ダムや海、山、川、岬を巡るツーリングを通し関東を主に日本の風景を紹介します

カテゴリー: 夏 ( Summer in Japan ) (5ページ目 (10ページ中))

三保ダムツーリング(三保ダム編)

東名高速道路下り大井松田の次の出口は足柄スマートIC

6月某日これまで取材していなかった場所に行こうと決めて、行き先を三保ダムに決めました。三保ダムへのアクセスは東名高速を下って山北辺りで降りて県道76号へ…程度のうろ覚えで出発。

東名高速に山北辺りに出口はありません。結局足柄スマートETC出口で出て国道246号を引き返して県道76号へ。通常は大井松田で降りて国道246号を下るようです。

三保ダム到着

三保ダムの大要(2022年6月)
三保ダムの大要(2022年6月)

少々道に迷い気味でしたが、国道246号を東に戻り県道76号線に入ってしばらく進んで三保ダムに到着。「三保ダム」の碑の裏側には大要が彫られた石板が埋め込まれており天端に行く前に予習。

アースダムに見える

三保ダム目的FWPロックフィルダムで堤高95mなどなど。ロックフィルダムとはいえ下流側堤面は土で被覆されて植生があるのでアースダムにも見えます。また下流側堤体を斜めに通路が葛折になっており徒歩で堤体下の公園に降りることができます。(が、体力温存のため、堤体下には後でバイクで行くことに)

三保ダムの天端(2022年6月)
三保ダムの天端(2022年6月)

三保ダムのダム湖が丹沢湖

三保ダム天端から見る丹沢湖(2022年6月)
三保ダム天端から見る丹沢湖(2022年6月)

丹沢湖を三保ダム天端から望みます。地図で見ると分かるとおり丹沢湖は半島によって東西に分けられたような形で、西側のダム天端からは湖の大部分を見渡すことはできません。

また酒匂川水系最大となるこのダムは計画当時「酒匂ダム」と呼ばれていたのですが、丹沢湖に没する「三保」地区の地名を残すため三保ダムと命名されたとか。元々三保村がありましたがダム建設前の昭和30年に周囲の町村と合併して山北町になったとか。(この段落wikipedia「三保ダム」参照してます。)

三保ダムは独特の雰囲気

三保ダム天端の三保ダム表示(2022年6月)
三保ダム天端の三保ダム表示(2022年6月)

三保ダムは独特な雰囲気です。丹沢湖を訪れる観光客の立ち寄りも多いですし、地元(と思われる)の若者達は上半身裸でスケートボードに興じていました。そして、ダム天端中程の広場では地元の小学生が録音したと思われる丹沢湖、美保ダムの説明が再生されていました。そしてそのスピーカーの前には三保ダムのタイル表示…大きすぎて気付きにくいのとカメラのフレームに収まらないのが難点です。

神奈川県の大ダム(宮ヶ瀬ダム相模ダムなど)は観光にも配慮されているのが良くわかりました。

フィルダムらしからぬ立派なゲート

三保ダムのゲート(2022年6月)
三保ダムのゲート(2022年6月)

この前の「三保ダム」タイルあたりから右岸堤体を望むとロックフィルダムとは思えない立派なゲートが並んでいます。まるでロックフィルダムに重力式コンクリートダムがくっ付いているようにも見えます。

管理人が地図を確認した上での推測ですが、三保ダムは二つの谷にロックフィルダムを設置して三保ダムタイル広場辺りは元々もう少し標高が高い尾根があったのを削っているように見えます。

小さい方の谷に洪水吐ゲート、大きい方の谷に重力式コンクリートダムの本体堤体を建設している小河内ダムを思い出しました。(小河内ダムは途中の尾根を削らず残しています)

5連ゲートが格好良い

三保ダムの5連ゲートと非常用洪水吐(2022年6月)
三保ダムの5連ゲートと非常用洪水吐(2022年6月)

三保ダムのゲートは4門がラジアルゲート、1門がローラーゲートで自然越流式の洪水吐を備えます。何故5門のうち1門だけローラーゲートなのかは分かりません。ご存じの方教えてください。

なおこの写真一番手前のゲートがローラーゲートで、奥4門がラジアルゲートです。ゲートを開放した時の水深はラジアルゲートの方が深そう(ゲート下端が高い)なので微調整的な放流はローラーゲート、大容量の放流の際にラジアルゲートを開放とかの運用なのかもしれません。

大場所、三保ダムの前半はこれでお終い。後半はダム下流の公園から見た美保ダムなどを掲載します。

塩川ダム・大門ダムツーリング(大門ダム編)

大門→西部警察=世代が分かる

塩川ダムの次は大門ダムに向かいます。「大門」というと昔、西部警察という刑事ドラマ(?でよいのか)のボスの名前が大門圭介で亡き渡哲也さんがその役をやっていたのを思い出します。管理人の世代がバレます。

大門ダムは塩川ダムから少し山を下って国道141号を北上して比較的すぐのところにあります。

管理事務所から大門ダムの堤体を望む

大門ダム管理所前から堤体を望む(2022年6月)
大門ダム管理所前から堤体を望む(2022年6月)

国道から少し入ったところに管理事務所があり大門ダムの堤体を眼下に見ることが出来ます。堤高65.5mの重力式コンクリートダムです。目的はFNWP。ゲートは見にくいですが、常用洪水吐のローラーゲート1門とラジアルゲート1門あとは自然越流式の非常用洪水吐。ダム天端からゲートの機械室にアクセスする形になっており天端中央部の飛び出た構造が特徴的です。

