ダムや海、山、川、岬を巡るツーリングを通し関東を主に日本の風景を紹介します

カテゴリー: ダム ( Dams ) (3ページ目 (17ページ中))

八ッ場ダムツーリング(八ッ場ダム前編)

八ッ場ダムに行こう

夏至を過ぎましたがまだまだ日の長いこの時期でないと日帰り出来ない場所を狙って地図を眺めて八ッ場ダムを目的地にしました。

非常に激しい建設反対運動があり、建設までの妥結まで非常に時間がかかった上に、建設途中で政権が変わり建設が一時中断、さらに政権が変わって建設が継続され令和2年にやっと竣工した八ッ場ダム。

八ッ場ダム堤体を下流正面から望む(2023年7月)
八ッ場ダム堤体を下流正面から望む(2023年7月)

竣工したばかりのダム堤体はほとんど汚れておらず白さが眩しいくらいです。白いといえば石灰岩質の多いロックフィルダム南相木ダムも白いですが八ッ場ダムは重力式コンクリートダムなので雰囲気がまた随分違います。

八ッ場ダムの諸元

八ッ場ダム 諸元表示(2023年7月)
八ッ場ダム 諸元表示(2023年7月)

写真の諸元には記載がありませんが、八ッ場ダムの目的はFNWIPです。特に洪水調整は重視されていて公式HPで総貯水量の半分以上が洪水調整に充てられていることが確認できます。

2019年の台風19号が関東地方に接近した際にはまだ湛水試験が始まったばかりの八ッ場ダムが1日でほぼ満水になったのが話題になりました。(外部サイト その時のまとめ記事)八ッ場ダムがなかったら洪水被害が大きくなっていた可能性もありました。

八ッ場ダムはゲートが多い

八ッ場ダムを上流側から望む(2023年7月)
八ッ場ダムを上流側から望む(2023年7月)

八ッ場ダムにはクレストゲートが4門、コンジットゲートが3門設置されています。最近の重力式コンクリートダムでは非常洪水吐は自然越流式にしてクレストゲートが省略されるケース(宮ヶ瀬ダム湯西川ダムなど)がありますが八ッ場ダムでは4門。

細かな流量調整を目的にしているのか、設計がこれらのダムよりも前にされていたのか事情は判りませんがダムらしい姿なのは間違いないです。

洪水調整の容量が大きいと言うことは

八ッ場あがつま湖の風景(2023年7月)
八ッ場あがつま湖の風景(2023年7月)

洪水期(7月ー10月5日)のダム湖は水位が非常に低く上の写真のような風景になります。水不足なのではなく容量を空けて洪水調整量を確保しています。

奥に見えるキノコのような特徴的な岩は丸岩と名付けられています。

八ッ場ダム右岸の風景

八ッ場ダム建設で移転された墓地(2023年7月)
八ッ場ダム建設で移転された墓地(2023年7月)

ダム左岸側にダム建設に伴って新しく付け替えられた国道145号が走り、駐車場があり管理事務所や展示施設などが建てられています。またダム天端中心近いところにエレベータがあり下流側に降りることができます。

このため、右岸側は人があまりいません。そんな静かな風景の中に移転された墓地がありました。合掌。

また人がほとんどいない中、鳥たちが鳴き交わす声がとても綺麗でした。動画でお楽しみください。

八ッ場ダム右岸の鳥たちの鳴き交わし

次回はダム下流の様子。

上野ダムツーリング(長戸沢ダム編)

御巣鷹の尾根の慰霊登山を終えて、駐車場に戻って帰途につきます。

険しい山の中に作られた道なので…

NC750Sと駐輪場付近の様子(2023年6月)
NC750Sと駐輪場付近の様子(2023年6月)

この写真の右側が登山道入り口です。元々何もなかった御巣鷹の尾根に向かうために作られた道路で山を大きく削っていることもあり駐車場入り口の斜面が崩落していました。慰霊の場としての御巣鷹の尾根自体の維持も大変ですが、そこに向かう道路の維持もまた大変な事業です。

崩落があるということは土石流の可能性もあり

長戸沢ダム(砂防ダム)(2023年6月)
長戸沢ダム(砂防ダム)(2023年6月)

スゲノ沢は下流で別の沢と合流したところから長戸沢という大きめの沢になります。御巣鷹の尾根登山口の駐車場から少し下ったところに長戸沢ダムと名付けられた砂防ダムが建設されています。

