。野反ダムができたのが1953年。長い年月を経て、もう一つの自然になっています。なお、この写真の中央、野反湖の奥にダムがあります。雲の様子が不思議。

八間山と青い空、白い雲(2023年7月)
八間山と青い空、白い雲(2023年7月)

美しい空の青、雲の白、林の緑。トレッキングを楽しむ人たちが小さく映り込んでいます。

野反湖をバックに野反ダム天端でNC750S(2023年7月)
野反湖をバックに野反ダム天端でNC750S(2023年7月)

野反ダムの天端。野反ダムは堤高44mのロックフィルダムです。ただし遮水方式が珍しく鉄筋コンクリートフェイシングです。

鉄筋コンクリートフェイシングの野反ダム(2023年7月)
鉄筋コンクリートフェイシングの野反ダム(2023年7月)
野反ダム堤体(2023年7月)
野反ダム堤体(2023年7月)

嬬恋といえばキャベツ

浅間山と嬬恋のキャベツ畑(2023年7月)
浅間山と嬬恋のキャベツ畑(2023年7月)

小学校の社会の授業で嬬恋村のキャベツについて習ったのはいつの日か(遠い目…)今でも嬬恋はキャベツ畑がたくさん。奥には育ったキャベツ、手前は植え付け前の畑です。

浅間山を反対の小諸から

剣ヶ峰と浅間山、NC750S(2023年7月)
剣ヶ峰と浅間山、NC750S(2023年7月)

浅間山の北の嬬恋から、上田を経由して小諸。北向きに見える浅間山とNC750S。この日はとにかく空が美しかった。

ちなみに総走行距離ちょうど500km。日帰りツーリングの途中で給油しないと明らかに足りなかったのは初めてかもしれません。

次回は奥多摩の記事の予定。

八ッ場ダムツーリング(八ッ場ダム後編)

八ッ場ダム堤体下から

八ッ場ダム堤体と副ダム(2023年7月)
八ッ場ダム堤体と副ダム(2023年7月)

最近竣工したダムだけに一般の訪問者が堤体周りのあちこちを無料で行き来できます。ダム堤体には監査廊へ続くエレベーターがありますが、通常は監査廊階を除いて止まる運転で自由に乗ることができます。

エレベータを降りて吾妻峡レールバイク アガッタンに向かう途中振り向いて撮影したのが上の写真です。廃線になったJR吾妻線の線路を一部使用して新しくできたもので興味深々ですが…二人乗りで一人では乗れなそうです。残念。

ダム堤体や赤い八ッ場もみじ橋、副ダムなどが見えていますがダム堤体を天守閣に見立てると城郭の三の丸から見たような風景にも見えます。

残された吾妻峡の風景(7:10から ※その前はダム横の小滝)
ダム堤体下から見る吾妻峡(2023年7月)
ダム堤体下から見る吾妻峡(2023年7月)

ダム建設は当初現在より500m程度下流に予定されていました。が、地元の強い要望により吾妻峡の風景を少しでも多く残すために現在位置に建設されました。もし、当初案ならダム湖の底に沈んだはずの風景です。残されるだけの美しい風景、秋の紅葉はなお格別と思われます。

吾妻峡展望台からの風景

吾妻峡の風景(2023年7月)
吾妻峡の風景(2023年7月)

ダム建設前から残る、渓流の風景です。渓流といえば釣りですが、吾妻川本流は近隣から湧出する温泉が多く流れ込み元来強い酸性でした。これが理由で魚類はほとんど住んでいなかったそうです。釣りも温泉も好きな管理人ですが、意外な「害」があることに初めて気づきました。

現在では下流の利根川の水質保持や吾妻川そのものの利水のため、酸性が特に強い支流で酸性水の中和が行われ、一部では水棲生物も見られるようになったとか。もちろん八ッ場ダムの水も上水道、農業用水、工業用水に使用されています。

VRでのダム紹介が今時

八ッ場ダムVRによる展示(2023年7月)
八ッ場ダムVRによる展示(2023年7月)

立派な展示館の2階にはVRによるダムの紹介があります。悪くはなかったのですが、音声があるともっと良かったかも。

長野原町「もっと前へ。」

もっと前への長野原町ポスター(2023年7月)
もっと前への長野原町ポスター(2023年7月)