しかし更に特徴的なのは

大門ダムの植え込みとアスファルトフェイシング(2022年6月)
大門ダムの植え込みとアスファルトフェイシング(2022年6月)

管理事務所前から対岸を望むと「大門ダム」、「きよさとこ」の植え込みと黒い面が見えます。この前の塩川ダムと同じく大門ダムも透水性の高い場所に位置するためアスファルトフェイシングして遮水しています。塩川ダムでは遮水土式ロックフィルでしたが、それとの対比が大変興味深いです。

対岸から大門ダムを望む

大門ダムのゲートとNC750S(2022年6月)
大門ダムのゲートとNC750S(2022年6月)

管理事務所から先に進むと対岸に出ることが出来ます。大門ダムのゲートとアスファルトフェイシングの遮水構造が見て取れます。奥に見えているのは駒ケ岳か?雲がかかっていますが晴れていれば絶景だと想像できます。

国道141号は交通量が多い

大門ダムから国道141号を望む(2022年6月)
大門ダムから国道141号を望む(2022年6月)

大門ダムは人里離れた場所にあるとはいえ国道141号から至近でまた通過している自動車の音も聞こえてきます。国道141号は山梨県韮崎市から長野県茅野市に至り、意外と交通量が多いです。

大門ダムを左岸から望む

大門ダムを左岸下流側から望む(2022年6月)
大門ダムを左岸下流側から望む(2022年6月)

大門ダムの一門のローラーゲートとラジアルゲートの機械室配置がよくわかる一枚です。上側の機械にアプローチするらせん階段と下に降りるための階段があるのが特徴的です。ラジアルゲートの位置を見ると、ラジアルゲートを開けた時の放水は堤体構造物の下を通過して下の開口部から放流される構造か?

何かと話題の多い大門ダム

大門ダムの石碑、土木学会技術賞記念碑とNC750S(2022年6月)
大門ダムの石碑、土木学会技術賞記念碑とNC750S(2022年6月)

大門ダムのアスファルトフェイシング構造は日本土木学会の技術賞を受賞しています。その写真奥の石碑がその記念碑です。

なお大門ダムのダム湖は「清里湖」と名付けられています。国道141号をもう少し北上すると清里駅があり、この地域の地名から採られています。そしてこの清里は小河内ダム建設時、湖底に沈む丹波山村の集落の方々が入植し開拓した場所です。清里と呼ばれ始めたのは明治初期、実際に人々が入植し増えてきたのが戦後~この頃からのようです。

冬季には氷点下20度にもなるこの地域の開拓は過酷を極め、またそれに伴う人間模様も複雑です。これらのことは清里観光振興会のHPで詳しく、涙なくしては読むことが出来ません。是非、ご一読ください。(観光振興会の回し者ではありませんが…)

NC750Sで初…

東京⇔高知を走るときを除いて、初めて日帰りツーリングの途中で給油しました。帰りのルートは国道141号から中央自動車道。しかし渋滞のため大月で国道20号へ。八王子近辺で走行距離が400km、燃料の残り2l程度。

超低燃費運転で自宅近くまで行けるかどうか…無理する必要ないので給油。その後は順調に自宅まで走りましたが、一日中走り回り結構渋滞+長い街乗り含め450kmはかなり疲れました。

次回は…神奈川県のダムへ。

塩川ダム・大門ダムツーリング(塩川ダム編)

山梨県営ダムは6基(深城ダム荒川ダム琴川ダム広瀬ダム、塩川ダム、大門ダム)ありますが未取材だった塩川ダムと大門ダムにツーリングに行ってきました。経路は青梅街道→秋川街道→檜原街道→奥多摩周遊→大菩薩ライン→国道20号→県道23号で塩川ダム+みずがき湖へ。うん、東京から行くと遠いです。

奥多摩周遊道路 月夜見第一駐車場

奥多摩湖と小河内ダムを月夜見第一駐車場から(2022年6月)
奥多摩湖と小河内ダムを月夜見第一駐車場から(2022年6月)

奥多摩周遊道路を楽しんでその途中月夜見第一駐車場から奥多摩湖と小河内ダムを撮影。余水吐き前のテラス?の上まで水が来ていて以前より貯水率が高いことが分かります。梅雨ですしね。

そういえば、直接柳沢峠方面に向かおうとしたのですが、崩落があって青梅街道が途中で通行止めになっていました。小菅から県道18号で丹波山に抜けました。県道18号は急こう配、急カーブが多く慎重な運転が必要ですが、舗装状態は良くツーリングすると楽しい経路の一つです。

柳沢峠から富士山は…見えず

柳沢峠から富士山が見えない(2022年6月)
柳沢峠から富士山が見えない(2022年6月)

大菩薩ラインに抜けて柳沢峠。富士山の眺望が有名な峠ですがこの日はあいにく雲隠れ。とろろそばなど食べて腹ごしらえして少しタイミングをずらしましたがこの日は姿を見ることは出来ず。いつも絶景とはいきません。まあ、梅雨ですしね。

大菩薩ラインを下って国道20号線へ。直進して途中で県道23号に入ればOKなのですが、行き過ぎました。さらに雨が降ってきます。雨具を着るついでに地図を確認。国道20号が釜無川を渡る午頭島公園前でUターンして県道23号方面へ。この途中は方向感覚だけを頼りに移動したので経路不明。管理人得意技の迷子です。

迷い道もツーリングの魅力でしょ

韮崎市から富士山を望む(2022年6月)
韮崎市から富士山を望む(2022年6月)

道を迷っていると雨が上がり富士山が姿を現しました。最短距離で目的地に行く必要のないツーリングのだいご味でもありますね。

塩川ダム到着

塩川ダムの天端(2022年6月)
塩川ダムの天端(2022年6月)