ダムの標識によると完成は平成2年ですが、すでにダム上流は堆砂・堆石でかなり埋まっており砂防ダムとしての役割を果たすのは開口部の段差分しかなくなっています。とはいえ、浚渫するのも周辺の環境を考えると簡単ではなく、維持の難しさが伺えます。(砂防ダムは埋まると土石流を止める機能はなくなりますが、河床勾配を小さくして土石流が起こる可能性を下げるため埋まっていても意味はある とのこと 追記)

長戸沢ダムの標識(2023年6月)
長戸沢ダムの標識(2023年6月)

この標識がなければダム名もわかりませんでしたが…。「建設省」の名前が懐かしい感じがします。

この後、国道299号→国道462号→関越自動車道経由で帰宅。途中の下久保ダム神水ダムは横目に見ながら通り過ぎたのは残念でした。総走行距離392kmで燃費は34.7km/l。

疲れもありましたが、御巣鷹の尾根を訪問したという点で非常に感慨深いツーリングでした。

上野ダムツーリング(上野ダム編)

上野ダムまでのトンネルは暗い

県道124号を東進して「しおじの湯 しおじや」の交差点で右折し南に向かいます。上野ダムまでは比較的近いのですが途中のトンネルが特徴的です。トンネル内のカーブが多くまた「暗い」です。トンネル内の照明が完全に消灯しているところもありNC750Sのヘッドライト頼り…なのはやや心細いです。

上野ダムの入り口は虎王トンネルを抜けてすぐ、長岩トンネル手前の数十メートルの間なので行きすぎないように注意しましょう。(管理人は行き過ぎ…かけました)

駐車場から堤体を望む

上野ダム堤体を駐車場から望む(2023年6月)
上野ダム堤体を駐車場から望む(2023年6月)

駐車場からは堤体の上流側が見えます。堤体はアーチしているように見えます。また水位はやや低く揚水発電の上池である南相木ダムに貯水されていることが察せられました。なお上野ダムのダム湖は奥神流湖と命名されています。

上野ダム「水の恵」碑(2023年6月)
上野ダム「水の恵」碑(2023年6月)

上野ダムには「水の恵」の碑があります。揚水発電の下池という奥神流湖の特性を考えるとやや唐突な感じがしないでもありませんが…。おそらく重要なのは揮毫の「黒澤丈夫(くろさわ たけお)」氏。

氏は昭和40年から平成17年の40年間に渡り上野村村長を務め、引退した時点で日本で最年長の首長でした。上野村の振興に務めただけではなく、村内の御巣鷹の尾根(これは事故後氏によって命名された地名)に墜落したJAL123便墜落事故での賞賛に値する対応したことでも有名です。

引退した年(当時91歳)に上野ダムは竣工しており、上野ダム関連の仕事は氏の村長としての最後の仕事だった可能性もあります。

上野村の主力産業の一つ木工

上野ダム管理事務所と記念オブジェ(2023年6月)
上野ダム管理事務所と記念オブジェ(2023年6月)

その木工を活かしたと思われるオブジェが管理事務所の壁に飾られています。上野の森に7人の小人がいます。右上の丸いのは…なんだろう。

管理事務所前からダム堤体を望む

上野ダム左岸から堤体を望む(2023年6月)
上野ダム左岸から堤体を望む(2023年6月)

上野ダムは堤高120mの重力式コンクリートダムです。左岸から見ると若干アーチしているように見えますが、手前と奥は副ダムで上の写真中央部の直線になっているのが主ダムです。

上野ダムは大小2つの沢を跨いで建設されており堤頂長350mで比較的長い堤体を持ちます。この構造を合理的に建設するため右岸側小さい方の沢と左岸側は主ダムに対して角度がついた副ダムとして建設し、中央に主ダムが配置されているためアーチしているように見えるのです。

上野ダムのダム湖は奥神流湖

奥神流湖と上野ダムのプレート?(2023年6月)
奥神流湖と上野ダムのプレート?(2023年6月)

上野ダムのダム湖は奥神流湖を名付けられています。ダム湖は「奥〇〇湖」が多いですね。矢木沢ダムの奥利根湖滝沢ダムの奥秩父もみじ湖小河内ダムの奥多摩湖など。

上野ダム天端の風景(2023年6月)
上野ダム天端の風景(2023年6月)

