ダムや海、山、川、岬を巡るツーリングを通し関東を主に日本の風景を紹介します

カテゴリー: 栃木県

鬼怒川4ダムの活躍

可愛い娘への擬人化は時世柄か…

キヌダム4姉妹のイラスト
キヌダム4姉妹のイラスト

ツーリングでは鬼怒川4ダムのうち、五十里ダム湯西川ダム川治ダムを取材しました。川俣ダムは少し離れており前回の取材ではたどり着けませんでした。4ダムといっても一直線に並んでいるのではありません。五十里ダムの上流に湯西川ダム、川治ダムの上流に川俣ダムがあります。

建設順では五十里ダム(昭和31年ー1956年)、川俣ダム(昭和41年ー1966年)、川治ダム(昭和58年ー1983年)、湯西川ダム(平成24年ー2012年)となります。「姉妹」と擬人化されていますが、五十里ダムと川俣ダムが姉妹。川治ダムは五十里ダムからみると「親子」。更に五十里ダムと湯西川ダムは「祖母と孫」位の年齢差です。人間だとすればですが…。

更に無粋なことを言うならばドイツ語のダムDammは男性名詞だそうです。まあいいか。

平成27年関東・東北豪雨での減災

キヌダム4姉妹の活躍
キヌダム4姉妹の活躍

多くのダムと同様に、この4ダムの目的には洪水調整(F)が含まれます。更なる特徴はダムが建設された直後に豪雨が発生し、その時のダム運転がどれだけ減災に役立ったか定量的に計測、アピールされている点です。

具体的には湯西川ダムが2012年に竣工・運用された3年後、関東・東北豪雨が発生しました。鬼怒川流域の各所で観測史上最大の24時間雨量を記録するなど歴史的な豪雨でした。決壊した鬼怒川の堤防から流れ出た水で家の2階まで洪水が達し、屋根の上に避難した人々を救難ヘリで救助する映像が衝撃的だったあの洪水です。

大被害の発生を完全には防ぐことは出来ませんでしたが、ダムでの放流量調整で被害を減じることが出来ました。勿論、ダム建設の意義をアピールしたい国土交通省の思惑はあるとしても、ダム建設に意義があったことがよく分かります。

4ダムの防災操作

平成27年9月関東・東北豪雨の際のキヌダム4姉妹の時系列放流量(2023年4月)
平成27年9月関東・東北豪雨の際のキヌダム4姉妹の時系列放流量(2023年4月)

それぞれのダムの位置関係は前述の通り男鹿川上流から湯西川ダム→五十里ダム、鬼怒川上流から川俣ダム→川治ダムです。男鹿川はは川治温泉周辺で鬼怒川に合流します。

このため五十里ダム、川治ダムの放流量を以下に調整できるかが洪水時には重要です。川俣ダムー川治ダムを見ると9日に流入量の最初のピークがあり、両ダムとも洪水操作を行って流量カットしていることが分かります。(グラフの紫色が流量カット分)

川治ダムと湯西川ダム→五十里ダムでは10日早朝から午前中にかけて流入ピークがあり降雨が続いたことが分かります。川俣ダムは10日には流入ピークを過ぎていたために全量流量カットし川治ダムの水位上昇を抑えています。(川俣ダムのグラフの黄色部分)

4ダムによる懸命な洪水調整が行われましたが10日11:00頃に鬼怒川が決壊してしまいます。この時点で川治ダム、五十里ダムともに流入量ピークは過ぎていましたがこれまでの貯留でダム水位に余裕がある状況ではありませんでした。しかし、10日午後から11日にかけて下流の洪水被害を最小化するためにギリギリの運転を行って放流量をカットしています。川治ダム、五十里ダムは洪水時最高水位に対して2m以下という本当のぎりぎりまで容量を使っていることが分かります。

なお、湯西川ダムは10日11:00の鬼怒川決壊後も均一な放流を行っていますがこれは洪水吐にゲートがなく自然放流式であることが原因と思われます。もしかすると、ダムの設計者は「ゲートつけとけばよかった」と思ったかも。