県道23号を北上すると塩川ダムに到着します。トンネルを抜けると直接ダムの天端というのは割と珍しいように思います。下久保ダムや白丸調整池ダムもトンネルを抜けていきますが、出口が天端という訳ではありません。ダムの施設のデザインが琴川ダムに似ているように思いました。

塩川ダムを右岸から望む

塩川ダムの堤体を右岸から望む(2022年6月)
塩川ダムの堤体を右岸から望む(2022年6月)

塩川ダムの堤体ゲートを正面から見える場所はダム直下の発電所からですが、立ち入りは平日の申込制です。残念ながら立ち入ることが出来ないので右岸で我慢。

山梨県営塩川ダムは堤高79mの重力式コンクリートダム目的はFNAWPです。常用洪水吐のゲートが三門、非常用洪水吐は自然越流式になっていますが上の写真ではゲートが見えない。

ロックフィルダムそのものの遮水工が特徴的

塩川ダムと遮水工(2022年6月)
塩川ダムと遮水工(2022年6月)

塩川ダムを上流側から見るとゲート3門を確認できます。また上の写真左側に「遮水工」が見えています。この地域は火山噴出物で出来た台地(Wikipedia)で透水性が高いために遮水工を施工して水漏れを防いでいます。遮水工と言っても元の山体の1/3を堤体の一部にしてその上に遮水土とロックを積み上げた構造になっていて見た目はロックフィルダムですし、2/3は実質ロックフィルダムです。

途中道を間違ったせいで時間に余裕なく次の目的地大門ダムに向かいます。

3ダムツーリング 下久保ダム~合角ダム~武甲山~正丸峠

下久保ダムの角を上から望む

下久保ダムの角とNC750S
下久保ダムの角とNC750S

下久保ダムといえばやはり「角」です。国道462号から下久保ダムを通って少し山を登ると城峯公園がありますがその入口付近で撮影したのが上の写真。奥に下久保ダムのクレストゲートと取水塔が見えており、右手に角。角を曲がって手前側に補助ダムです。補助ダムの下が三波石峡

アユ釣りが解禁になっていました

国道462号から県道71号線へかかる橋から
国道462号から県道71号線へかかる橋から

国道462号線に戻り、佐久穂方面にしばらく走って県道71号線へ。県道71号線は高崎神流秩父線とも呼ばれて神流町から秩父に抜ける経路で程よいワインディングが続いています。その県道71号線の入り口の橋から撮影した風景。アユの友釣りを楽しむ釣り人の姿が多くありました。

合角ダム到着

合角ダムとNC750S
合角ダムとNC750S

県道71号線上の標識では合角ダムは表示されておらず(見落とした?)吉田元気村への標識が表示されています。この道は県道282号で少し進み吉田元気村から対岸に渡る橋から合角ダムとNC750Sの写真を撮影。写真右下のガードレール側は私有地なので立ち入ると怒られます。ご注意。

「合」「角」を意識してますよね

角の字に見えるか管理棟
角の字に見えるか管理棟

合角ダムの管理棟です。手前の小さめの建物は「合」の字を意識してますし、管理棟は屋根の部分を角の字の上の部分に見立てると「角」に見えますね。以前に訪問した時にはこの角度から管理棟を撮影していなかったのでやっと確認できました。

合角ダムを展望台から望む

合角ダムを展望台から
合角ダムを展望台から

合角ダム左岸側には展望台が設置されています。長い階段を上るときっと絶景が…と思いましたが長い階段を苦労して登った割には…。いや、いい景色ですよ、でも階段の長さを考えると…紅葉の時期とかにもう一度来る…か?

小鹿野から武甲山を望む

小鹿野から武甲山を望む
小鹿野から武甲山を望む

合角ダムを出発し、国道299号線に出て小鹿野を秩父方面に走ると武甲山が良く見えます。非常に魁偉かつ人工的な山体が特徴的な武甲山。石灰岩の採掘がはじまる前から名山として名高かったそうです。

正丸峠に寄ってから帰宅

正丸峠ー昭和天皇行幸の記念碑
正丸峠ー昭和天皇行幸の記念碑

帰宅の経路は県道53号(秩父青梅線)を通って青梅経由を考えていましたが、県道53号の途中、正丸峠の入り口が目についたのでそちらに経路変更。正丸峠には「御展望記念碑」が立っていました。昭和天皇陛下行幸とありますから昭和の頃に行幸されたのでしょう。

奥に飯能、入間、日高の市域を展望できるようです。少し時間が無くなってきたので再訪を期して帰途につきます。

帰途はいつもの国道299号~国道16号~青梅街道を考えていましたが新ルート開拓の意味も込めて国道463号経由を選択。しかしこれは大失敗。入間~所沢で大渋滞し途中狭山湖を通過して青梅街道に抜けましたが、おそらく1時間以上余計な時間がかかりました。新ルート開拓はうまくいきませんでした。

今回のツーリングはこれでおしまい。次は…奥多摩経由山梨県営ダムを予定。

仁淀川中流域の風景

桐見ダムに向かったはずが…

GW中とはいえ仕事に追われているある日、あまり遠出はできないので実家から比較的近い桐見ダムにツーリング…のはずが道に迷って行きつけず。結局国道56号に出て須崎→土佐市→いの町で帰宅することに。

途中八田堰(の跡)に立ち寄りダムに行けなかった悔しさを晴らしました。

土佐の名臣 野中兼山が建設を主導した八田堰(の跡)

