ダムや海、山、川、岬を巡るツーリングを通し関東を主に日本の風景を紹介します

カテゴリー: 夏 ( Summer in Japan ) (8ページ目 (9ページ中))

野島崎のハマナデシコ(南房総ツーリング4)

ハマナデシコ全草(野島埼)
この個体はあまり上に伸びないうちに花が満開になった感じです

野島埼は南房総国定公園として整備されており、遊歩道が整備されています。夏の時期には浜の植物が開花して可憐な姿を見ることが出来ます。ハマナデシコは日本の海岸では比較的ありふれた花らしいですが旅先でみると可憐さに磨きがかかって見えます。

ハマナデシコの花(野島埼)
ハマナデシコは白~紅色があるとWikipediaには記載されていますがこの個体は薄紫

ハマナデシコはその名の通り分類上もナデシコ目ナデシコ科ナデシコ属です。大和撫子というとなんとなく物静かな容姿端麗の和風美女を連想しますが、夏の日差しの中、咲いている姿は力強さを感じさせました。

野島埼灯台とアンテナ施設(夏の南房ツーリング4)

野島埼灯台とアンテナ施設
灯台の光も重要ですが電波を使った方位確認が利用されています

野島埼灯台とアンテナ施設です。野島埼灯台の歴史は古く1870年に日本で2番目の洋式灯台として建設されました。この時建設された灯台は関東大震災の際に途中で「折れた」ため、再建された灯台が今の灯台のベースになっています。再建後、太平洋戦争中に大きな被害を受けたため大規模に修繕して今に至っています。何とも受難の多い灯台です。

「灯台」というインフラは遺産になりつつある

近年では灯台も重要ですが、写真右側のアンテナ施設が重視されてきました。アンテナ施設には長波ビーコンとマイクロ波を用いたレーマークビーコン(無線方位信号)なるものが設置されているそうです。下の画像(出典 海上保安庁)。とはいえ、このレーマークビーコンもGPSの登場でその役割は急速に代替されて、廃止されつつあります。実際、この野島埼無線方位信号所も2021年には廃止予定になっています。まさかこの青空の写真に諸行無常のコメントを付けるとは思いませんでした。

レーマークビーコンの説明
出典 海上保安庁

野島崎から伊豆大島を望む(夏の南房ツーリング3)

野島埼から伊豆大島まで50km弱です

平和の愛鍵の奥に厳島神社の本殿があります。お参りしてから海側に歩いていくと太平洋の広大な風景が広がります。南西方向を見ると伊豆大島がはっきりと見えます。野島埼から伊豆大島まで50km弱ですから晴れてさえいればよく見えます。

この写真を撮ったのは灯台に向かう途中の歩道ですが、そのまま海に降りていくこともできます。海に降りていく歩道の脇にはヤシが植えられていてやや南国雰囲気を醸し出しています。ヤシは「熱帯」のイメージですが種類によって耐寒温度は-6℃程度とある程度の寒さには耐えるようです。寒さに強いわけではありませんが、関東地方でも温暖な南房ではここまで冷え込むことはまずなく、その気候を利用してヤシを専門に扱う造園業者さんがあるようです。

野島崎、厳島神社の平和の愛鍵(夏の南房ツーリング2)

平和の愛鍵
一見卑猥で、よく見ると面白い。もっと見ると考えさせられる。

野島埼の入り口から灯台に向かって歩いていくと、階段があり上ったところが厳島神社。広島の厳島神社が有名ですが、祭神が同じだったり、海の安全を祈るというご利益を共通にする同名の神社は全国にあります。その一つが野島埼にもありますが、その参道脇に祭られた「平和の愛鍵」。

直接的に形を模した愛鍵と鍵を差し込む戸を暗喩したシャコ貝の殻。一見、卑猥ですが右側の「平和の愛鍵」の件を読むとなかなか面白い。面白すぎて写真はハレーションを起こしている…訳ではないのですが。

しかし更に読み込むと考えさせられる文句です。特に後半

縫い目あれどもほころびもせず
玉があれどうてもせず
天を仰ぐこともなし
は戦争の多かった1900年代前半の日本の状況を考えると「平和の愛鍵」の名に込めた願いの正体が分かるような気がします。

野島埼灯台(夏の南房ツーリング)

国道410号線から野島崎灯台を望む
NC750Sの前に止まっているのはXJR1300

今日は2020年10月10日。数字の並びが特徴的ですが残念ながら台風14号の影響で天気も悪くツーリングは断念。肌寒い曇天で滅入りそうなのでこの数日は夏場のツーリングから写真紹介します。