上野ダム天端左岸側にはトンネルがありますが、立ち入り禁止です。このトンネルどこかに繋がっているようには見えずダムの管理用ではないかと思われます。おそらく監査廊へのエレベーターなどがあるのではと思われますが、不詳です。

右岸からダム堤体を望む

上野ダム右岸から堤体を望む(2023年6月)
上野ダム右岸から堤体を望む(2023年6月)

上野ダム堤体を右岸から望みます。クレストゲートの洪水吐はローラーゲート2門、オリフィスゲートと放流用バルブがあるのですがこの写真では見えません。放流用バルブからは放水中でした。おそらく下流神流川の流量維持のためと思われます。上野ダムの目的はP(発電)のみでN(流水の正常な機能の 維持)は含まれませんが環境には配慮しているということでしょう。

次は…御巣鷹の尾根。

魚梁瀬ダムと帰途 高知県東部ダムツーリング(4)

魚梁瀬ダムと奈半利川

奈半利川水系には3か所主要な発電所があります。奈半利川下流から前回紹介した長山発電所、二又発電所そして魚梁瀬ダムに設置されている魚梁瀬発電所です。このツーリングでは二又発電所(久木ダム)の入り口を見落としてしまい、目的地の魚梁瀬ダムに到着しました。

この3つのダムはそれぞれ極端な大出力を持つわけではありません(長山 37,000kW、二又 72,100kW、魚梁瀬36,000kW)が3ダム合わせるとかなりの出力となります。奈半利川は四国有数の水力発電による電源となっています。(以上 Wikipediaなどによる)

展望台から魚梁瀬ダムを望む(2023年5月)
展望台から魚梁瀬ダムを望む(2023年5月)

魚梁瀬ダムは当初アーチ式コンクリートダムでの建設が計画されましたが、両脇の地盤強度が不足することがわかり、写真の通り中央遮水土式ロックフィルダムとして建設されました。

魚梁瀬ダムの建設では多くの家屋(200戸以上)が水没することに加え、当時のこの地域の主要産業である林業を支えてきた魚梁瀬森林鉄道の軌道が寸断されるため建設に対する反対は根強いものがありました。移転先に関する補償案や地域の発展に資する交通インフラ(ツーリングで通過した国道493号県道12号、県道54号)の新設・再整備などを提案することで建設の合意が妥結されましたが、その過程は決して平坦なものではなかったとのことです。

魚梁瀬発電所の建物

魚梁瀬発電所の建物(2023年5月)
魚梁瀬発電所の建物(2023年5月)

展望台から堤体下を見ると「やなせ」の植え込みと発電所の建屋がよく見えます。ダム下流至近の久木ダムの貯水池と直結したような形になっているのでダム直下流もダム湖になっています。なおGoogle mapでこの付近を見るとダムを跨いで水路があるように見えますが、これは洪水吐の流路です。(通常はこの部分には水は流れておらず、発電所側から放流されます。)

魚梁瀬ダム堤体を下流側から望む

魚梁瀬ダム、魚梁瀬発電所、NC750S(2023年5月)
魚梁瀬ダム、魚梁瀬発電所、NC750S(2023年5月)

残念ながら魚梁瀬ダムも平鍋ダムと同じく堤体には立ち入ることができません。下流側からアプローチして発電所の入り口で撮影したのが上の写真です。二門の洪水吐とシンプルな流路が見えています。下流側堤体を葛折で上り下りする点検用の通路が特徴的です。

時間も遅くなってきたので帰途につきます。往路とは経路を変えて県道12号線を馬路村方面に向かいます。

ゆずの村 馬路村のゆずの花

馬路村のゆずの花(2023年5月)
馬路村のゆずの花(2023年5月)

北川村の遥太おじいさんが始めたというゆずは今では馬路村の方が有名です。ゆず風味ポン酢の「ゆずの村」、ゆず味の清涼飲料水「ゴックン馬路村」などゆずを生かした製品の生産販売は馬路村の主要産業になっています。

あ、管理人、別に馬路村の手先ではありません。

安田川は奈半利川とは別水系

安田川(2023年5月)
安田川(2023年5月)

魚梁瀬ダムは奈半利川水系に建設されていますが、ダムから少し降った場所を流れる安田川は別水系です。にもかかわらず、両方とも水量が多いのはそもそも降雨量が多いからでしょう。またこの二つの川は所謂下流域がほとんど無いという点でも特徴的です。

安田川はダム開発がされておらず河口から上流域まで鮎釣りの名所でもあります。そういえばごっくん馬路村のラベルに「夏には村のおんちゃんらあは安田川で鮎釣り…」の行があったような。あれ記憶違いかな?