ダム建設で多くの地区がダム湖に沈んだ長野原町のポスターです。ダム建設の補償の一環として温泉地の再開発を含め様々なアトラクションも設置されました。その一つ、ダム建設に伴って高く架け替えられた八ッ場大橋からのバンジージャンプをモチーフにした「もっと前へ。」(洪水調整で水位が低い時期の営業)

小河内ダム建設時の移転はダムから離れた場所に移転した人々が大半でしたが、八ッ場ダムの場合は新たに建設された高台にコミュニティを維持した形で移転されています。ダム建設がなければ橋もなくバンジーもなく…。水没した地域に住んでいた方々の気持ちは複雑なのではと思い遣られます。

八ッ場ダムは以上、次回は予定していなかった、もう一つのダムに向かいます。

八ッ場ダムツーリング(八ッ場ダム前編)

八ッ場ダムに行こう

夏至を過ぎましたがまだまだ日の長いこの時期でないと日帰り出来ない場所を狙って地図を眺めて八ッ場ダムを目的地にしました。

非常に激しい建設反対運動があり、建設までの妥結まで非常に時間がかかった上に、建設途中で政権が変わり建設が一時中断、さらに政権が変わって建設が継続され令和2年にやっと竣工した八ッ場ダム。

八ッ場ダム堤体を下流正面から望む(2023年7月)
八ッ場ダム堤体を下流正面から望む(2023年7月)

竣工したばかりのダム堤体はほとんど汚れておらず白さが眩しいくらいです。白いといえば石灰岩質の多いロックフィルダム南相木ダムも白いですが八ッ場ダムは重力式コンクリートダムなので雰囲気がまた随分違います。

八ッ場ダムの諸元

八ッ場ダム 諸元表示(2023年7月)
八ッ場ダム 諸元表示(2023年7月)

写真の諸元には記載がありませんが、八ッ場ダムの目的はFNWIPです。特に洪水調整は重視されていて公式HPで総貯水量の半分以上が洪水調整に充てられていることが確認できます。

2019年の台風19号が関東地方に接近した際にはまだ湛水試験が始まったばかりの八ッ場ダムが1日でほぼ満水になったのが話題になりました。(外部サイト その時のまとめ記事)八ッ場ダムがなかったら洪水被害が大きくなっていた可能性もありました。

八ッ場ダムはゲートが多い

八ッ場ダムを上流側から望む(2023年7月)
八ッ場ダムを上流側から望む(2023年7月)

八ッ場ダムにはクレストゲートが4門、コンジットゲートが3門設置されています。最近の重力式コンクリートダムでは非常洪水吐は自然越流式にしてクレストゲートが省略されるケース(宮ヶ瀬ダム湯西川ダムなど)がありますが八ッ場ダムでは4門。

細かな流量調整を目的にしているのか、設計がこれらのダムよりも前にされていたのか事情は判りませんがダムらしい姿なのは間違いないです。

洪水調整の容量が大きいと言うことは

八ッ場あがつま湖の風景(2023年7月)
八ッ場あがつま湖の風景(2023年7月)

洪水期(7月ー10月5日)のダム湖は水位が非常に低く上の写真のような風景になります。水不足なのではなく容量を空けて洪水調整量を確保しています。

奥に見えるキノコのような特徴的な岩は丸岩と名付けられています。

八ッ場ダム右岸の風景

八ッ場ダム建設で移転された墓地(2023年7月)
八ッ場ダム建設で移転された墓地(2023年7月)

ダム左岸側にダム建設に伴って新しく付け替えられた国道145号が走り、駐車場があり管理事務所や展示施設などが建てられています。またダム天端中心近いところにエレベータがあり下流側に降りることができます。

このため、右岸側は人があまりいません。そんな静かな風景の中に移転された墓地がありました。合掌。

また人がほとんどいない中、鳥たちが鳴き交わす声がとても綺麗でした。動画でお楽しみください。

八ッ場ダム右岸の鳥たちの鳴き交わし

次回はダム下流の様子。

上野ダムツーリング(長戸沢ダム編)