このように4ダムの懸命な洪水調整で減災が図られました。とはいえ、この豪雨による被害は小さいものではなかったことを考えると李佩成 氏の詩の「人力天に勝つべし」は些か僭越に過ぎる感が否めません。やはり自然に対して人は謙虚であるべきだというのが管理人の意見です。

鬼怒川4ダムのうち3ダムツーリング(川治ダム編)

雪がちらつく湯西川ダムから五十里ダム方面に少し戻り、途中の葛老トンネルを抜けて川治ダムへ。実は管理人、下調べしておらずここまで大規模なダムとは思っておらず…

とても高度感のあるアーチ式コンクリートダム

高度感半端ない川治ダム(2023年4月)
高度感半端ない川治ダム(2023年4月)

川治ダムの駐車場にNC750Sを停めて、ダムを覗くと意外にも大規模なアーチ式コンクリートダムでした。堤体高140mとアーチ式コンクリートダムでは日本で4番目の高さを誇ります。高さだけで言えば矢木沢ダムの131mよりも高く、このブログで取り上げたアーチ式コンクリートダムでは一番の高さです。

目的はFNAWIです。このダムアーチの反りが大きく高度感が半端ないです。この反りは一見する価値があります。

ダム天端は県道23号

川治ダム天端の歩道(2023年4月)
川治ダム天端の歩道(2023年4月)

川治ダムの天端は栃木県道23号が走っており、比較的交通量もあります。下流側の歩道を歩くと、オーバーハングした堤体のおかげで高さを楽しめます。というか、この日は強風だったこともあり管理人高所恐怖症なのでとても怖かったです。歩道からも勇気を奮って写真を撮影したのですが、恐る恐る撮影したので高度感が伝わる良い写真は撮れず…。右岸へ。

右岸から見ても高度感が…

右岸から見ても高度感たっぷりの川治ダム(2023年4月)
右岸から見ても高度感たっぷりの川治ダム(2023年4月)

右岸から見るとダムのゲートがおよそ確認できます。6門のクレストゲート(非常用洪水吐)に2問のコンジットゲート(常用洪水吐)が見えます。クレストゲート上にはゲートの機械室がありますが、ここには天端を通る県道23号の歩道からアクセスするようになっています。(もちろん通常は立ち入り禁止)

上流側歩道は安心して歩ける

八汐湖を望む(2023年4月)
八汐湖を望む(2023年4月)

川治ダムのダム湖は八汐湖と命名されています。ダム周辺で咲き誇るヤシオツツジから採られたとか。植物の名前をダム湖名にした例は珍しいのではないかと思います。

おなじコンクリート式アーチダムで比較すると、川治ダムの堤高は矢木沢ダムよりも高いですがダム湖の容積は八木沢ダムの奥利根湖の3分の1程度です。

とはいえ、豊かな水量を生かして奥利根湖が東京に水を供給しているのに対して八汐湖は用水の半分近くを千葉県に供給しています。首都圏というのは本当に周辺地域の水源がなければ成り立たないことがわかります。

何故か漢文の記念碑

李佩成の記念詩(2023年4月)
李佩成の記念詩(2023年4月)

川治ダムの管理事務所前駐車場にある記念詩碑です。作者は李佩成 氏。wikiによると中国の水資源と環境に関する研究家だそうです

昔日の鬼怒川 今朝は公園と成り 高峡に平湖が出る 人力天に勝つべし

と読み下すのでしょう。これだけ率直に人間の技術の力を肯定する詩は珍しいように思います。大橋ダムの記念碑並みと管理人は感じました。

川治ダムの記事はこれでおしまい。

帰途につきますが、往路の燃費(26.5km/l)が悪かったので1タンクで帰宅できるか微妙な燃料の残り具合。日光道ー東北道を燃費走行に徹した結果、結局帰宅前の平均燃費は33.5km/l程度まで改善。余裕で帰り着きました。

途中の東北道追い越し車線で多重追突事故が発生していました。安全運転を改めて心がけた次第。次回は五十里ダム湯西川ダム、川治ダムが活躍した話題を取り上げる予定です。

鬼怒川4ダムのうち3ダムツーリング(五十里ダム編)