私の記憶はともかく写真の通りの清流です。

この後、実家まで帰宅するのですが、結構な距離ありました。それなりに疲れましたがそれよりも充実感の多いツーリングとなりました。

次回は関東に帰ってきてからのツーリング。

長山発電所から平鍋ダム 高知県東部ダムツーリング(2) 

国道493号から長山発電所の導水管が良く見える

長山発電所(2023年5月)
長山発電所(2023年5月)

国道493号線を北川村方面に進むと県道206号の分岐付近、奈半利川沿いで長山発電所の導水管と変電設備が見えてきます。発電所は川の対岸にあって残念ながら木に隠れて見えません。

NC750Sと並ぶと規模感が分かる

長山発電所の変電設備とNC750S(2023年5月)
長山発電所の変電設備とNC750S(2023年5月)

長山発電所は認可出力37,000kWの中規模の水力発電所です。遠目に見るとあまり大きくは見えなかった変電設備も近づくと大きいです。変電設備の下を通過して国道を進むというのがインパクトがあります。

平鍋ダム到着

平鍋ダム(2023年5月)
平鍋ダム(2023年5月)

平鍋ダムは堤高38mの重力式コンクリートダムです。目的はPで水力発電を目的としたダムです。国土地理院の地図で平鍋ダムから長山発電所までの導水経路を確認できます。あまり大規模な発電所ではありませんが、この導水路の施工はかなり大変だったのではないかと察せられます。

関東では見ることができないユキモチソウ

平鍋ダム近くのユキモチソウ(2023年5月)
平鍋ダム近くのユキモチソウ(2023年5月)

平鍋ダム近くの山の斜面にユキモチソウが咲いていました。残念ながら少し時期が遅かったようです。ユキモチソウは四国や紀伊半島で自生するマムシグサの一種で関東では自生を見ることはありません。管理人が見たのも初めてでした。

人面石

平鍋ダム近くの人面石(2023年5月)
平鍋ダム近くの人面石(2023年5月)

平鍋ダムの手前、慰霊碑がある場所にほど近い道路脇の人面石。平鍋ダムをむいてあります。多分、偶然じゃなくて道路を工事した時に置いたものかと…。

平鍋ダム周辺の風景

平鍋ダム周辺の風景(2023年5月)
平鍋ダム周辺の風景(2023年5月)

慰霊碑のあるちょっとしたスペースから平鍋ダム堤体向きを見たのが上の写真です。平鍋ダムの標高が190m程度で山の中に見えますが意外と標高は低いです。後から調べて気づいたのですが、このツーリングとっても山の中を走った印象でしたが標高で較べると奥多摩の小河内ダム周辺よりも低いのです。

ここから300m程度登って魚梁瀬ダムに向かいます。

鬼怒川4ダムの活躍

可愛い娘への擬人化は時世柄か…

キヌダム4姉妹のイラスト
キヌダム4姉妹のイラスト

ツーリングでは鬼怒川4ダムのうち、五十里ダム湯西川ダム川治ダムを取材しました。川俣ダムは少し離れており前回の取材ではたどり着けませんでした。4ダムといっても一直線に並んでいるのではありません。五十里ダムの上流に湯西川ダム、川治ダムの上流に川俣ダムがあります。

建設順では五十里ダム(昭和31年ー1956年)、川俣ダム(昭和41年ー1966年)、川治ダム(昭和58年ー1983年)、湯西川ダム(平成24年ー2012年)となります。「姉妹」と擬人化されていますが、五十里ダムと川俣ダムが姉妹。川治ダムは五十里ダムからみると「親子」。更に五十里ダムと湯西川ダムは「祖母と孫」位の年齢差です。人間だとすればですが…。

更に無粋なことを言うならばドイツ語のダムDammは男性名詞だそうです。まあいいか。

平成27年関東・東北豪雨での減災

キヌダム4姉妹の活躍
キヌダム4姉妹の活躍

多くのダムと同様に、この4ダムの目的には洪水調整(F)が含まれます。更なる特徴はダムが建設された直後に豪雨が発生し、その時のダム運転がどれだけ減災に役立ったか定量的に計測、アピールされている点です。