御巣鷹の尾根の慰霊登山を終えて、駐車場に戻って帰途につきます。

険しい山の中に作られた道なので…

NC750Sと駐輪場付近の様子(2023年6月)
NC750Sと駐輪場付近の様子(2023年6月)

この写真の右側が登山道入り口です。元々何もなかった御巣鷹の尾根に向かうために作られた道路で山を大きく削っていることもあり駐車場入り口の斜面が崩落していました。慰霊の場としての御巣鷹の尾根自体の維持も大変ですが、そこに向かう道路の維持もまた大変な事業です。

崩落があるということは土石流の可能性もあり

長戸沢ダム(砂防ダム)(2023年6月)
長戸沢ダム(砂防ダム)(2023年6月)

スゲノ沢は下流で別の沢と合流したところから長戸沢という大きめの沢になります。御巣鷹の尾根登山口の駐車場から少し下ったところに長戸沢ダムと名付けられた砂防ダムが建設されています。

ダムの標識によると完成は平成2年ですが、すでにダム上流は堆砂・堆石でかなり埋まっており砂防ダムとしての役割を果たすのは開口部の段差分しかなくなっています。とはいえ、浚渫するのも周辺の環境を考えると簡単ではなく、維持の難しさが伺えます。(砂防ダムは埋まると土石流を止める機能はなくなりますが、河床勾配を小さくして土石流が起こる可能性を下げるため埋まっていても意味はある とのこと 追記)

長戸沢ダムの標識(2023年6月)
長戸沢ダムの標識(2023年6月)

この標識がなければダム名もわかりませんでしたが…。「建設省」の名前が懐かしい感じがします。

この後、国道299号→国道462号→関越自動車道経由で帰宅。途中の下久保ダム神水ダムは横目に見ながら通り過ぎたのは残念でした。総走行距離392kmで燃費は34.7km/l。

疲れもありましたが、御巣鷹の尾根を訪問したという点で非常に感慨深いツーリングでした。

上野ダムツーリング(上野ダム編)

上野ダムまでのトンネルは暗い

県道124号を東進して「しおじの湯 しおじや」の交差点で右折し南に向かいます。上野ダムまでは比較的近いのですが途中のトンネルが特徴的です。トンネル内のカーブが多くまた「暗い」です。トンネル内の照明が完全に消灯しているところもありNC750Sのヘッドライト頼り…なのはやや心細いです。

上野ダムの入り口は虎王トンネルを抜けてすぐ、長岩トンネル手前の数十メートルの間なので行きすぎないように注意しましょう。(管理人は行き過ぎ…かけました)

駐車場から堤体を望む

上野ダム堤体を駐車場から望む(2023年6月)
上野ダム堤体を駐車場から望む(2023年6月)

駐車場からは堤体の上流側が見えます。堤体はアーチしているように見えます。また水位はやや低く揚水発電の上池である南相木ダムに貯水されていることが察せられました。なお上野ダムのダム湖は奥神流湖と命名されています。

上野ダム「水の恵」碑(2023年6月)
上野ダム「水の恵」碑(2023年6月)

上野ダムには「水の恵」の碑があります。揚水発電の下池という奥神流湖の特性を考えるとやや唐突な感じがしないでもありませんが…。おそらく重要なのは揮毫の「黒澤丈夫(くろさわ たけお)」氏。

氏は昭和40年から平成17年の40年間に渡り上野村村長を務め、引退した時点で日本で最年長の首長でした。上野村の振興に務めただけではなく、村内の御巣鷹の尾根(これは事故後氏によって命名された地名)に墜落したJAL123便墜落事故での賞賛に値する対応したことでも有名です。

引退した年(当時91歳)に上野ダムは竣工しており、上野ダム関連の仕事は氏の村長としての最後の仕事だった可能性もあります。

上野村の主力産業の一つ木工

上野ダム管理事務所と記念オブジェ(2023年6月)
上野ダム管理事務所と記念オブジェ(2023年6月)

その木工を活かしたと思われるオブジェが管理事務所の壁に飾られています。上野の森に7人の小人がいます。右上の丸いのは…なんだろう。

管理事務所前からダム堤体を望む

上野ダム左岸から堤体を望む(2023年6月)
上野ダム左岸から堤体を望む(2023年6月)

