ダムや海、山、川、岬を巡るツーリングを通し関東を主に日本の風景を紹介します

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愛媛県3ダムツーリング 面河ダム

面河ダムまでの道のり

管理人の実家から国道194号線を経由し、酷道で有名な439号を西向きに進みます。ただしこの区間はちゃんとした2車線で快走路です。そして494号線へ。橋を渡って集落の中を少し東向きに走った後、山に向かって登っていきます。当初はさほどではありませんが、山中を進むに従って酷道感が増します。

1車線道路で舗装はされているので危険は感じませんが、やや舗装が傷んでいる箇所では気を遣いました。また意外と交通量が多いので前からくる4輪車との待ち合わせは所々であります。

高知県側は渓流に沿って道路があり、所々で渓流に降りて風景を楽しめるのは楽しいものです。

面河ダムの役割は非常に大きい

面河ダム記念碑とゲート機械室(2025年5月)
面河ダム記念碑とゲート機械室(2025年5月)

面河ダムは四国愛媛県の石鎚山の西側、仁淀川水系割石川に建設されています。堤高73.5mの重力式コンクリートダムで規模的には中型のダムです。目的はAIPです。その役割は特に灌漑において非常に大きく雨量が少ない愛媛県道前道後地域に農業用水を供給しています。

戦後、愛媛県道前道後地方の安定的な灌漑を図るために計画されましたが、仁淀川水系の既得利水権はお隣で下流の高知県にあり交渉が必要でした。当初、目的にはW(上水道)が含まれ人道的な観点から概ね合意にこぎつけていました。しかし予算等の都合でこれがI(工業用水)に入れ替えられたことで高知県側は態度を硬化。結局両県の担当者の懸命な交渉でなんとか計画が進み始めたそうです。

なお「水徳洽豫州」は「水の徳、豫州を洽(うるお)す」と読みくだせます。豫州は愛媛県の旧国名伊豫のこと。うるおすをあえて「潤」ではなく「洽」としたのは「いきわたる」という意味を含んでいるからかと管理人は思ってます。

面河ダムは大変な工事を経て1967年竣工

面河ダム上流側から堤体を望む(2025年5月)
面河ダム手前駐車場の説明(2025年5月)

高知県側に流れる割石川をせき止めて愛媛県側に導水するには分水嶺を超える必要があります。このため石鎚山麓に導水用のトンネルを建設し愛媛県側の中山川などまで導水しています。

この導水は「虹の導水」と呼ばれ、これにより過去には水争いで死者が出ることもあった同地方の灌漑状況は大幅に改善されました。規模的にはありふれたダムですが、果している役割はとても大きいのです。
参考 面河ダム 虹の用水へ挑んだ人々 (読み物としても面白いです)

面河ダム天端の面河堰堤表示(2025年5月)
面河ダム天端の面河堰堤表示(2025年5月)

ダムではなく堰堤表記になっていることから古いダムであることがわかります。堤頂長は159 mで往復しても大した距離ではありません。左岸側に管理事務所があり、右岸側は…行き止まりです。

面河ダム天端から発電所を望む(2025年5月)
面河ダム天端から発電所を望む(2025年5月)

ダム下流には発電所がありますが、簡単に降りていくことはできません。むしろ国道494号線からは下流側が近く、ダム堤体にたどり着くには一旦国道494号線から県道153号方面に西進する必要があります。

険しい山中の難工事であったことは思い遣られ、実際ダムに直接ダンプカーでコンクリートなどの資材を運び込むのは困難で索道を張った循環バケットが使用されたとか…。

実際、多くのダムでは山の中でもある程度の道幅が確保されていることがほとんどですが面河ダムへのアプローチは建設当時大型車が行き来できる感じではありませんでした。(近年は改良されていると思われます)

面河湖(2025年5月)
面河湖(2025年5月)

面河湖です。風景を堪能して次の目的ダムに移動します。

次は志河川ダムです。

1日3ダムツーリング(桐見ダム)

