寒くてもツーリングの人がいる

小河内ダムの駐車場です。この日は寒い日でしたがツーリングのバイクは何台かいました。好き者だなあと、自分のことは差し置いて思います。
奥多摩湖、小河内ダム、空、雲

何度も見ている風景なのですが、澄んだ空気に晴れの明るさというだけで絵になります。
やっぱり寒いのです

小河内ダムの洪水吐の橋脚の陰には氷が残っていました。奥多摩はやっぱり寒いのですね。
次回はダム天端~展望広場の風景を掲載します。
ダムや海、山、川、岬を巡るツーリングを通し関東を主に日本の風景を紹介します

月夜見第1駐車場から小河内ダムを望みます。この時期山に緑がない分空の青が映えるのか水が青々と見えています。

日中に到着したので雪はだいぶ解けていましたがそれでも少し残っていました。意外と2輪ツーリングの人たちも多かったですがみんな足を出して慎重に運転していました。

ツーリングの環境として最高の奥多摩ですが、万一事故を起こしてしまうと近隣には病院がありません。救急で運び込まれるのは五日市の病院のようですがかなり時間がかかります。案内板にも念押しのように書かれてます。
次回は小河内ダムに到着します。

年が明けて高知から帰京し最初のツーリングは基本の奥多摩湖方面に向かいました。奥多摩周遊道路から留浦方面を撮影しました。あちこちの風景が見通せるので木の葉が落ちる冬場のツーリングも楽しいものです。勿論路面凍結には厳重注意です。

冬場の空気が澄んでいる風景は特に何もなくても絵になります。上の写真は月夜見第1駐車場から留浦浮橋を撮影したものです。天気の良い(けど寒い)日が続いたせいか意外と山々には雪は残っていませんでした。

年も明けると流石にススキも穂がなくなって枯れすすき。「まずーしさに負けたー♪」ではなくて寒さに負けてるのだと思います。
次回は小河内ダム方面に向かいます。

長沢ダム近辺を歩き回って十分撮影もしたのでそろそろ帰途につきます。その前に記念撮影。ピントが甘く、写真がボケ気味なのは腕の問題もありますが、古いレンズ(1976年発売 FD80-200mm F4 S.S.C.)を使用してみました。

この写真はやや手ブレしています。200mmの望遠で手ブレ補正なしだとこんなものか?この日はこの時間帯やや曇っていたので、もう少し明るければシャッタースピードを上げることもできたのでしょうけど…。あるいは感度(ISO1000)とかで撮影する手もあったのですが…キリがないのでこのレンズでの撮影はいったん終了。昔のカメラはいろいろ大変だったのだと実感。

長沢ダムの下流を望みます。川には庭石になりそうな石がゴロゴロと転がっています。今でこそ河川法で取り締まりが厳しくなっていますが、おおらかな昔は勝手に持っていく人も結構いたそうです。

長沢ダムの下流にある長沢取水堰です。堤高が15mに満たないので正式にダムではなくて堰です。この長沢取水堰はハッキリした情報がないのですが近隣の上水道水源になっているようです。
これで、大橋ダム、長沢ダムの2堰堤をめぐるツーリングの写真掲載は終わり。明日からまた別のシリーズを掲載します。

「南国土佐を後にして~♪」の印象が強いせいか高知県は冬暖かいイメージですが、高知市の1月の最低平均気温は東京とほぼ同じです。吉野川上流の大橋ダムや長沢ダムがある地域は標高600m程度ですから、例えば小河内ダム+奥多摩湖近辺の気候に近いです。なので、冬季は水たまりは凍りますし、道路も凍結注意です。(撮影の日は暖かい日を選んでいますが、それでも水たまり凍結中。)

長沢ダム右岸には「之人堤神社」があります。本当に最近(令和二年)建立されたばかりの神社ですが来歴も祭神も全く分かりません。一般的にダム近辺には記念碑やダム建設で亡くなった人たちの慰霊碑は立っていますが、神社は珍しいように思われます。

長沢ダムの左岸天端から伊吹山と思われる山体が綺麗な姿を見せていました。1500mを超える頂上付近には雪が積もっています。
山は経験もない上に詳しくないので高度地図から方向と山体を頼りに探しています。もし山の名前が違っていたらコメントで優しく教えてください。
次回は長沢ダム近辺の風景最終回を掲載します。

長沢ダムの下流側の堤体は県道40号から分かれて、発電所へ向かう小さな道路を下っていくととてもよく見えます。黒ずんだコンクリートの風情が建設が古いことを物語っています。大橋ダムより若干後の竣功が1949年ですから実際古いです。

長沢ダムの天端に到着しました。大橋ダムと同じく「長澤堰堤」の表示。やはり昭和30年代頃まで「ダム」標記は少なかったのかもしれません。但し現在の正式名称は「長沢ダム」です。