八田堰(の跡)を下流左岸から望む
八田堰(の跡)を下流左岸から望む

八田堰は江戸時代初期、土佐藩の野中兼山が主導し建設され、昭和30年代に近代的な堰に改修されました。石組の堰は改修はされましたが堰の配置や形状は踏襲されている様です。特に流れの勢いを受け流すために流路に対して斜め(google mapへのリンク)に堰を作っているのはよく考えられているなあと思わされます。

野中兼山は学もあり謹直かつ実行力があり名臣と言って間違いないと思います。実際その功績で藩財政を好転させています。しかし多くの建設を行う上で農民に苦役を課したり、家臣に倹約を強いるなどの理由で罷免されてしまいます。

実際の理由は郷士を優遇したことが上士に妬まれたことだと管理人は思っています。優秀な人が有能だが身分の低い人を抜擢して能力の無い身分の高い人に恨まれるというのは古今東西小説の筋で出てきそうな話です。

罷免後、本人は数ヶ月後に病死。家族は気の毒なことに土佐藩西部宿毛に移され幽閉され子孫を残すことが禁じられました。ひどいなー。

南の谷排水機場

国交省南の谷排水機場
国交省南の谷排水機場

仁淀川中下流域は仁淀川自身が作った平野が広がり古くから田畑が開発されてきました。平野であるが故に低い土地が多く洪水による被害が多発してきました。

堤防を作り対策をしていますが、降雨時に水面が高くなると周囲から普段は流入している支流に逆流して支流側で洪水が発生します。そのため、支流の合流点に堰をつくって支流側の水をポンプで本流に流す設備が排水機場です。

仁淀川紙のこいのぼり

仁淀川紙のこいのぼり
仁淀川紙のこいのぼり

新型コロナの影響で2年間中断がありましたが、今年は仁淀川紙のこいのぼりが開催されました。国道33号線の仁淀川橋からその様子を撮影したのが上の写真。川の中にこいのぼりが泳いで(動画)います。

この場所、こいのぼりの時期はもちろんたくさんの人で賑わいますが、普段でもシーズンになればキャンプや水泳を楽しむ人々で賑わいます。いわゆる「仁淀ブルー」はこの場所よりだいぶ上流ですが、十分綺麗な水を楽しめます。

「紙の」の秘密

紙のこいのぼり
紙のこいのぼり

紙を水に泳がせたら溶けるのでは?と思いますよね。紙と称していますが、一般的には「不織布」と呼ばれているものです。製法が紙と近いのでそう呼んでいるのでしょう。なお高知県いの町は今でこそ「仁淀川」推しですが、平成の大合併以前は「紙の町」推しでした。そんな事情もあって「紙の」なんだと思います。

今回の記事を書くにあたって八田堰を調べているといの町関連のサイトでは「八田堰の跡」と表記されていました。現在も八田堰として運用されているので「の跡」は要らないように思うのですが事情をご存知の方教えて下さい。

次回はもう東京に帰ります。このGW、仕事に追われてあまりあちこちいけなかった。休み中の時間をあてにして日程立ててはいけませんね。

奥利根3ダムツーリング 人生初ダム○○○ 奈良俣ダム編

奈良俣ダムは突然現れる

奈良俣ダムの堤体(2021年7月)
奈良俣ダムの堤体(2021年7月)

奈良俣ダムは群馬県道63号を走っていると突然堤体が現れます。この場所からは歩いてダム堤体に上ることが出来る遊歩道が整備されているようでした。が、歩きません。奥野ダムでダムを徒歩で上り下りするのは懲りました。シンプルな直線の洪水吐が潔さ?を感じさせます。車両で堤体に上る登り口は県道63号をもう少し片品方面に走り龍洞を超えた所を左折します。

奈良俣ダムのあれこれ

NC750Sと奈良俣ダムの碑(2021年7月)
NC750Sと奈良俣ダムの碑(2021年7月)

奈良俣ダムの石碑の前でNC750Sの記念撮影。奈良俣ダムはいろいろと話題があります。その1、ダムは「奈良俣」ダム、川は「楢俣」川、ダム湖は「ならまた」湖。なぜこんなに表記を分けたのでしょう。その2、前々回の須田貝ダムは楢俣ダムと命名されていた。しかし奈良俣ダムが出来る際に須田貝ダムに名称が変更された。へーです。

奈良俣ダムの堤体を左岸から望む(2021年7月)
奈良俣ダムの堤体を左岸から望む(2021年7月)

奈良俣ダムは堤頂高158mでロックフィルダムでは日本で3番目の高さを誇ります。高さだけでいえば矢木沢ダムよりも高いのですが高度感はありません。ただスケールの大きさに圧倒されます。なお洪水調整やかんがい、上水道利水などの目的を持つ多目的ダムです。

多目的の中でも水道水の供給が多く、群馬県2.435t/秒、茨城県0.179t/秒、埼玉県0.951t/秒、千葉県2.41t/秒、東京都2.07t/秒が供給されています。群馬県自身が使用する量より他都県に供給する量の方が多いのです。矢木沢ダムには東京都民が頭が上がりませんでしたが、奈良俣ダムには都民に加え千葉、埼玉、茨城県民も感謝せねばなりません。東京首都圏を利根川上流域の雪解け水が支えている構図がここでも見て取れます。

発電は12,800kWの発電能力であまり大きくはありません。この記事の一番最初の写真の右側にあるのが発電所です。

突然男性の裸像(2021年7月)
突然男性の裸像(2021年7月)

奈良俣ダムの最も特徴的なのは男性裸像かもしれません。由来、来歴はよくわかりませんが夏の青い空と雲、巨大なダム堤体に男性裸像。「なぜだ」と心の中で呟きました。

奈良俣ダムの洪水吐(2021年7月)
奈良俣ダムの洪水吐(2021年7月)