桐見ダムは国道33号線から少し入ったところ

桐見ダムをバックにCT125(2024年1月)
桐見ダムをバックにCT125(2024年1月)

桐見ダムは高知県越知町にあり高知市側からアプローチする場合、国道33号線が坂折川を渡る橋の手前で左折し県道18号線を少し進んだところにあります。

桐見ダムの天端(2024年1月)
桐見ダムの天端(2024年1月)

ダムの天端は渡ることができて桐見ダムのダム湖である桐見湖を一周することができます。天端奥左から正面の少し上に見えているのが桐見ダム展望広場です。

桐見ダムを下流側から望む(2024年1月)
桐見ダムを下流側から望む(2024年1月)

桐見ダム右岸側からはダム直下に降りることができます。結果的にはCT125で降りられますが、降りてみるまで道路状況がわからなかったので念の為徒歩で折りました。

重力式コンクリートダムの堤体にはコンジットゲートと6つの窓がついたの機械室が正面にあり、右岸側にややオフセットしてコンジットゲートが見えています。クレストゲートはなく自然越流式の非常洪水吐が設置されています。

竣工は1988年。目的はFNです。建設された理由は下流にある越知町の集落が度々洪水に悩まされていたことと明記されているので、当初の目的は洪水調整ですが下流の農地への灌漑用水の補給のため「流水の正常な機能の維持」が加わっているものと思われます。なぜFAではないのかはわかりません。

なお桐見ダムは高知県営で県営ダムの中では4番目の貯水容量規模です。(堤高は69m)

謎の裸婦、裸男像?

桐見ダム展望広場の裸像(2024年1月)
桐見ダム展望広場の裸像(2024年1月)

ダムの右岸には展望広場があります。そこには謎の像が…実は謎ではなくダム竣工時に寄贈されたものだそうです。楢俣ダム同様、何故、裸婦、裸男なのかはやっぱり謎です。(経緯は手前の石碑に書いてありました)ちょっと傷んでいるようなので補修したほうが良いのでは…。

国道33号近くの名も無き沈下橋

坂折川の名も無き沈下橋(2024年1月)
坂折川の名も無き沈下橋(2024年1月)

実際結構小さいです。もちろんCT125なら余裕で渡れますが通常の乗用車では…農作業用の軽トラやトラクター用と思われます。

一旦、自宅に帰ってお昼を食べてから再出発。

燃費と日本に関して思うこと

頂きものの仁淀川産鮎

頂き物の仁淀川産鮎(2023年8月撮影)
頂き物の仁淀川産鮎(2023年8月撮影)

夏休みに実家に帰った際にいただいた鮎。田舎のことなので近所付き合いは東京に比べると格段に濃いものです。勿論、頂きっぱなしという訳ではなく、実家の母の日頃のやり取りの一環です。

都会でしか生活したことがない人にとっては、近所付き合いは煩わしくプライバシーがなくなるネガティブ面ばかりが気になるかも知れません。一方で「遠くの家族よりご近所さん」というのはよく当たっていて日常的に頼りになるのはご近所さんです。

人が多い都会が苦手な管理人は田舎暮らしを好みますが諸般の事情で実現は簡単ではありません。

高知→土山SAの燃費

高知→土山SAまでの燃費(2023年8月撮影)
高知→土山SAまでの燃費(2023年8月撮影)

高知を出て瀬戸大橋経由で新名神土山SAまで。(三木PAは食事+休憩)ペースはほぼ法定速度。40km/lを達成した下りに比べると若干燃費は悪化して37.7km/l。発熱量が全体的に少なく冬場はオーバークール気味になりがち+グリップヒーター使用のNC750Sの特性なのか気温が高い方が燃費が良いようです。

後半は渋滞で燃費は今ひとつ伸びず

新名神土山SA→自宅最寄りGSまでの燃費(2023年8月撮影)
新名神土山SA→自宅最寄りGSまでの燃費(2023年8月撮影)

