ときは今 あめが下知る 五月かな
この椿は天ヶ下。一つの木につく花が非常に異なるのが特徴で紅色一色の花や紅地に小さな白い斑入り、大きな白い斑入り、ほとんど白など様々な花が着きます。天ヶ下の命名の由来はハッキリしないのですが、様々な花の変化を謀反に向かう明智光秀の心移りに見立てたものだと勝手に思っています。
日本各地の…
日本各地の椿生産者を集めて大会を催した際の記念植樹に各地名を彫った石碑が立っているのですが…、墓石状態です。もうちょっと良い見せ方があるような気がします。この各地写真に写っているのはごく一部で数十は確認できました。管理人の出身、高知県の「高知県高知市」の碑もありました。
忠魂碑がひっそりと
大正5年竣功が示された忠魂碑がありました。陸軍中将田中義一書の文字が確認出来、後の首相となる彼は確かにその当時陸軍中将だったようです。祀られているのは日清戦争以来の戦死者のようで明治二十八年や奉天などの文字が確認出来ました。(少し暗くてよく見えませんでしたが…)合掌。
次回は大室山を経由して奥野ダムに向かいます。
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