下から見てまっすぐな洪水吐は上から見てもまっすぐです。そりゃそうだ。下流側左手に発電所があり奥に見えている道路が群馬県道63号です。目立った減勢工がありませんでしたが、流れ落ちた場所の水深が深そうなので護岸された水深の深い減勢工になっているのかもしれません。(推測です。)

奈良俣ダムの周りは小ダムがたくさん

  • 奈良俣ダムから見える小ダムの一つ。やや広めの自然越流式洪水吐が特徴的。
  • 奈良俣ダムから見える小ダムの一つ。狭くて高さのある自然越流式洪水吐が特徴的。
  • イヌの顔のように見える堤体が可愛らしい。でも泣きながら吐いているようにも見えます。ちょっとかわいそう。
  • ピンボケでごめんなさい。ダムの奥の植物がかなり育ってダム堤体の上の方まで来ています。かなり土砂で埋まっている様子です。

奥利根のダムの特徴は接する山から直接雪解け水が流れ込むことです。奈良俣ダムもそうで、各所からの土砂流入を防ぐためと思われる小ダムが各所にあります。確認できただけでも4基あってそれぞれデザインが特徴的でした。

奈良俣ダムの洪水吐ゲート(2021年7月)
奈良俣ダムの洪水吐ゲート(2021年7月)

奈良俣ダムの洪水吐ゲートです。このゲート中々面白い構造になっていて、低水位を維持する場合中央のゲートを上げてゲートの下から放流します。中くらいの時ゲートをおろしてゲートの窓から放流します。更に洪水になると自然越流式になり左右から越流する仕組みのようです。面白いですね。

人生初はダムカレー

人生初のダムカレー(2021年7月)
人生初のダムカレー(2021年7月)

タイトルの○○○は「カレー」でした。あちこちのダムには行くのですが、ツーリング中にあまり食事をしないのとカレーそのものがそこまで好きなわけではないのでこれまで食べたことがありませんでした。この日は須田貝ダムから始まり矢木沢ダムを歩き回り、奈良俣ダムでまた歩き回り写真撮影。朝食も食べていなかったので思い切ってダムカレーに挑戦(大袈裟)。

注文してしばらくして出てきたのがこれです。奈良俣ダムのロックフィル感と洪水吐を福神漬けで表現しているところが中々良いです。またロックフィルダムからカレーが漏れないようにライスは結構硬めに成形しているところなど中央遮水土を彷彿とさせます。管理人にはご飯がみっちり成形されていた分ちょっと多かったかもですが味は上々。

満腹の後は、奥利根ゆけむり街道を走破します。

奥利根3ダムツーリング 見どころが多い矢木沢ダム編

流石に大きい矢木沢ダム

矢木沢ダムは堤体高131mのアーチダムです。東電の管理用道路を進むと堤体が見えてきますが、道路とダムの位置関係からほぼ正面からみることになるのでアーチがあまり感じられません。この橋を越えて直進すると発電所(但し一般車進入禁止)、左折して一気にダム堤体高分を登って駐車場に至ります。

管理用道路から見る矢木沢ダム(2021年7月)
管理用道路から見る矢木沢ダム(2021年7月)

矢木沢ダムのダム湖は「奥利根湖」

奥利根湖の表示と奥利根湖(2021年7月)
奥利根湖の表示と奥利根湖(2021年7月)

駐車場にNC750Sを停めて、管理事務所を抜けてダム湖側に出ると「奥利根湖」の表示があります。奥利根湖は小河内ダムの奥多摩湖と比べると少し多い貯水量を持ちます。特徴的なのは地図で見ると非常にギザギザとした形をしています。これは周囲の山地からの雪解け水がそのまま小さな谷をつくりながら流れ込むことが原因と考えられます。奥多摩に比べると奥利根は圧倒的に積雪量が多い豪雪地帯です。

水はすべての生命 ー 瑞雪

水はすべての生命(2021年7月)
水はすべての生命(2021年7月)

瑞雪とは何かの吉兆として降る雪のことです。実際、奥利根湖の水は所在する群馬県だけではなく東京都にも供給されており我々の生活になくてはならないものです。このようなダムを寿ぐ碑や掲示は四国の早明浦ダムにもあります。その言葉は「四国の○○ ○ 」。期せずして似ています、リンク先でご覧ください。

洪水吐と余水吐

矢木沢ダムの洪水吐(2021年7月)
矢木沢ダムの洪水吐(2021年7月)

矢木沢ダムの洪水吐のゲートです。矢木沢ダムの目的に洪水調整が含まれているので洪水吐と呼んでよいはずです。ところがゲートの製造者三菱重工業によるプレートには「矢木沢ダム余水吐ゲート」と記載があります。ダムの公式HPやパンフレットには洪水吐。あまり厳密に分けられていないのか?

ウィングダムとわきダム

矢木沢ダムの洪水吐とウイングダム(2021年7月)
矢木沢ダムの洪水吐ー下流側から(2021年7月)

矢木沢ダムはアーチダムとして有名ですが左岸側は地質上の問題でコンクリートの重さでダム端部を支えています。上の写真の洪水吐が見えている部分がそれにあたります。このような構造はウィングダムと呼ばれ、有名な黒部ダムは両岸にウィングダムがあるそうです。

ウィングダムの手前に土手が見えていますが、はしダムと呼ばれダムの一部になっています。奥利根湖は二つの谷をせき止めて出来ているようで大きな谷をアーチダムとウィングダムでせき止め、小さな谷をはしダムでせき止めて一つの大きな湖を形成したものです。なおはしダムの上が駐車場になっています。

設計者はひょっとして○○がお好き?