上野ダムは堤高120mの重力式コンクリートダムです。左岸から見ると若干アーチしているように見えますが、手前と奥は副ダムで上の写真中央部の直線になっているのが主ダムです。

上野ダムは大小2つの沢を跨いで建設されており堤頂長350mで比較的長い堤体を持ちます。この構造を合理的に建設するため右岸側小さい方の沢と左岸側は主ダムに対して角度がついた副ダムとして建設し、中央に主ダムが配置されているためアーチしているように見えるのです。

上野ダムのダム湖は奥神流湖

奥神流湖と上野ダムのプレート?(2023年6月)
奥神流湖と上野ダムのプレート?(2023年6月)

上野ダムのダム湖は奥神流湖を名付けられています。ダム湖は「奥〇〇湖」が多いですね。矢木沢ダムの奥利根湖滝沢ダムの奥秩父もみじ湖小河内ダムの奥多摩湖など。

上野ダム天端の風景(2023年6月)
上野ダム天端の風景(2023年6月)

上野ダム天端左岸側にはトンネルがありますが、立ち入り禁止です。このトンネルどこかに繋がっているようには見えずダムの管理用ではないかと思われます。おそらく監査廊へのエレベーターなどがあるのではと思われますが、不詳です。

右岸からダム堤体を望む

上野ダム右岸から堤体を望む(2023年6月)
上野ダム右岸から堤体を望む(2023年6月)

上野ダム堤体を右岸から望みます。クレストゲートの洪水吐はローラーゲート2門、オリフィスゲートと放流用バルブがあるのですがこの写真では見えません。放流用バルブからは放水中でした。おそらく下流神流川の流量維持のためと思われます。上野ダムの目的はP(発電)のみでN(流水の正常な機能の 維持)は含まれませんが環境には配慮しているということでしょう。

次は…御巣鷹の尾根。

魚梁瀬ダムと帰途 高知県東部ダムツーリング(4)

魚梁瀬ダムと奈半利川

奈半利川水系には3か所主要な発電所があります。奈半利川下流から前回紹介した長山発電所、二又発電所そして魚梁瀬ダムに設置されている魚梁瀬発電所です。このツーリングでは二又発電所(久木ダム)の入り口を見落としてしまい、目的地の魚梁瀬ダムに到着しました。

この3つのダムはそれぞれ極端な大出力を持つわけではありません(長山 37,000kW、二又 72,100kW、魚梁瀬36,000kW)が3ダム合わせるとかなりの出力となります。奈半利川は四国有数の水力発電による電源となっています。(以上 Wikipediaなどによる)

展望台から魚梁瀬ダムを望む(2023年5月)
展望台から魚梁瀬ダムを望む(2023年5月)

魚梁瀬ダムは当初アーチ式コンクリートダムでの建設が計画されましたが、両脇の地盤強度が不足することがわかり、写真の通り中央遮水土式ロックフィルダムとして建設されました。

魚梁瀬ダムの建設では多くの家屋(200戸以上)が水没することに加え、当時のこの地域の主要産業である林業を支えてきた魚梁瀬森林鉄道の軌道が寸断されるため建設に対する反対は根強いものがありました。移転先に関する補償案や地域の発展に資する交通インフラ(ツーリングで通過した国道493号県道12号、県道54号)の新設・再整備などを提案することで建設の合意が妥結されましたが、その過程は決して平坦なものではなかったとのことです。

魚梁瀬発電所の建物

魚梁瀬発電所の建物(2023年5月)
魚梁瀬発電所の建物(2023年5月)

展望台から堤体下を見ると「やなせ」の植え込みと発電所の建屋がよく見えます。ダム下流至近の久木ダムの貯水池と直結したような形になっているのでダム直下流もダム湖になっています。なおGoogle mapでこの付近を見るとダムを跨いで水路があるように見えますが、これは洪水吐の流路です。(通常はこの部分には水は流れておらず、発電所側から放流されます。)

魚梁瀬ダム堤体を下流側から望む

魚梁瀬ダム、魚梁瀬発電所、NC750S(2023年5月)
魚梁瀬ダム、魚梁瀬発電所、NC750S(2023年5月)