NC750Sと野島埼灯台。野島埼は関東地方の最南端として有名です。地図で見ると確かに少しだけ周囲より南に張り出しています。元々は現在灯台のある位置が小島で陸側と小島がつながった陸繋島のようにも見えますがその辺りは不詳です。

この日は日差しがきつく、ツーリングにはちょっと辛い日でしたが、渋滞はなく少なくないツーリングを楽しむ人たちに会いました。NC750Sの前に止まっているのはYAMAHA XJR1300. ヘルメットが二つかかっているところを見るとタンデムツーリングのよう。ノーコメント。

ここにNC750Sを停めて、神社参拝(厳島神社)、灯台見学、風景観光などなど楽しんだ写真をこの先数日掲載します。

大菩薩嶺の麓で林業の現場に出会う

大菩薩嶺の麓を走る林道で林業の現場に出会いました。写真は奥の山で切り出された木材をケーブルで吊ってウィンチで引っ張って手前の積み出し場まで持ってきている様子です。吊り下げられた木材が山の斜面をズルズルと削るので木材が通過する下の斜面が奥から手前に獣道状になっているのが見て取れます。

木材の移動はこのように単純とはいえ機械で行っているとはいえ、奥の山では材木を切り倒している人がいるわけで…林道も通っていない場所に入って行って木を切り倒す作業の大変さが思い遣られる風景でした。

相模ダム、城山ダムを巡るソロツーリング(城山ダム編-2)

城山ダムは本当に多目的ダム

城山ダム下流側から全景
整備された展望台から城山ダムを望む

城山ダムは相模川の治水に加えて上水道、工業用水の利水、更に揚水式発電の下池としての津久井湖の維持など本当に多目的に利用されています。特に揚水式発電所の城山発電所は250,000kWの発電容量を持つかなり大規模なもので、神奈川県内の電力調整で大きな役割を果たしています。

様々な用途で使用されている津久井湖と城山ダムですが流入量自体が格別に多いわけではありません。また市街地にあり揚水式発電等で使用する水は上池と下池を行き来するだけで入れ替わらないため富栄養化が問題になることもあるようです。この時は雨の後でしたので水は濁っていましたがアオコの発生などはなさそうでした。

城山ダムは展望台も整備されていてダム堤体をよく観察でき、おすすめのダムスポットです。

続きます。

相模ダム、城山ダムを巡るソロツーリング(城山ダム編-1)

まとまったページを編集するのは大変になってきたので一日一枚でマメに更新する方針に変えます。

城山ダム(国道413号)
幹線道路が通過するダムは珍しいのでは?

さて深城ダムから国道412号、413号と乗り継ぐとまず津久井湖が見えてきます。津久井湖観光センターの駐車場に先が城山ダムですが、国道413号はダムの天端を通過しています。二瀬ダムや有馬ダムも自動車が天端を通行できる道路になっていますが、「幹線道路」がダム天端を通過しているのは珍しいと思われます。

これからマメに更新します。

相模ダム、城山ダムを巡るソロツーリング(相模ダム編)

相模湖、相模ダムの入り口は割と目立たない

国道20号線(いわゆる甲州街道)をずっと下っていくと相模湖と相模ダムはあります。が、意外と入口が目立たずうっかり見落とすと大月方面に通り過ぎます。この日はそれを意識しすぎて手前の県道517号線に入ってしまい、相模ダムには右岸側から到着しました。道を間違えると不安なものですがランドマークが確認できると安心です。

相模発電所の変電所
褐色に塗装された真空遮断機と白いガイシ

県道517号から向かうと相模湖より前に、相模ダムにある相模発電所の変電所が見えてきます。褐色に塗装されているのは変電所には欠かすことのできない真空遮断機。白いガイシとの対比が印象的です。相模発電所は比較的大きな水力発電所なので変電所もそれなりの規模です。

相模ダムの堤体を右岸から望む

相模ダムの堤体を右岸から
相模ダムの堤体を右岸から望みます

相模ダムの下流域は残念ながらダム堤体を正面から見るように整備されていません。最近設計されたダムでは上下流にダムを望む広場が整備されている(埼玉県 滝沢ダム浦山ダムや神奈川県 宮ヶ瀬ダム等)ことも多いですが、1930年代に計画され1947年に竣工したこのダムではそのような「気遣い」はありません。残念。

相模ダムと発電所

相模ダム堤体から下流を望む
相模発電所と変電所が良く見えます
相模ダム上流から堤体と変電所を望む
右側に発電用の利水ゲート(多分)があります

相模ダムの堤体から下流を見ると変電所と発電所が良く見えます。またダムの少し上流にある相模湖大橋からはダムの堤体と変電所を一望することが出来ます。ダムの奥に見えている道路は中央自動車道(E20)の高架です。