五十里ダム

五十里ダムを展望広場から望む(2023年4月)
五十里ダムを展望広場から望む(2023年4月)

五十里ダムは利根川水系男鹿川に建設され昭和31年の竣工当時堤体高日本最高の112mを誇る大ダムです。形式は重力式コンクリートダム目的はFNPの多目的ダムです。

ダム関連で「物部長穂」氏の名前はよく出てきますがこのダムも氏が発表した「河水統制計画」に当初から含まれていました。現在より下流に建設を予定しましたが、調査で多数の断層が発見され建設が断念されます。昭和16年には現在地での建設が検討されましたが、戦争で中断。同時期に計画され、五十里ダム竣工の翌年昭和32年に竣工した小河内ダムと経緯が似ています。

昭和31年には佐久間ダム 元(静岡)も竣工しており堤体高日本一の座は竣工すぐに譲ることになります。この時期は太平洋戦争で中断ー再開していた日本のダムインフラ開発の竣工が続きました。更にはこの年には黒部ダムが着工しており昭和31年は日本のダム史において重要な年です。

ダムの放流調整能力向上のため、いくつかの改良工事を経ています。大規模なのは旧クレストゲートの機能拡張と2つのコンジットゲートの新設です。上の写真で隠れていますが、天端直下のクレストゲート3門、旧コンジットゲートが元々の設備でしたが外見からも追加されたクレストゲート用の導水管が目立ちます。

旧コンジットゲートは流量調整ができないものであったために、ゲート奥にホロージェットバルブが追加(リンクは参照URL)されました。更に写真手前中段辺りに見える導水管と2門の新コンジットゲートを追加する大工事をダムを運用しながら行なって現在の姿になっています。

現在でも活躍しており、これについてはまたの機会に紹介します。

桜の前に水神碑、慰霊碑、竣工50年記念碑

五十里ダムの水神、慰霊碑、記念碑(2023年4月)
五十里ダムの水神、慰霊碑、竣工50年記念碑(2023年4月)

左から水神碑、慰霊碑、竣工50年記念碑です。水神碑はあるダムとないダムがありますが何かの基準があるのかはわかりません。

慰霊碑は新しいダムには少なくなりますが、建設中に殉職者を出したダムでは必ずあるものと思われます。特に昭和50年以前に竣工したダム(相模ダム小河内ダムなど)では建設中に多くの方が亡くなっているケースが多く五十里ダムもその一つです。

竣工が昭和31年(1956年)なので竣工50年は2006年。記事を書いているのが2023年で67年目、還暦を過ぎています。

なお奥に見えているゲートは新設された発電用の選択取水設備ではないかと思われます。五十里ダム、施設の追加工事が多くて他記事でも設備があったりなかったりです。

五十里ダム天端への入口

五十里ダムの天端入口(2023年4月)
五十里ダムの天端入口(2023年4月)

五十里ダムの標識と天端入口です。車両通行止めですが、徒歩での立ち入りは問題ありません。なお、手前+奥の山に雪が降っているのがわかると思います。4月中旬というのにこの日は寒かった。

五十里ダム天端から下流を望む

五十里ダム天端から下流を望む(2023年4月)
五十里ダム天端から下流を望む(2023年4月)

天端から下流を望むと副ダムが見えます。副ダム右側には遊歩道らしきものが見えています。一般立ち入り可能な場所ならダム堤体がよく見えそうですが、今回は残り時間のことも考えて後ろ髪を引かれながらも確認できず。

山に隠れて下流には川治温泉があります。奥に見えている山は高く見えますが標高約900mの(たぶん)無名峰です。標高の割に奥多摩や奥秩父より寒いです。

五十里ダム天端から五十里湖を望む

五十里ダム天端から五十里湖を望む(2023年4月)
五十里ダム天端から五十里湖を望む(2023年4月)