高知→東京の高速区間で渋滞する場所は名神高速高槻JCT〜大津IC付近伊勢湾岸道四日市JCT〜東海IC付近東名高速御殿場SA〜大和トンネル付近(断続時によって連続!)です。この日は足柄PA付近から大和トンネル付近までほぼ連続。燃費も36.4km/lまで悪化しました。(その上+2時間)

渋滞するのは大都市圏です。特に日曜日の夕方、東名高速の上り線渋滞は大変です。これは東名に限らず中央道、関越道、東北道、京葉道路、東関道など東京に向かう全ての道路に共通です。

東京に人が多すぎるのが根本的な原因。基本的には人口が集中するとインフラや資源の効率は上がります。しかしそれも行き過ぎて周辺の地域から電力や水をかき集めないと成り立たない程度まで集中すると渋滞やヒートアイランドなど負の側面が強くなります。

管理人の実家のある高知県もそうですが、日本各地魅力的な場所は沢山あります。リモートワークが可能になったら家賃も安く、渋滞のない地方への移住は魅力的だと思います。

東京でも奥多摩は(ダム)ツーリングに行くのには最高です。あ、でも冬寒いから管理人はダメか、残念。

沈下橋を巡るツーリング

沈下橋は関東では珍しいですが、管理人の実家の高知県ではあちこちにあります。実家の近くでも数か所あり、この日の午前中に3か所回ってきました。

名越屋沈下橋

名越屋沈下橋とCT125ハンターカブ(2023年1月)
名越屋沈下橋とCT125ハンターカブ(2023年1月)

国道194号と国道33号の分岐から194号方面に向かって比較的すぐの名越屋沈下橋です。仁淀川にかかる沈下橋で最も下流にあります。(多分…)昔はさらに下流に八田堰下流にもっと長い沈下橋がありましたが現在は廃止され撤去されています。代わりに立派な橋がかけられました。詳しい周りの風景はこちらから

片岡沈下橋

片岡沈下橋遠景(2023年1月)
片岡沈下橋遠景(2023年1月)

仁淀川上流向きに194号線を北上し、上八川川と仁淀川の合流点を少し過ぎた所で仁淀川上流向きに西向きに進むと片岡沈下橋があります。橋の下流からの遠景ですが、写真左側右岸に白く見えているのは2022年12月の大雪の残りです。

片岡沈下橋とCT125ハンターカブ(2023年1月)
片岡沈下橋とCT125ハンターカブ(2023年1月)

片岡沈下橋を渡って右岸側の風景はこんな感じです。雪が残っているのはともかくとして、山の影は結構道路が凍結していてドキドキしました。

浅尾沈下橋

浅尾沈下橋遠景(2023年1月)
浅尾沈下橋遠景(2023年1月)

「あさお」ではなく「あそお」沈下橋です。映画やドラマのロケで有名で近年ではアニメ「竜とそばかすの姫」で取り上げられたとか…。残念ながら現在架橋の補強工事中で車両通行止めでした。歩いて渡るのはOKでした。

浅尾沈下橋とCT125ハンターカブ(2023年1月)
浅尾沈下橋とCT125ハンターカブ(2023年1月)

本来、風景の良いところですが工事中につきただの工事現場になっています。少し残念ですが、生活道として重要な橋なのでメンテナンスはとても大切です。

浅尾沈下橋の説明書き(2023年1月)
浅尾沈下橋の説明書き(2023年1月)

片岡沈下橋の建設に触発されて架橋された側面もあるとのこと。へーです。因みに片岡沈下橋まではバイクではすぐですが歩いていける距離では…ないと思います。(マラソン好きな方なら大丈夫でしょうが…)

帰りに鰹を買って帰る

サングリーンコスモスふれあい市で買った鰹(2023年1月)
サングリーンコスモスふれあい市で買った鰹(2023年1月)

帰りにサングリーンコスモスふれあい市で鰹を一本買って帰りました。2000円は実家の母に言うと「高い」の感想ですが、延べ7~8人前の刺身orタタキになったのでリーズナブルなんじゃないかなあ。

マイ釣りポイント

花街道の突堤(2023年1月)
花街道の突堤(2023年1月)