ダムには黒い歴史がある

相模ダムの慰霊碑
相模ダムの建設時には明らかになっているだけで83名の方が亡くなりました

相模ダムは神奈川県の重要な水道水源と工業地帯の電源として建設され、現在でも水道水源として神奈川県にはなくてはならないインフラの一つです。計画・建設されたのは1930~1940年代、折しも第2次世界大戦の時期で軍部が非常に力を持った時代でもありました。多くのダム建設でそうであるように、ダム湖に沈むことになる集落では激しい反対運動が起こりましたが、それに対して軍部が圧力をかけたこともあったようです。またそのような状況下で建設現場は過酷で明らかになっているだけで83名の方が亡くなりました。引き継がれてきたインフラの恩恵を受けている何気ない日常で考えさせられる歴史です。

はたはたと 人を悼むか 黒蜻蛉

相模ダムのハグロトンボ
黒蜻蛉はハグロトンボの標準和名を持つ黒い羽とゆったりとした飛び方が特徴的なトンボです

相模湖大橋から相模湖を望む

相模湖大橋から相模湖を望む
相模湖大橋から相模湖を望む

相模湖大橋から相模湖を望むと湖面と石老山が良く見えます。相模湖の本体?は写真右側の奥で観光、レジャーの中心スポット相模湖公園があるのですが、橋からは直接見ることが出来ません。左側に見えている橋は県道517号線。この後ここを通って城山ダムに向かいます。

相模ダムでNC750Sの記念撮影
相模ダムでNC750Sの記念撮影

城山ダムに向かいます。続きます。

小河内ダムと深城ダムを巡るツーリング(音が素晴らしい 深城ダム編)

小河内ダムから小菅村を通過して…

深城ダムとふかしろ湖
深城ダムとふかしろ湖です。どのダムも夏は降雨に備えて水位を下げていますがふかしろ湖も同じです。

国道139号の国境ではなく市と村の境にある長いトンネル松姫トンネルを抜けると「シオジの森ふかしろ湖周辺案内」の看板のある駐車場があります。そこから撮影したふかしろ湖と深城ダムです。

ダム堤頂手前で記念撮影

深城ダム堤体頂手前で記念撮影
ダム近辺には人っ子一人いませんでした。

ダム周辺を撮影する前にダム堤頂手前でNC750Sの記念撮影。ダムの周囲は交通量も少なく静かで放流?の水音が響いていました。これについては後述。

小河内ダムは駐車場もありそれなりの規模の資料館がありますが、深城ダムにはそういった付帯施設はありません。むしろふかしろ湖周りの公園や林道の方に人の気配がありました。

深城ダムの堤体頂から

深城ダムの利水放流ゲートと常用洪水吐
手前(上)が常用洪水吐、奥(下流)が利水放流ゲート。

深城ダムの堤体頂から下流を除くと常用洪水吐から放流中で利水放流ゲートからも放流がありました。利水放流ゲートからの放水は水力発電で使用された分で、青い屋根は発電所です。最大出力340kW…小型ですね。ダム近辺で使用する分を賄っているくらいでしょうか?発電所と言っても送電設備が見えませんから…。

滝の音を 緑に溶かすか 深城ダム

深城ダムの常用洪水吐と減勢工
この減勢工は音が素敵です。

深城ダムから国道139号を大月方面に少し歩くとダム全体を見渡すことのできる橋があります。そこから撮影したのが上の一枚。少し見にくいですが美しい音の原因は減勢工下流の人工の滝でした。常用洪水吐から放流された水がこの滝で美しい音を出していたのですね。他のダムでは見たことがありません。これが冬場なら滝全体が見えたのか…、放流がないのでただのコンクリートか…?

松姫峠は通行止めだった

通行止めの松姫峠
ほとんど廃道の雰囲気ですが…現在復旧しているそうです。

ダムだけではなく名所も周りたいので松姫峠を小菅村側から上ってみましたが頂上付近で通行止めになっていました。豪雨の影響で一部で土砂崩れがあったようです。この記事を書いている8月時点では復旧しているようですが…あと1年も放っておいたら廃道になるんじゃないかという風情でした。

ちなみにこの手前に奈良倉山に至る遊歩道の入り口がありますが、そこではカエルや虫の鳴き交わしが非常に美しく響いていました。今回のツーリングは音に恵まれました。

この後、大月に抜けて国道20号(甲州街道)、新小金井街道、青梅街道経由で帰宅しました。

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