残念ながら魚梁瀬ダムも平鍋ダムと同じく堤体には立ち入ることができません。下流側からアプローチして発電所の入り口で撮影したのが上の写真です。二門の洪水吐とシンプルな流路が見えています。下流側堤体を葛折で上り下りする点検用の通路が特徴的です。

時間も遅くなってきたので帰途につきます。往路とは経路を変えて県道12号線を馬路村方面に向かいます。

ゆずの村 馬路村のゆずの花

馬路村のゆずの花(2023年5月)
馬路村のゆずの花(2023年5月)

北川村の遥太おじいさんが始めたというゆずは今では馬路村の方が有名です。ゆず風味ポン酢の「ゆずの村」、ゆず味の清涼飲料水「ゴックン馬路村」などゆずを生かした製品の生産販売は馬路村の主要産業になっています。

あ、管理人、別に馬路村の手先ではありません。

安田川は奈半利川とは別水系

安田川(2023年5月)
安田川(2023年5月)

魚梁瀬ダムは奈半利川水系に建設されていますが、ダムから少し降った場所を流れる安田川は別水系です。にもかかわらず、両方とも水量が多いのはそもそも降雨量が多いからでしょう。またこの二つの川は所謂下流域がほとんど無いという点でも特徴的です。

安田川はダム開発がされておらず河口から上流域まで鮎釣りの名所でもあります。そういえばごっくん馬路村のラベルに「夏には村のおんちゃんらあは安田川で鮎釣り…」の行があったような。あれ記憶違いかな?

私の記憶はともかく写真の通りの清流です。

この後、実家まで帰宅するのですが、結構な距離ありました。それなりに疲れましたがそれよりも充実感の多いツーリングとなりました。

次回は関東に帰ってきてからのツーリング。

長山発電所から平鍋ダム 高知県東部ダムツーリング(2) 

国道493号から長山発電所の導水管が良く見える

長山発電所(2023年5月)
長山発電所(2023年5月)

国道493号線を北川村方面に進むと県道206号の分岐付近、奈半利川沿いで長山発電所の導水管と変電設備が見えてきます。発電所は川の対岸にあって残念ながら木に隠れて見えません。

NC750Sと並ぶと規模感が分かる

長山発電所の変電設備とNC750S(2023年5月)
長山発電所の変電設備とNC750S(2023年5月)

長山発電所は認可出力37,000kWの中規模の水力発電所です。遠目に見るとあまり大きくは見えなかった変電設備も近づくと大きいです。変電設備の下を通過して国道を進むというのがインパクトがあります。

平鍋ダム到着

平鍋ダム(2023年5月)
平鍋ダム(2023年5月)

平鍋ダムは堤高38mの重力式コンクリートダムです。目的はPで水力発電を目的としたダムです。国土地理院の地図で平鍋ダムから長山発電所までの導水経路を確認できます。あまり大規模な発電所ではありませんが、この導水路の施工はかなり大変だったのではないかと察せられます。

関東では見ることができないユキモチソウ

平鍋ダム近くのユキモチソウ(2023年5月)
平鍋ダム近くのユキモチソウ(2023年5月)

平鍋ダム近くの山の斜面にユキモチソウが咲いていました。残念ながら少し時期が遅かったようです。ユキモチソウは四国や紀伊半島で自生するマムシグサの一種で関東では自生を見ることはありません。管理人が見たのも初めてでした。

人面石

平鍋ダム近くの人面石(2023年5月)
平鍋ダム近くの人面石(2023年5月)

平鍋ダムの手前、慰霊碑がある場所にほど近い道路脇の人面石。平鍋ダムをむいてあります。多分、偶然じゃなくて道路を工事した時に置いたものかと…。

平鍋ダム周辺の風景

平鍋ダム周辺の風景(2023年5月)
平鍋ダム周辺の風景(2023年5月)

慰霊碑のあるちょっとしたスペースから平鍋ダム堤体向きを見たのが上の写真です。平鍋ダムの標高が190m程度で山の中に見えますが意外と標高は低いです。後から調べて気づいたのですが、このツーリングとっても山の中を走った印象でしたが標高で較べると奥多摩の小河内ダム周辺よりも低いのです。