この後、桂浜の近くの花街道の様子を見てCT125を返却。2週間弱で800km程度の走行距離。あちこち走り有意義な休みを過ごせました。ありがとうCT125。

仁淀川中流域の風景

桐見ダムに向かったはずが…

GW中とはいえ仕事に追われているある日、あまり遠出はできないので実家から比較的近い桐見ダムにツーリング…のはずが道に迷って行きつけず。結局国道56号に出て須崎→土佐市→いの町で帰宅することに。

途中八田堰(の跡)に立ち寄りダムに行けなかった悔しさを晴らしました。

土佐の名臣 野中兼山が建設を主導した八田堰(の跡)

八田堰(の跡)を下流左岸から望む
八田堰(の跡)を下流左岸から望む

八田堰は江戸時代初期、土佐藩の野中兼山が主導し建設され、昭和30年代に近代的な堰に改修されました。石組の堰は改修はされましたが堰の配置や形状は踏襲されている様です。特に流れの勢いを受け流すために流路に対して斜め(google mapへのリンク)に堰を作っているのはよく考えられているなあと思わされます。

野中兼山は学もあり謹直かつ実行力があり名臣と言って間違いないと思います。実際その功績で藩財政を好転させています。しかし多くの建設を行う上で農民に苦役を課したり、家臣に倹約を強いるなどの理由で罷免されてしまいます。

実際の理由は郷士を優遇したことが上士に妬まれたことだと管理人は思っています。優秀な人が有能だが身分の低い人を抜擢して能力の無い身分の高い人に恨まれるというのは古今東西小説の筋で出てきそうな話です。

罷免後、本人は数ヶ月後に病死。家族は気の毒なことに土佐藩西部宿毛に移され幽閉され子孫を残すことが禁じられました。ひどいなー。

南の谷排水機場

国交省南の谷排水機場
国交省南の谷排水機場

仁淀川中下流域は仁淀川自身が作った平野が広がり古くから田畑が開発されてきました。平野であるが故に低い土地が多く洪水による被害が多発してきました。

堤防を作り対策をしていますが、降雨時に水面が高くなると周囲から普段は流入している支流に逆流して支流側で洪水が発生します。そのため、支流の合流点に堰をつくって支流側の水をポンプで本流に流す設備が排水機場です。

仁淀川紙のこいのぼり

仁淀川紙のこいのぼり
仁淀川紙のこいのぼり

新型コロナの影響で2年間中断がありましたが、今年は仁淀川紙のこいのぼりが開催されました。国道33号線の仁淀川橋からその様子を撮影したのが上の写真。川の中にこいのぼりが泳いで(動画)います。

この場所、こいのぼりの時期はもちろんたくさんの人で賑わいますが、普段でもシーズンになればキャンプや水泳を楽しむ人々で賑わいます。いわゆる「仁淀ブルー」はこの場所よりだいぶ上流ですが、十分綺麗な水を楽しめます。

「紙の」の秘密

紙のこいのぼり
紙のこいのぼり

紙を水に泳がせたら溶けるのでは?と思いますよね。紙と称していますが、一般的には「不織布」と呼ばれているものです。製法が紙と近いのでそう呼んでいるのでしょう。なお高知県いの町は今でこそ「仁淀川」推しですが、平成の大合併以前は「紙の町」推しでした。そんな事情もあって「紙の」なんだと思います。

今回の記事を書くにあたって八田堰を調べているといの町関連のサイトでは「八田堰の跡」と表記されていました。現在も八田堰として運用されているので「の跡」は要らないように思うのですが事情をご存知の方教えて下さい。

次回はもう東京に帰ります。このGW、仕事に追われてあまりあちこちいけなかった。休み中の時間をあてにして日程立ててはいけませんね。

国道439号+早明浦ダム+大橋ダムツーリング 分水第四発電所へ

「地域と共に」の正体

エネルギープラザ本川(2021年5月)
エネルギープラザ本川(2021年5月)