具体的には湯西川ダムが2012年に竣工・運用された3年後、関東・東北豪雨が発生しました。鬼怒川流域の各所で観測史上最大の24時間雨量を記録するなど歴史的な豪雨でした。決壊した鬼怒川の堤防から流れ出た水で家の2階まで洪水が達し、屋根の上に避難した人々を救難ヘリで救助する映像が衝撃的だったあの洪水です。

大被害の発生を完全には防ぐことは出来ませんでしたが、ダムでの放流量調整で被害を減じることが出来ました。勿論、ダム建設の意義をアピールしたい国土交通省の思惑はあるとしても、ダム建設に意義があったことがよく分かります。

4ダムの防災操作

平成27年9月関東・東北豪雨の際のキヌダム4姉妹の時系列放流量(2023年4月)
平成27年9月関東・東北豪雨の際のキヌダム4姉妹の時系列放流量(2023年4月)

それぞれのダムの位置関係は前述の通り男鹿川上流から湯西川ダム→五十里ダム、鬼怒川上流から川俣ダム→川治ダムです。男鹿川はは川治温泉周辺で鬼怒川に合流します。

このため五十里ダム、川治ダムの放流量を以下に調整できるかが洪水時には重要です。川俣ダムー川治ダムを見ると9日に流入量の最初のピークがあり、両ダムとも洪水操作を行って流量カットしていることが分かります。(グラフの紫色が流量カット分)

川治ダムと湯西川ダム→五十里ダムでは10日早朝から午前中にかけて流入ピークがあり降雨が続いたことが分かります。川俣ダムは10日には流入ピークを過ぎていたために全量流量カットし川治ダムの水位上昇を抑えています。(川俣ダムのグラフの黄色部分)

4ダムによる懸命な洪水調整が行われましたが10日11:00頃に鬼怒川が決壊してしまいます。この時点で川治ダム、五十里ダムともに流入量ピークは過ぎていましたがこれまでの貯留でダム水位に余裕がある状況ではありませんでした。しかし、10日午後から11日にかけて下流の洪水被害を最小化するためにギリギリの運転を行って放流量をカットしています。川治ダム、五十里ダムは洪水時最高水位に対して2m以下という本当のぎりぎりまで容量を使っていることが分かります。

なお、湯西川ダムは10日11:00の鬼怒川決壊後も均一な放流を行っていますがこれは洪水吐にゲートがなく自然放流式であることが原因と思われます。もしかすると、ダムの設計者は「ゲートつけとけばよかった」と思ったかも。

このように4ダムの懸命な洪水調整で減災が図られました。とはいえ、この豪雨による被害は小さいものではなかったことを考えると李佩成 氏の詩の「人力天に勝つべし」は些か僭越に過ぎる感が否めません。やはり自然に対して人は謙虚であるべきだというのが管理人の意見です。

鬼怒川4ダムのうち3ダムツーリング(川治ダム編)

雪がちらつく湯西川ダムから五十里ダム方面に少し戻り、途中の葛老トンネルを抜けて川治ダムへ。実は管理人、下調べしておらずここまで大規模なダムとは思っておらず…

とても高度感のあるアーチ式コンクリートダム

高度感半端ない川治ダム(2023年4月)
高度感半端ない川治ダム(2023年4月)

川治ダムの駐車場にNC750Sを停めて、ダムを覗くと意外にも大規模なアーチ式コンクリートダムでした。堤体高140mとアーチ式コンクリートダムでは日本で4番目の高さを誇ります。高さだけで言えば矢木沢ダムの131mよりも高く、このブログで取り上げたアーチ式コンクリートダムでは一番の高さです。

目的はFNAWIです。このダムアーチの反りが大きく高度感が半端ないです。この反りは一見する価値があります。

ダム天端は県道23号

川治ダム天端の歩道(2023年4月)
川治ダム天端の歩道(2023年4月)

川治ダムの天端は栃木県道23号が走っており、比較的交通量もあります。下流側の歩道を歩くと、オーバーハングした堤体のおかげで高さを楽しめます。というか、この日は強風だったこともあり管理人高所恐怖症なのでとても怖かったです。歩道からも勇気を奮って写真を撮影したのですが、恐る恐る撮影したので高度感が伝わる良い写真は撮れず…。右岸へ。

右岸から見ても高度感が…

右岸から見ても高度感たっぷりの川治ダム(2023年4月)
右岸から見ても高度感たっぷりの川治ダム(2023年4月)