長沢ダムのダム湖は「長沢貯水池」です。この辺も大橋ダムと同じです。長沢ダムからの風景は瓶ヶ森林道が通っている山体に特徴があります。山体を大きく削って林道を通しているのが良く分かります。写真左上の方に削られた山が見えていますがおそらく子持権現山付近と思われます。
明日も長沢ダム周辺の風景を掲載します。

大橋貯水池を右手に臨みながら上流側に少し走ると本川発電所と「よんでんエネルギープラザ本川」が見えてきます。さまざまな展示があるらしいのですがこの日は長沢ダムも撮影したかったので入館せずに通り過ぎます。「地域と共に」の植え込みが印象的です。

大橋発電所から少し進んだ道沿いからは大橋ダムの堤体が良く見えます。これだけ上流側、下流側双方から堤体が良く見えるダムは古いダム(例えば相模ダムは下流側から公道からは見えにくい)ではあまり多くない印象で、写真撮影も楽しめます。

国道194号に戻り、高知市側に少し走って県道40号に入ってしばらく行くと次の目的地の長沢ダムが県道からちらっと見えます。県道40号は高知県側から石鎚山方面に向かうメインのルートです。温暖な気候の四国とは言え冬季は2輪で山の方まで行くのは躊躇われますが、夏の時期には一度行ってみたいルートの一つです。
明日は長澤堰堤こと長沢ダム周辺の風景を掲載します。

大橋ダムの天端を左岸から撮影した写真です。少し小さくて見にくいですが、天端の欄干の途中にあるライトが何ともおしゃれなのが特徴的です。ライトの向こうに見えるのがダムの管理事務所。ダム堤体近くにはいわゆる「駐車場/駐輪場」はありませんが駐車/駐輪するスペースは十分あります。

昭和16年4月に建てられた大橋堰堤記念碑です。建設計画の経緯や技術的課題とその解決、完成したダムの諸元などが刻まれています。今どきのダムなら移転に協力した人々への感謝とかが強調されますが「(堰堤で分水し発電することの技術的解決は)実に我国における画期的設計にして今後永く此種流域変更計画の基準となるべきことと信ず」とあって技術的な画期性が高らかに謳われています。(もちろん大橋貯水池の水面下に沈んだ集落はありました。それはまた別の回で。)

大橋ダムの堤体を上流側から見た写真です。重力式コンクリートダムの上部にゲートを上下する機械塔とゲートを設けて洪水吐とし、その天端に通路を通しています。ほぼ同時代に建設された相模ダムと構造がよく似ています。ダムの規模は大橋ダムの方が堤高が高いのですが、大橋貯水池の貯水量は貯水面積に応じて相模湖の3分の1程度です。
次回は大橋ダムを出発します。

大橋ダムの右岸側から天端を歩いていくとまず機械室があります。機械室の中のモーターやワイヤーの巻き上げ機が見えるのが珍しい。機械室の上に立っているのは小型の基地局アンテナか?不明です。

大橋ダムの中央付近にはテラスがあります。270°位の視界は絶景かもしれませんが見るからに手すりが低いうえに古い…こわごわ行ってみようかと思いましたが「立ち入り禁止」。良かった。高いところ苦手です。

大橋ダムは吉野川本流と支流葛原川の合流直前の本流側にあります。ダム天端から下流側を見ると左手が葛原川の上流、右手が吉野川下流という比較的珍しい風景が望めます。
明日も大橋ダム周りの風景を紹介します。

大橋ダムは国道194号から比較的近くにあります。高知市側から本川トンネルの手前から東の向きに入るとダム湖側から、トンネルを抜けてから東向きに入ると下流側からのアプローチになります。今回は下流側からのアプローチを選択。しばらく走っているといきなりダムの堤体が現れてちょっと感動的。下流側からのアプローチがお勧めです。

現在では大橋ダムですが建設当初は「大橋堰堤」と呼んでいたようです。随分古めかしい呼び方ですがそれもそのはず建設開始は昭和12年で昭和14年竣工。堰堤の呼び名は当時「ダム」と呼ぶのが一般的ではなかったか、あるいは敵性語なので「ダム」の言葉を避けたのかは不明です。
ただ戦後の昭和27年に建てられた「石小屋堰堤」の碑もあるように当時は「ダム」より「堰堤」の方が一般的な呼称だったのだろうと推察しています。

大橋ダムでできたダム湖は「~湖」と呼ばれることが多いですが、大橋ダムの場合「大橋貯水池」。近所にある長沢ダムも「長沢貯水池」。でも流域下流の早明浦ダムは「さめうら湖」。建設年次が古い場合「貯水池」になっているのかもしれません。
次回は大橋ダムの風景を掲載します。
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