ここから300m程度登って魚梁瀬ダムに向かいます。

鬼怒川4ダムの活躍

可愛い娘への擬人化は時世柄か…

キヌダム4姉妹のイラスト
キヌダム4姉妹のイラスト

ツーリングでは鬼怒川4ダムのうち、五十里ダム湯西川ダム川治ダムを取材しました。川俣ダムは少し離れており前回の取材ではたどり着けませんでした。4ダムといっても一直線に並んでいるのではありません。五十里ダムの上流に湯西川ダム、川治ダムの上流に川俣ダムがあります。

建設順では五十里ダム(昭和31年ー1956年)、川俣ダム(昭和41年ー1966年)、川治ダム(昭和58年ー1983年)、湯西川ダム(平成24年ー2012年)となります。「姉妹」と擬人化されていますが、五十里ダムと川俣ダムが姉妹。川治ダムは五十里ダムからみると「親子」。更に五十里ダムと湯西川ダムは「祖母と孫」位の年齢差です。人間だとすればですが…。

更に無粋なことを言うならばドイツ語のダムDammは男性名詞だそうです。まあいいか。

平成27年関東・東北豪雨での減災

キヌダム4姉妹の活躍
キヌダム4姉妹の活躍

多くのダムと同様に、この4ダムの目的には洪水調整(F)が含まれます。更なる特徴はダムが建設された直後に豪雨が発生し、その時のダム運転がどれだけ減災に役立ったか定量的に計測、アピールされている点です。

具体的には湯西川ダムが2012年に竣工・運用された3年後、関東・東北豪雨が発生しました。鬼怒川流域の各所で観測史上最大の24時間雨量を記録するなど歴史的な豪雨でした。決壊した鬼怒川の堤防から流れ出た水で家の2階まで洪水が達し、屋根の上に避難した人々を救難ヘリで救助する映像が衝撃的だったあの洪水です。

大被害の発生を完全には防ぐことは出来ませんでしたが、ダムでの放流量調整で被害を減じることが出来ました。勿論、ダム建設の意義をアピールしたい国土交通省の思惑はあるとしても、ダム建設に意義があったことがよく分かります。

4ダムの防災操作

平成27年9月関東・東北豪雨の際のキヌダム4姉妹の時系列放流量(2023年4月)
平成27年9月関東・東北豪雨の際のキヌダム4姉妹の時系列放流量(2023年4月)

それぞれのダムの位置関係は前述の通り男鹿川上流から湯西川ダム→五十里ダム、鬼怒川上流から川俣ダム→川治ダムです。男鹿川はは川治温泉周辺で鬼怒川に合流します。

このため五十里ダム、川治ダムの放流量を以下に調整できるかが洪水時には重要です。川俣ダムー川治ダムを見ると9日に流入量の最初のピークがあり、両ダムとも洪水操作を行って流量カットしていることが分かります。(グラフの紫色が流量カット分)

川治ダムと湯西川ダム→五十里ダムでは10日早朝から午前中にかけて流入ピークがあり降雨が続いたことが分かります。川俣ダムは10日には流入ピークを過ぎていたために全量流量カットし川治ダムの水位上昇を抑えています。(川俣ダムのグラフの黄色部分)

4ダムによる懸命な洪水調整が行われましたが10日11:00頃に鬼怒川が決壊してしまいます。この時点で川治ダム、五十里ダムともに流入量ピークは過ぎていましたがこれまでの貯留でダム水位に余裕がある状況ではありませんでした。しかし、10日午後から11日にかけて下流の洪水被害を最小化するためにギリギリの運転を行って放流量をカットしています。川治ダム、五十里ダムは洪水時最高水位に対して2m以下という本当のぎりぎりまで容量を使っていることが分かります。

なお、湯西川ダムは10日11:00の鬼怒川決壊後も均一な放流を行っていますがこれは洪水吐にゲートがなく自然放流式であることが原因と思われます。もしかすると、ダムの設計者は「ゲートつけとけばよかった」と思ったかも。

このように4ダムの懸命な洪水調整で減災が図られました。とはいえ、この豪雨による被害は小さいものではなかったことを考えると李佩成 氏の詩の「人力天に勝つべし」は些か僭越に過ぎる感が否めません。やはり自然に対して人は謙虚であるべきだというのが管理人の意見です。

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