大橋ダムは本川発電所(揚水水力発電)の下池として使用されており、本川発電所にはエネルギープラザ本川が併設されています。(写真右、木に隠れています)この建物の前には「地域と共に」の文字が。この文字何かというとツツジの植栽です。冬は周りの草が枯れて茶色地に緑、この時期は緑地にツツジの朱色になります。気が利いています。

吾北村はいの町になりました

「写真文化」宣言の村ごほく(2021年5月)
「写真文化」宣言の村ごほく(2021年5月)

分水第四発電所に到着。写真は発電所下流の堰。堰の右側が自然越流式の洪水吐で左側の少し奥待っているところにゲートがあります。その上に橋が架かってキャプションの文句が書かれています。「ごほく」は2004年9月の伊野町、吾北村、本川村が「いの町」に合併するまであった村です。それから15年以上たっていますが、この橋の塗装はそのままです。今後も是非残してほしいものですね。

ダムではなく堰…か?

分水第四発電所の堰(2021年5月)
分水第四発電所の堰(2021年5月)

この堰は堤高が15m以下と思われいわゆる「ダム」ではなく堰のようです。調べてみましたが何という名前かわかりませんでした。なので、分水第四発電所の堰。堤体を下流側から見るとこんな感じ。ゲートの下流が緩斜面で、越流式の洪水吐が急斜面なのは何故でしょう?

このツーリングはこれで撮影終了。結果的に2ダム+1堰のツーリングになりました。

次回から高知→東京のダイジェストをお送りする予定。

国道33号線3ダムツーリング 最後に沈下橋に寄る

大渡ダム直下流の沈下橋(大森橋)

仁淀川の沈下橋(’大森橋)(2021年5月)
仁淀川の沈下橋(’大森橋)(2021年5月)

大渡ダムを後にして大渡ダム直下流にある大森橋に寄りました。大森橋は沈下橋ですがあまり有名ではありません。規模が非常に小さいことやダム直下流で普段は流量が少なく「清流」のイメージもあまり強くないためかもしれません。一方で意外と交通量があり、沈下橋は本来「観光資源」ではなく「日常生活を便利にするインフラ」なのだと強く感じさせられます。

NC750Sを記念撮影

大森橋とNC750S(2021年5月)
大森橋とNC750S(2021年5月)

大森橋を渡ってNC750Sを停めて記念撮影。なかなかいい感じに撮れていると思います。その理由は橋を渡ってすぐ少し上った位置に車の行き違いスペースがありそこが丁度いい感じの角度で撮影できるスペースでした。が、このスペース車1台分しかなくNCが停まっている位置からまっすぐ行くと河原に突っ込みます。後ろに取り回してから乗るのですが、写真の通り結構な下り坂。ブレーキとクラッチを使いながらの取り回しですが…正直苦手。

とはいえ無事に帰路につきました。

さまざまな鳥の声が聞こえてました

大森橋の近所では様々な鳥の声を聴くことが出来ました。鳥には詳しくないのですが、ホトトギスは分かります。この後帰宅しましたが、考えてみれば午前9:00頃出発して帰宅が12:00頃。それで3ダム1沈下橋の取材って天国じゃないか?

次回から早明浦ダム編。

国道33号線3ダムツーリング 大渡ダムとNC750S、3枚の写真

ダムの立地がよく分かる一枚

NC750Sと遠景に大渡ダム(2021年5月)
NC750Sと遠景に大渡ダム(2021年5月)

大渡ダム直下にある広場に行く途中の木材集積所の前で大渡ダムを背景に撮影したNC750S。仁淀川が刻んだ谷にダムが立地していることがよく分かる一枚です。この辺りは落葉広葉樹が多く黄緑色に見えているのは春萌の葉の色です。

ガントリークレーンとゲートの規模

NC750Sと背景に大渡ダム(2021年5月)
NC750Sと背景に大渡ダム(2021年5月)