右岸から見るとダムのゲートがおよそ確認できます。6門のクレストゲート(非常用洪水吐)に2問のコンジットゲート(常用洪水吐)が見えます。クレストゲート上にはゲートの機械室がありますが、ここには天端を通る県道23号の歩道からアクセスするようになっています。(もちろん通常は立ち入り禁止)

上流側歩道は安心して歩ける

八汐湖を望む(2023年4月)
八汐湖を望む(2023年4月)

川治ダムのダム湖は八汐湖と命名されています。ダム周辺で咲き誇るヤシオツツジから採られたとか。植物の名前をダム湖名にした例は珍しいのではないかと思います。

おなじコンクリート式アーチダムで比較すると、川治ダムの堤高は矢木沢ダムよりも高いですがダム湖の容積は八木沢ダムの奥利根湖の3分の1程度です。

とはいえ、豊かな水量を生かして奥利根湖が東京に水を供給しているのに対して八汐湖は用水の半分近くを千葉県に供給しています。首都圏というのは本当に周辺地域の水源がなければ成り立たないことがわかります。

何故か漢文の記念碑

李佩成の記念詩(2023年4月)
李佩成の記念詩(2023年4月)

川治ダムの管理事務所前駐車場にある記念詩碑です。作者は李佩成 氏。wikiによると中国の水資源と環境に関する研究家だそうです

昔日の鬼怒川 今朝は公園と成り 高峡に平湖が出る 人力天に勝つべし

と読み下すのでしょう。これだけ率直に人間の技術の力を肯定する詩は珍しいように思います。大橋ダムの記念碑並みと管理人は感じました。

川治ダムの記事はこれでおしまい。

帰途につきますが、往路の燃費(26.5km/l)が悪かったので1タンクで帰宅できるか微妙な燃料の残り具合。日光道ー東北道を燃費走行に徹した結果、結局帰宅前の平均燃費は33.5km/l程度まで改善。余裕で帰り着きました。

途中の東北道追い越し車線で多重追突事故が発生していました。安全運転を改めて心がけた次第。次回は五十里ダム湯西川ダム、川治ダムが活躍した話題を取り上げる予定です。

鬼怒川4ダムのうち3ダムツーリング(湯西川ダム編)

県道249号西川を過ぎたあたりで堤体が見えます

途中で見える湯西川ダム(2023年4月)
途中で見える湯西川ダム(2023年4月)

管理人、いくつかのダムをツーリングしてきましたがダム堤体が見えてくるまでは道が正しいか割と心配になります。このところ遠くのダムに行くときは迷って行きつけないのは嫌なのでスマホのナビを見ます。ナビ嫌いですけどそうもいっていられません。

ナビがあってもダム堤体が見えてくるとやっぱり安心です。新しい重力式コンクリートダムでクレストゲートが自然越流方式になっていることがわかります。

雪がちらついている…

雪とNC750S(2023年4月)
雪とNC750S(2023年4月)

ダムの堤体が見えて安心した一方、雪がちらついています。路面は融雪剤の効果か濡れていますが凍結した様子はないのでひとまず安心ですが…寒い。

展望台が設置されている湯西川ダム

湯西川ダム展望台へ向かう階段(2023年4月)
湯西川ダム展望台へ向かう階段(2023年4月)

湯西川ダムの駐車場に到着。展望台があるようなのでまずは登ってみますが…階段には雪。もちろん足跡は私が昇ってきたときのものです。

湯西川ダム堤体を展望台から望む

右岸展望台から湯西川ダム堤体を望む(2023年4月)
右岸展望台から湯西川ダム堤体を望む(2023年4月)

湯西川ダム(ゆにしがわだむ)は2012年に竣工した重力式コンクリートダムです。堤高は119mで目的はFNAWIの多目的ダムです。特徴的なのは千葉県の上水道、工業用水を供給する点です。

写真の通り、天端下のクレストゲートは自然越流式の非常用洪水吐になっています。その少し下に常用洪水吐が見えています。利水放流施設は上の写真右下の死角になっています。

湯西川ダムは五十里ダムの上流に位置し五十里ダムの貯水容量が少ないという点をカバーしてダム群による治水能力を向上させています。これについては後の記事で詳しく紹介します。

湯西川湖の風景

湯西川ダム天端から湯西川湖を望む(2023年4月)
湯西川ダム天端から湯西川湖を望む(2023年4月)