矢木沢ダム洪水吐のバンク(2021年7月)
矢木沢ダム洪水吐のバンク(2021年7月)

矢木沢ダムの洪水吐ははしダムでせき止められた方の谷に誘導されています。この流路を見るとカーブしているところでバンクが付けられています。流れの外側にこぼれにくくするための措置だと思いますが…直感的には必要か?と感じてしまいました。ひょっとすると設計者が競輪好きでバンクを付けたかったのではと思ってしまいました。

右岸から矢木沢ダムの堤体を望む

右岸から望む矢木沢ダムの堤体(2021年7月)
右岸から望む矢木沢ダムの堤体(2021年7月)

右岸から矢木沢ダムの堤体を望みます。横長ではカメラのフレームに収まりません。高さ131mで非常に高度感があります。高さだけではなくダムの3次元的なアーチの影響で足元も見渡せることも大きく影響しています。重力式コンクリートダムの斜面の堤体を見るときとはかなり違う感覚です。

矢木沢ダム天端から洞元湖を望む

矢木沢ダム天端から下流を望む(2021年7月)
矢木沢ダム天端から下流を望む(2021年7月)

矢木沢ダムの天端から下流を望むと奥に前回の須田貝ダムのダム湖である洞元湖の北端部が見えます。宮ケ瀬ダム石小屋ダムも上流側のダムから下流側のダムが見えるケースですが、これだけ大規模なダムのダム湖が上流側から見えるのは珍しいような気がします。

矢木沢ダムを左岸から望む

矢木沢ダム右岸から堤体を望む(2021年7月)
矢木沢ダム右岸から堤体を望む(2021年7月)

先ほどの左岸からの写真と同様、独特の高度感があります。ダム堤体に沿って検査・保守用の通路が設置されています。簡単な手すりが付いているようですが高所恐怖症の管理人にはおよそ歩ける気がしません。更に一部不気味にさびてますし…。写真下に見えているのは水力発電所への導水管と思われます。矢木沢ダムの目的の一つは「発電」で、240,000kWの大規模な揚水発電を行います。発電所は写真左下に見切れていますが、送電設備の碍子が見て取れます。

30名近い犠牲があったそうです

矢木沢ダム慰霊碑(2021年7月)
矢木沢ダム慰霊碑(2021年7月)

ダムといえば「危険な現場」の印象が強いですが、昭和30年代に起工された矢木沢ダムも例外ではなかったようです。一方で矢木沢ダムには「移転を余儀なくされた人々」関連の記念碑などはありません。1軒だけ移転者があり、東京電力の保養所だったとのこと。そりゃあ、記念碑は立ちません。

奥利根湖とダム管理事務所(2021年7月)
奥利根湖とダム管理事務所(2021年7月)

奥利根湖をダム左岸から望みます。アーチダムの本体ダム、重力式コンクリートダムのウィングダム(洪水吐のある辺り)、フィルダム(管理棟から奥)位置関係がよくわかる一枚です。矢木沢ダムは3形式のダムが一度に見られる興味深い場所です。

なお矢木沢ダムの水は7割弱が群馬県の農業用水、2割弱が東京都の水道水(毎秒4t!)、残りは群馬県の水道水として使用されています。群馬県の農産物の多くが東京に出荷されることを考えると、矢木沢ダムは東京都を支えているといっても過言ではありません。東京都の水の多くは日本海側の豪雪地帯で降った雪の雪解け水なのです。東京都民は矢木沢ダムには頭が上げられないのです。

記念撮影をして次の目的地へ

奥利根湖をバックにNC750S(2021年7月)
奥利根湖をバックにNC750S(2021年7月)

奥利根湖をバックに記念撮影。撮影中、大型バイクでツーリングしているグループの一人の方とお話し。先週は下久保ダムに行っていたそう。ツーリング情報を交換し、挨拶して私は出発。ところが、帰路の国道120号線で撮影中にばったり会うという奇遇。面白いものです。

東京を支える矢木沢ダムを離れて、関東を支える奈良俣ダムに向かいます。

奥利根3ダムツーリング 須田貝ダム編

須田貝ダムへのアプローチ

少し眠れないことが多く朝早く目が覚めた夏の日。都内の天気は曇り…といって家で悶々と過ごすのは嫌なので早い時間を活かして少し遠出することに。そういえば矢木沢ダムを目指したことがありましたが、手前の藤原ダムで雨と寒さで帰ってきたことがありました。

ということで、メインの目的地は矢木沢ダムとして、須田貝ダム→矢木沢ダム→楢俣ダム→奥利根ゆけむり街道を走るツーリングに出かけました。須田貝ダムまでのアプローチは環八→関越練馬IC→水上IC→国道291号→群馬県道63号で途中で左折し矢木沢ダムの東京電力管理用道路の途中に須田貝ダムがあります。ダムは道路からよく見えて、こんな感じです。

なお今回のツーリングで藤原ダムにも寄ることを考えたのですが…一度取材済みだったので矢木沢ダム到着を最優先しました。群馬県道63号を水上側から進むと藤原ダムの藤原湖西岸(こちらが矢木沢ダム近道)ー東岸(こちらが県道63号)の分岐があります。東岸を選ぶと藤原ダムの天端を通過できるのですが、今回は西岸ルート。

須田貝ダム全景(2021年7月)
須田貝ダム全景(2021年7月)

須田貝ダムは意外と日本初が多い

須田貝ダムは比較的大きな、重力式コンクリートダムですが見た目にはあまり特徴はありません。割とオーソドックスな姿です。一方で日本で初めてダムのコンクリート材料にフライアッシュ(石炭燃焼時の灰)を使用したり、地下に発電所を設置する(これも日本初)などの技術的なチャレンジがされているのが特徴です。