少しダムに近づいて撮影した一枚。こうやってみると前回紹介した力強いガントリークレーンも可愛らしいものです。ガントリークレーンの幅と赤いクレストゲートの幅やコンジットゲートの間隔がほぼ同じなのは偶然ではなくゲートの幅に合わせたクレーンを設置しているからでしょう。また管理事務所のデザインがなんとなくゲートに似ているのは偶然でしょうか?管理事務所のデザインに含みがあるのは合角ダムの例もあります。

大渡ダムとNC750S

大渡ダム直下にNC750S(2021年5月)
大渡ダム直下にNC750S(2021年5月)

大渡ダム直下からダム堤体を撮影しました。赤いクレストゲートから流れ落ちた水が柵越しに黒く見えるコンジットゲートから放出される水に干渉しないようモアイの鼻のような構造物が設置されているのが目立ちます。

写真の中にNC750Sはちゃんといます。どこにいるか分かりますよね。はい、ガントリークレーンの直下にいます。

次回は大渡ダム下流の大森橋(沈下橋)を紹介。

国道33号線3ダムツーリング 大渡ダムのガントリークレーン

大渡ダムの堤体を右岸側から望む

大渡ダム堤体を右岸から望む(2021年5月)
大渡ダム堤体を右岸から望む(2021年5月)

大渡ダムの堤体を右岸から望みます。左岸と比べてゲートまで距離があるので堤体全体を見渡しやすくなっています。ゲートが見えていませんが赤く見えているのが4門のゲートの取り付け位置です。大渡ダムの特徴はガントリークレーンです。

大渡ダム天端とガントリークレーン

大渡ダム天端とガントリークレーン(2021年5月)
大渡ダム天端とガントリークレーン(2021年5月)

大渡ダム天端は自動車が通れる道路になっており、その道路をまたぐ形でガントリークレーンが設置されています。このガントリークレーンはコンジットゲート(普段放流で使用するゲート)を保守する際にゲートの吞み口をふさぐゲートを操作するために使われます。なお写真左側の緑の建物は取水設備です。

ガントリークレーンを備えたダムは結構珍しく、関東では薗原ダムがあります。

メカがたくましいなあ

大渡ダムのガントリークレーン(2021年5月)
大渡ダムのガントリークレーン(2021年5月)

ガントリークレーンの駆動部分です。赤色回転灯を備えて大きなクレーンを支えて移動するための駆動部はなかなかの迫力です。移動する様子も見てみたいものですが…コンジットゲートの保守点検時という一般には分からないタイミングなのでチャンスはなかなかつかめないかも。

次回は大渡ダムを下流側から。

国道33号線3ダムツーリング 大渡ダム到着

大渡ダムに到着

大渡ダムに到着(2021年5月)
大渡ダムに到着(2021年5月)

加枝ダムを出発して更に松山市側に国道33号線を走ると大渡ダムに到着します。大渡ダムは国道33号線沿いにありまず見落とすことはないでしょう。四国を象った大渡ダムの表示の前で記念撮影。穴が開いているのは大渡ダムの位置です。高知県中部の山の中です。

左岸からは堤体は見にくい

ダム堤体を左岸側から(2021年5月)
ダム堤体を左岸側から(2021年5月)

ダム堤体を左岸から望みます。上の大渡ダム表示や案内板などが堤体の直前に配置され、左岸側から堤体を撮影しようとしても全体がフレームに入りません。国道33号線からも堤体が見える場所はあまりありませんでしたが、堤体下に広場(写真左下)があるので本格的な撮影はそこからすることにして周囲の撮影。

ちょっと変わった記念碑

大渡ダムのダム湖記念碑(2021年5月)
大渡ダムのダム湖記念碑(2021年5月)

ダムの記念碑は「沈んだ村を偲ぶ」、「工事でなくなった人を偲ぶ」、「技術的・社会的貢献を謳う」などのパターンがありますが、この記念碑は「ダム湖」の記念碑。大渡ダムのダム湖は茶霧湖と今では呼ばれていますがこれは昭和63年に命名されたものでダム建設当初は名前がありませんでした。またダムの記念碑ではなく湖の記念碑なのは漁協の建立だからかと思われます。

次回に続きます。

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