湯西川ダム天端左岸から湯西川湖をみるとダムにアクセスしてきた道がトンネルをくぐったあと橋を渡っている様子が見て取れます。この橋が架かっている場所はオクダブリ沢といいます。

その上に見えている高い峰が横瀬山。県道249号は数々のトンネルを通過して県道350号に繋がっています。この地域の国道、県道は山間を縫うようにしてそれぞれが繋がっています。夏のツーリングには最高ではないかと思われます。

湯西川ダム下流側の風景

湯西川ダム天端から下流側を望む(2023年4月)
湯西川ダム天端から下流側を望む(2023年4月)

晴れた空と山々のコントラストが美しい風景です。写真中央やや右側に斜面に雪を積もられて高く見えているのが「関東平野一望台」、少し左奥が前黒山です。関東平野一望台の雪はスキーのゲレンデです。ちなみにこの時点で滑走可能だったようです。そりゃ、寒いはずだ。

この後は展示室に向かいました。ここの展示はとても充実していましたが、紹介は後回しにして先に川治ダムの記事を次に掲載します。

鬼怒川4ダムのうち3ダムツーリング(五十里ダム編)

五十里ダム

五十里ダムを展望広場から望む(2023年4月)
五十里ダムを展望広場から望む(2023年4月)

五十里ダムは利根川水系男鹿川に建設され昭和31年の竣工当時堤体高日本最高の112mを誇る大ダムです。形式は重力式コンクリートダム目的はFNPの多目的ダムです。

ダム関連で「物部長穂」氏の名前はよく出てきますがこのダムも氏が発表した「河水統制計画」に当初から含まれていました。現在より下流に建設を予定しましたが、調査で多数の断層が発見され建設が断念されます。昭和16年には現在地での建設が検討されましたが、戦争で中断。同時期に計画され、五十里ダム竣工の翌年昭和32年に竣工した小河内ダムと経緯が似ています。

昭和31年には佐久間ダム 元(静岡)も竣工しており堤体高日本一の座は竣工すぐに譲ることになります。この時期は太平洋戦争で中断ー再開していた日本のダムインフラ開発の竣工が続きました。更にはこの年には黒部ダムが着工しており昭和31年は日本のダム史において重要な年です。

ダムの放流調整能力向上のため、いくつかの改良工事を経ています。大規模なのは旧クレストゲートの機能拡張と2つのコンジットゲートの新設です。上の写真で隠れていますが、天端直下のクレストゲート3門、旧コンジットゲートが元々の設備でしたが外見からも追加されたクレストゲート用の導水管が目立ちます。

旧コンジットゲートは流量調整ができないものであったために、ゲート奥にホロージェットバルブが追加(リンクは参照URL)されました。更に写真手前中段辺りに見える導水管と2門の新コンジットゲートを追加する大工事をダムを運用しながら行なって現在の姿になっています。

現在でも活躍しており、これについてはまたの機会に紹介します。

桜の前に水神碑、慰霊碑、竣工50年記念碑

五十里ダムの水神、慰霊碑、記念碑(2023年4月)
五十里ダムの水神、慰霊碑、竣工50年記念碑(2023年4月)

左から水神碑、慰霊碑、竣工50年記念碑です。水神碑はあるダムとないダムがありますが何かの基準があるのかはわかりません。

慰霊碑は新しいダムには少なくなりますが、建設中に殉職者を出したダムでは必ずあるものと思われます。特に昭和50年以前に竣工したダム(相模ダム小河内ダムなど)では建設中に多くの方が亡くなっているケースが多く五十里ダムもその一つです。

竣工が昭和31年(1956年)なので竣工50年は2006年。記事を書いているのが2023年で67年目、還暦を過ぎています。

なお奥に見えているゲートは新設された発電用の選択取水設備ではないかと思われます。五十里ダム、施設の追加工事が多くて他記事でも設備があったりなかったりです。

五十里ダム天端への入口

五十里ダムの天端入口(2023年4月)
五十里ダムの天端入口(2023年4月)

五十里ダムの標識と天端入口です。車両通行止めですが、徒歩での立ち入りは問題ありません。なお、手前+奥の山に雪が降っているのがわかると思います。4月中旬というのにこの日は寒かった。

五十里ダム天端から下流を望む

五十里ダム天端から下流を望む(2023年4月)
五十里ダム天端から下流を望む(2023年4月)