地下に発電所を設置するのは、割と多く下久保ダムの下久保発電所上日川ダムの葛野川発電所なども地下に発電所が建設されています。地下に発電所を建設するのは大変なように思えますが、ダム湖との標高差を稼いで発電量を増やすことが出来たり、豪雪地帯では雪の影響を受けないなどメリットがあるようです。そういえば、須田貝ダムのある奥利根地方は典型的な豪雪地帯です。

須田貝発電所の変電所(2021年8月)
須田貝発電所の変電所(2021年8月)

発電所は建屋がありませんが、変電所は地上にあります。送電はやはり高圧電線なので地上が有利なのでしょう。

須田貝ダムのダムカード?

須田貝ダムのダムカード?(2021年7月)
須田貝ダム全景(2021年7月)

須田貝ダムのダムカード?です。ダムカード風の枠があって本物のダムを枠に入れて撮影するとダムカードの出来上がりです。右上のPは須田貝ダムの目的が発電(Power generation)であることを示しています。多くのダムは一つの目的だけではなく複数の目的がある多目的ダムですが、須田貝ダムは発電専用です。

また右下のGはダムの形式を表していて重力式(コンクリート)ダム(Gravity dam)を意味しています。他の重力式コンクリートダム以外の重力式ダムは、HG – 中空重力式コンクリートダム、GA – 重力式アーチダムなどで表されます。中空重力式コンクリートダムは未取材ですが、重力式アーチダムといえば秩父湖の二瀬ダムが有名ですね。

東京は曇りでしたが良い天気でご機嫌

須田貝ダムの駐車場で撮影したNC750S(2021年7月)
須田貝ダムの駐車場で撮影したNC750S(2021年7月)

出発した時は曇りでしたが水上ICを降りたあたりから日が差し始め、須田貝ダムではすっかり夏の日差し。でも、さすがは奥利根、涼しいのですよ。それにカラッとしていて夏のツーリングには最適なんじゃない?と気づきましたが、それはこの後でも証明されました。

須田貝ダムを出発してさらに進むと…初めての場所なので結構な距離あるように感じましたが、橋の手前から今回のツーリングの目玉である矢木沢ダムが見えてきます。

そして矢木沢ダム(2021年7月)
そして矢木沢ダム(2021年7月)

なお県道63号から矢木沢ダムの東京電力管理用道路に入ると一切民家や店舗はなくなります。が、流石は有名な大ダム、結構観光やツーリングで訪問している方も多く、必然的に交通量が結構ありました。是非安全運転で行きましょう。

次回は矢木沢ダム。

歴史マニアと行く一夜城と小田原城(小田原城編)

小田原城は大きかった…

小田原城址公園のハス
小田原城址公園のハス

一夜城から車で小田原城に移動します。一夜城に上るのが結構大変で、余程若くて体力に自信がない限りは自動車移動が無難です。よく考えると大城郭とそれを落とそうという大軍の陣ですから「一駆け」の距離にある方が不自然ですね。

写真は小田原城址公園のハス。2000年前の種を発芽させて…というあの大賀ハスです。ちなみにハスとスイレンの違いって分かりますか?こちらで紹介してます。この写真とリンク先の睡蓮の写真を比べると全然違うのが分かると思います。

小田原城の馬出門枡形(2021年7月)
小田原城の馬出門枡形(2021年7月)

堀越しに馬出門枡形を撮影したのが上の写真です。門のところで壁が90度曲がって門に殺到する敵を矢狭間や鉄砲狭間から狙い撃ちする気満々の作りです。

馬屋曲輪の矢狭間から馬出門枡形を見る(2021年7月)
銅門前の矢狭間から馬出門枡形を見る(2021年7月)

全体的に「立ち入り禁止」の場所が多い日本の観光地ですが、小田原城の銅門手前の土塁の上の塀まで上がる階段は特に掲示がなかったので登って矢狭間から馬出門枡形を撮影したのがこの写真。まさに狙い撃ちです。

小田原城の銅門(2021年7月)
小田原城の銅門(2021年7月)

小田原城の銅門です。銅門をくぐると二の丸です。歩いている人は歴史マニアの友人。左右の鉄砲狭間、矢狭間から狙われながらの登城です。

小田原城の威容(2021年7月)
小田原城の威容(2021年7月)

時代劇で江戸城役を担うのは多くの場合姫路城ですが、小田原城も使われることがあるそうです。(歴史マニア曰く)電線は余計ですが、この角度から見る小田原城天守閣はなかなかの威容。残念ながら再建天守ですが。

天守閣から一夜城方面を望む(2021年7月)
天守閣から一夜城方面を望む(2021年7月)

天守の最上階は展望台になっています。一夜城方面を見てみると…どこかわかりません。単なる山。と思っていたら、訳知り顔のオジサンが「あそこに一夜城というのがあってね」という話を同行の方にしている横で含み笑いの歴史マニア。「だって自分たちそっちから取材済みで勝ってるって思った」って。そんなんで勝っても仕方がないと思いつつ、やっぱ勝ってるなと同感な大人げない管理人です。

小田原城から一夜城を望む(2021年7月)
小田原城から一夜城を望む(2021年7月)

一夜城方向を望遠で撮影した写真です。写真やや左側、右側の手前の山の奥の小高い山が一夜城と思います。この場所であそこを見ながら、
「殿、大事でございます。」
「何事じゃ。」
「はっ、敵陣の奥に城が出来ております。」
「城じゃと。そのようなもの昨日まで無かったではないか。」
「しかし、こちらからご覧ください。」
「っぐ。なんと、なんとしたこと、一夜にして城を築いたと申すか…」
などというやり取りが頭に思い浮かんできました。実際のところどうだったんでしょうねえ?

