ダムや海、山、川、岬を巡るツーリングを通し関東を主に日本の風景を紹介します

カテゴリー: 五十里ダム

鬼怒川4ダムの活躍

可愛い娘への擬人化は時世柄か…

キヌダム4姉妹のイラスト
キヌダム4姉妹のイラスト

ツーリングでは鬼怒川4ダムのうち、五十里ダム湯西川ダム川治ダムを取材しました。川俣ダムは少し離れており前回の取材ではたどり着けませんでした。4ダムといっても一直線に並んでいるのではありません。五十里ダムの上流に湯西川ダム、川治ダムの上流に川俣ダムがあります。

建設順では五十里ダム(昭和31年ー1956年)、川俣ダム(昭和41年ー1966年)、川治ダム(昭和58年ー1983年)、湯西川ダム(平成24年ー2012年)となります。「姉妹」と擬人化されていますが、五十里ダムと川俣ダムが姉妹。川治ダムは五十里ダムからみると「親子」。更に五十里ダムと湯西川ダムは「祖母と孫」位の年齢差です。人間だとすればですが…。

更に無粋なことを言うならばドイツ語のダムDammは男性名詞だそうです。まあいいか。

平成27年関東・東北豪雨での減災

キヌダム4姉妹の活躍
キヌダム4姉妹の活躍

多くのダムと同様に、この4ダムの目的には洪水調整(F)が含まれます。更なる特徴はダムが建設された直後に豪雨が発生し、その時のダム運転がどれだけ減災に役立ったか定量的に計測、アピールされている点です。

具体的には湯西川ダムが2012年に竣工・運用された3年後、関東・東北豪雨が発生しました。鬼怒川流域の各所で観測史上最大の24時間雨量を記録するなど歴史的な豪雨でした。決壊した鬼怒川の堤防から流れ出た水で家の2階まで洪水が達し、屋根の上に避難した人々を救難ヘリで救助する映像が衝撃的だったあの洪水です。

大被害の発生を完全には防ぐことは出来ませんでしたが、ダムでの放流量調整で被害を減じることが出来ました。勿論、ダム建設の意義をアピールしたい国土交通省の思惑はあるとしても、ダム建設に意義があったことがよく分かります。

4ダムの防災操作

平成27年9月関東・東北豪雨の際のキヌダム4姉妹の時系列放流量(2023年4月)
平成27年9月関東・東北豪雨の際のキヌダム4姉妹の時系列放流量(2023年4月)

それぞれのダムの位置関係は前述の通り男鹿川上流から湯西川ダム→五十里ダム、鬼怒川上流から川俣ダム→川治ダムです。男鹿川はは川治温泉周辺で鬼怒川に合流します。

このため五十里ダム、川治ダムの放流量を以下に調整できるかが洪水時には重要です。川俣ダムー川治ダムを見ると9日に流入量の最初のピークがあり、両ダムとも洪水操作を行って流量カットしていることが分かります。(グラフの紫色が流量カット分)

川治ダムと湯西川ダム→五十里ダムでは10日早朝から午前中にかけて流入ピークがあり降雨が続いたことが分かります。川俣ダムは10日には流入ピークを過ぎていたために全量流量カットし川治ダムの水位上昇を抑えています。(川俣ダムのグラフの黄色部分)

4ダムによる懸命な洪水調整が行われましたが10日11:00頃に鬼怒川が決壊してしまいます。この時点で川治ダム、五十里ダムともに流入量ピークは過ぎていましたがこれまでの貯留でダム水位に余裕がある状況ではありませんでした。しかし、10日午後から11日にかけて下流の洪水被害を最小化するためにギリギリの運転を行って放流量をカットしています。川治ダム、五十里ダムは洪水時最高水位に対して2m以下という本当のぎりぎりまで容量を使っていることが分かります。

なお、湯西川ダムは10日11:00の鬼怒川決壊後も均一な放流を行っていますがこれは洪水吐にゲートがなく自然放流式であることが原因と思われます。もしかすると、ダムの設計者は「ゲートつけとけばよかった」と思ったかも。

このように4ダムの懸命な洪水調整で減災が図られました。とはいえ、この豪雨による被害は小さいものではなかったことを考えると李佩成 氏の詩の「人力天に勝つべし」は些か僭越に過ぎる感が否めません。やはり自然に対して人は謙虚であるべきだというのが管理人の意見です。

鬼怒川4ダムのうち3ダムツーリング(五十里ダム編)

五十里ダム

五十里ダムを展望広場から望む(2023年4月)
五十里ダムを展望広場から望む(2023年4月)

五十里ダムは利根川水系男鹿川に建設され昭和31年の竣工当時堤体高日本最高の112mを誇る大ダムです。形式は重力式コンクリートダム目的はFNPの多目的ダムです。

ダム関連で「物部長穂」氏の名前はよく出てきますがこのダムも氏が発表した「河水統制計画」に当初から含まれていました。現在より下流に建設を予定しましたが、調査で多数の断層が発見され建設が断念されます。昭和16年には現在地での建設が検討されましたが、戦争で中断。同時期に計画され、五十里ダム竣工の翌年昭和32年に竣工した小河内ダムと経緯が似ています。