天端から下流を望むと副ダムが見えます。副ダム右側には遊歩道らしきものが見えています。一般立ち入り可能な場所ならダム堤体がよく見えそうですが、今回は残り時間のことも考えて後ろ髪を引かれながらも確認できず。

山に隠れて下流には川治温泉があります。奥に見えている山は高く見えますが標高約900mの(たぶん)無名峰です。標高の割に奥多摩や奥秩父より寒いです。

五十里ダム天端から五十里湖を望む

五十里ダム天端から五十里湖を望む(2023年4月)
五十里ダム天端から五十里湖を望む(2023年4月)

五十里ダムのダム湖は五十里湖と名付けられています。ダム湖面はかなり狭い印象で、この点は同じ利根川水系でも矢木沢ダムの奥利根湖奈良俣ダムの奈良俣湖の風景とやや異なります。実際、五十里ダムの貯水量はこの二つのダムと比較すると矢木沢ダムの4分の1強、奈良俣ダムの半分程度です。この弱点を補強するために、上流に建設されたのがこの後に訪問する湯西川ダムです。

ダム放流操作プレイができるダムコン模型

操作を体験出来るダムコン模型(2023年4月)
操作を体験出来るダムコン模型(2023年4月)

五十里ダムの管理事務所に併設された展示館にはダム放流操作を体感できるダムコン模型があります。放流操作を進めていくと実機と同じと思われる警告音が響きはじめ、ゲート開放操作をすると下のように放流映像が流れるというなかなか凝った仕様です。

ダムコン模型で放流操作をした時の映像(2023年4月)
ダムコン模型で放流操作をした時の映像(2023年4月)

雨量計の動作展示

五十里ダムの展示でもう一つ面白いのが雨量計です。本物の雨量計は計量マスが外枠の中に入っていて動きを見ることはできませんが、外枠を透明にして計量マスが左右に傾く様子を見える展示があります。

また小型のポンプを用いて水を循環させているのでスタートさせると計量マスが1mm毎の降水で傾く様子を連続的に確認できます。

この二つの展示はもしかするとダムの展示を担当した人が工作したのか?などと思ったり。

色々見所が多く全てを周り切れませんでしたが、次の湯西川ダムに向かいます。

鬼怒川4ダムのうち3ダムツーリング(小網ダム編)

鬼怒川流域の風景は最高

鬼怒川大滝の風景(2023年4月)
鬼怒川大滝の風景(2023年4月)

鬼怒川上流~中流付近の風景は奇岩や滝がたくさんあり風景を堪能することができます。この滝は国道121号にかかっている鬼怒岩橋から撮影したものです。一番奥に見えている雪をかぶっているのが芝草山、その右手前が狸原山か?この時点で寒かったのでさらに上るのかと思うとやや怯みました。

小網ダム

小網ダム堤体を左岸下流側から望む(2023年4月)
小網ダム堤体を左岸下流側から望む(2023年4月)

しばらく国道121号を進むと小型のダムが見えます。明らかに五十里ダムではありません。この時点ではダム名はわかりませんでしたが、調べてみると小網ダム。よく見ると仁淀川の筏津ダムによく似ています。

小網ダムはもともと五十里ダムから取水された水を使って発電する川治第一発電所とさらに下流の川治第二発電所間の流量調整を行っていたようですが、平成19年には小網ダムそのものにも発電設備が追加され小網発電所として運用されています。

寒さに怯んでいましたがダムが見えれば元気が出てきます。なおタイトルの「3ダム」には小網ダムは含まれません。ごめんね小網ダム。

国道121号から見る五十里ダム

国道からちらっと五十里ダム(2023年4月)
国道からちらっと五十里ダム(2023年4月)

国道121号を進んでいくとちらっと五十里ダムが右側に見えます。昭和31年に建設された当時は日本で最大の堤高112mを誇り、国道沿いで見落とす心配はありません。

ダムが見えても寒いことは寒い

国道121号の風景(2023年4月)
国道121号の風景(2023年4月)

上の写真を撮影した国道121号上でNC750Sを撮影。左側に雪が残っているのがわかると思います。今市市内の温度計が6℃を表していたのが1時間強前。日が昇ってきてやや暖かくなってきたとはいえ高度が上がっている分…トントンかな。まあまあ、寒いです。

が、勇躍、五十里ダムに向かいます。次回五十里ダム。

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