小田原おでんの店構え(2021年7月)
小田原おでんの店構え(2021年7月)

一夜城から小田原城見る、小田原城から一夜城見るプロジェクトも終わったし、帰ります。駐車場への移動中+車中で友人の「小田原評定で評判が悪いけど、北条氏康はバランスの取れた名将だった」話を拝聴。確かに一面だけから物事見てちゃだめだなあと思った次第。

昼食。小田原はその海産物を活かした練り物が名物でそれをさらに活かしておでんが有名だそうです。

歴史マニアの友人の職業はおでん屋。おでん屋が案内してくれるおでん屋に間違いはありませんでした。ただ、「俺の大根の方が旨いでしょ」って聞かれて回答に困る私でした。

※ここのおでんは若い出汁が特徴で出汁も香りが強く大根はさらりと煮あがっているのが特徴。友人のおでんはこなれた出汁が特徴で香りより色々なネタからでた味が特徴。大根は一晩以上出汁を含ませてジワッと味が出てくるのが美味。どちらも美味しいので少し困った次第。

次回は深城ダム辺りへ。

歴史マニアと行く一夜城と小田原城(番外編)

この時は4輪で行きました

一夜城案内図(2021年7月)
一夜城案内図(2021年7月)

小田原城の北条氏を豊臣秀吉が攻めたときに布陣したことで知られる石垣山に7月某日行ってきました。大河ドラマ「独眼竜政宗」で勝新秀吉が渡辺謙正宗をビビらせたシーンの方が有名かもしれません。

この時は友人と二人、4輪だったのでツーリングではありませんでした。だから番外編。

一夜城の竹の杖(2021年7月)
一夜城の竹の杖(2021年7月)

登り口には竹の杖がおいてありました。そんなに厳しい道なのか…と一瞬思いましたが、なくても何とかなる、けどあった方が絶対良い位な感じでした。それに暖かい時期だとヘビとか出てきたらバシッてできる。

一夜城登り口の野面積み(2021年7月)
一夜城登り口の野面積み(2021年7月)

登り口脇には野面積みの石垣やや崩れかけている感じもしますが、400年以上前の代物。そういう意味ではよく残っているなあという方が正しいか。写真が下手なので、迫力が伝わりにくいですが切石積みの整った石垣とはことなる臨場感がありました。

一夜城井戸曲輪への降り口(2021年7月)
一夜城井戸曲輪への降り口(2021年7月)

布陣する際に最も重要なものの一つが水場です。一夜城には井戸があり、その周辺は石積みに囲われて井戸曲輪と呼ばれたそうです。写真は井戸曲輪へのおりぐち。当たり前ながら降りるのも石積みの段です。例えるなら磯場を降りていくのに似た感覚。竹の杖が活躍します。

一夜城井戸曲輪の石積み(2021年7月)
一夜城井戸曲輪への降り口(2021年7月)

井戸曲輪に降りて周りを見回すとこんな感じです。石積みは入り口近くと同じく野面積みですがこちらの方が石が小さく緻密に積まれている印象です。井戸の性質上石積みの傾斜を緩くできないことからこのようになっているのかと想像しました。梯子は草引きの手入れ作業中に使用しているものです。石垣に草が茂ると崩れやすくなるため定期的に手入れしているのでしょう。暑い中大変な仕事だと思いました。

一夜城井戸曲輪の井戸?(2021年7月)
一夜城井戸曲輪の井戸?(2021年7月)

井戸があったとされる場所を覗いてみましたが水は見えません。当時はもっと深く掘りこまれていて、釣瓶で水を汲んでいたのでしょうか?当時の様子はちょっと分かりませんでした。

一夜城本丸跡(2021年7月)
一夜城本丸跡(2021年7月)

井戸曲輪から上がって二の丸を通って本丸跡へ。この辺りは石積みもぽつぽつありますが、もともとの山の地形を活かして作った印象でした。写真では本丸跡が広く見えますが何万もの兵が滞陣できるほど広くはありません。本陣の偉い人達用スペースだったのでしょう。

正にここで豊臣秀吉を筆頭に有名な戦国武将たちが戦術を練っていたのかと思うとなかなか感慨深いものがあります。同行の歴史マニア友人は竹の杖を振り回していましたが、戦国武将の下知の気分だったのでしょうか。なお、竹の杖を振り回しても全く大丈夫、我々以外誰もいませんでした。

奥には天守跡がありますがそもそも戦時中の布陣場所、本来天守閣など必要ありません。それでも天守を作って相手をビビらせるという発想が天才的かも。

一夜城から小田原城方面を望む(2021年7月)
一夜城から小田原城方面を望む(2021年7月)

二の丸から本丸に上がってすぐのところに展望台があります。展望台から小田原城が…ギリギリ見えるか見えないか。写真でも木の陰ギリギリです。しかしこの木があったからこそ一夜城が成立したとも言えます。

小田原ブルーウェイブリッジ(2021年7月)
小田原ブルーウェイブリッジ(2021年7月)

小田原は箱根、伊豆方面に繋がる交通の要所。横浜方面から小田原にアクセスする定番西湘バイパスの終点が写真の小田原ブルーウェイブリッジを超えた左側石橋ICです。小田原らしく橋の向こうに見える灯台が小田原提灯になっているのがプリティ!

さんざん戦国を偲んだあと次回は小田原城へ。

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