昭和31年には佐久間ダム 元(静岡)も竣工しており堤体高日本一の座は竣工すぐに譲ることになります。この時期は太平洋戦争で中断ー再開していた日本のダムインフラ開発の竣工が続きました。更にはこの年には黒部ダムが着工しており昭和31年は日本のダム史において重要な年です。

ダムの放流調整能力向上のため、いくつかの改良工事を経ています。大規模なのは旧クレストゲートの機能拡張と2つのコンジットゲートの新設です。上の写真で隠れていますが、天端直下のクレストゲート3門、旧コンジットゲートが元々の設備でしたが外見からも追加されたクレストゲート用の導水管が目立ちます。

旧コンジットゲートは流量調整ができないものであったために、ゲート奥にホロージェットバルブが追加(リンクは参照URL)されました。更に写真手前中段辺りに見える導水管と2門の新コンジットゲートを追加する大工事をダムを運用しながら行なって現在の姿になっています。

現在でも活躍しており、これについてはまたの機会に紹介します。

桜の前に水神碑、慰霊碑、竣工50年記念碑

五十里ダムの水神、慰霊碑、記念碑(2023年4月)
五十里ダムの水神、慰霊碑、竣工50年記念碑(2023年4月)

左から水神碑、慰霊碑、竣工50年記念碑です。水神碑はあるダムとないダムがありますが何かの基準があるのかはわかりません。

慰霊碑は新しいダムには少なくなりますが、建設中に殉職者を出したダムでは必ずあるものと思われます。特に昭和50年以前に竣工したダム(相模ダム小河内ダムなど)では建設中に多くの方が亡くなっているケースが多く五十里ダムもその一つです。

竣工が昭和31年(1956年)なので竣工50年は2006年。記事を書いているのが2023年で67年目、還暦を過ぎています。

なお奥に見えているゲートは新設された発電用の選択取水設備ではないかと思われます。五十里ダム、施設の追加工事が多くて他記事でも設備があったりなかったりです。

五十里ダム天端への入口

五十里ダムの天端入口(2023年4月)
五十里ダムの天端入口(2023年4月)

五十里ダムの標識と天端入口です。車両通行止めですが、徒歩での立ち入りは問題ありません。なお、手前+奥の山に雪が降っているのがわかると思います。4月中旬というのにこの日は寒かった。

五十里ダム天端から下流を望む

五十里ダム天端から下流を望む(2023年4月)
五十里ダム天端から下流を望む(2023年4月)

天端から下流を望むと副ダムが見えます。副ダム右側には遊歩道らしきものが見えています。一般立ち入り可能な場所ならダム堤体がよく見えそうですが、今回は残り時間のことも考えて後ろ髪を引かれながらも確認できず。

山に隠れて下流には川治温泉があります。奥に見えている山は高く見えますが標高約900mの(たぶん)無名峰です。標高の割に奥多摩や奥秩父より寒いです。

五十里ダム天端から五十里湖を望む

五十里ダム天端から五十里湖を望む(2023年4月)
五十里ダム天端から五十里湖を望む(2023年4月)

五十里ダムのダム湖は五十里湖と名付けられています。ダム湖面はかなり狭い印象で、この点は同じ利根川水系でも矢木沢ダムの奥利根湖奈良俣ダムの奈良俣湖の風景とやや異なります。実際、五十里ダムの貯水量はこの二つのダムと比較すると矢木沢ダムの4分の1強、奈良俣ダムの半分程度です。この弱点を補強するために、上流に建設されたのがこの後に訪問する湯西川ダムです。

ダム放流操作プレイができるダムコン模型

操作を体験出来るダムコン模型(2023年4月)
操作を体験出来るダムコン模型(2023年4月)

五十里ダムの管理事務所に併設された展示館にはダム放流操作を体感できるダムコン模型があります。放流操作を進めていくと実機と同じと思われる警告音が響きはじめ、ゲート開放操作をすると下のように放流映像が流れるというなかなか凝った仕様です。

ダムコン模型で放流操作をした時の映像(2023年4月)
ダムコン模型で放流操作をした時の映像(2023年4月)

雨量計の動作展示

五十里ダムの展示でもう一つ面白いのが雨量計です。本物の雨量計は計量マスが外枠の中に入っていて動きを見ることはできませんが、外枠を透明にして計量マスが左右に傾く様子を見える展示があります。

また小型のポンプを用いて水を循環させているのでスタートさせると計量マスが1mm毎の降水で傾く様子を連続的に確認できます。

この二つの展示はもしかするとダムの展示を担当した人が工作したのか?などと思ったり。

色々見所が多く全てを周り切れませんでしたが、次の湯西川ダムに向かいます。