五十里ダムのダム湖は五十里湖と名付けられています。ダム湖面はかなり狭い印象で、この点は同じ利根川水系でも矢木沢ダムの奥利根湖奈良俣ダムの奈良俣湖の風景とやや異なります。実際、五十里ダムの貯水量はこの二つのダムと比較すると矢木沢ダムの4分の1強、奈良俣ダムの半分程度です。この弱点を補強するために、上流に建設されたのがこの後に訪問する湯西川ダムです。

ダム放流操作プレイができるダムコン模型

操作を体験出来るダムコン模型(2023年4月)
操作を体験出来るダムコン模型(2023年4月)

五十里ダムの管理事務所に併設された展示館にはダム放流操作を体感できるダムコン模型があります。放流操作を進めていくと実機と同じと思われる警告音が響きはじめ、ゲート開放操作をすると下のように放流映像が流れるというなかなか凝った仕様です。

ダムコン模型で放流操作をした時の映像(2023年4月)
ダムコン模型で放流操作をした時の映像(2023年4月)

雨量計の動作展示

五十里ダムの展示でもう一つ面白いのが雨量計です。本物の雨量計は計量マスが外枠の中に入っていて動きを見ることはできませんが、外枠を透明にして計量マスが左右に傾く様子を見える展示があります。

また小型のポンプを用いて水を循環させているのでスタートさせると計量マスが1mm毎の降水で傾く様子を連続的に確認できます。

この二つの展示はもしかするとダムの展示を担当した人が工作したのか?などと思ったり。

色々見所が多く全てを周り切れませんでしたが、次の湯西川ダムに向かいます。

鬼怒川4ダムのうち3ダムツーリング(小網ダム編)

鬼怒川流域の風景は最高

鬼怒川大滝の風景(2023年4月)
鬼怒川大滝の風景(2023年4月)

鬼怒川上流~中流付近の風景は奇岩や滝がたくさんあり風景を堪能することができます。この滝は国道121号にかかっている鬼怒岩橋から撮影したものです。一番奥に見えている雪をかぶっているのが芝草山、その右手前が狸原山か?この時点で寒かったのでさらに上るのかと思うとやや怯みました。

小網ダム

小網ダム堤体を左岸下流側から望む(2023年4月)
小網ダム堤体を左岸下流側から望む(2023年4月)

しばらく国道121号を進むと小型のダムが見えます。明らかに五十里ダムではありません。この時点ではダム名はわかりませんでしたが、調べてみると小網ダム。よく見ると仁淀川の筏津ダムによく似ています。

小網ダムはもともと五十里ダムから取水された水を使って発電する川治第一発電所とさらに下流の川治第二発電所間の流量調整を行っていたようですが、平成19年には小網ダムそのものにも発電設備が追加され小網発電所として運用されています。

寒さに怯んでいましたがダムが見えれば元気が出てきます。なおタイトルの「3ダム」には小網ダムは含まれません。ごめんね小網ダム。

国道121号から見る五十里ダム

国道からちらっと五十里ダム(2023年4月)
国道からちらっと五十里ダム(2023年4月)

国道121号を進んでいくとちらっと五十里ダムが右側に見えます。昭和31年に建設された当時は日本で最大の堤高112mを誇り、国道沿いで見落とす心配はありません。

ダムが見えても寒いことは寒い

国道121号の風景(2023年4月)
国道121号の風景(2023年4月)

上の写真を撮影した国道121号上でNC750Sを撮影。左側に雪が残っているのがわかると思います。今市市内の温度計が6℃を表していたのが1時間強前。日が昇ってきてやや暖かくなってきたとはいえ高度が上がっている分…トントンかな。まあまあ、寒いです。

が、勇躍、五十里ダムに向かいます。次回五十里ダム。

鬼怒川4ダムのうち3ダムツーリング(序章)

栃木県今市市の風景

男体山、女峰山とNC750S(2023年4月)
男体山、女峰山とNC750S(2023年4月)

東京から東北道、日光道を経由して栃木県の今市まで。この日の東北道は風が強く、120km/h制限に合わせて走行すると燃費が27km/lまで低下してしまいました。苦労しつつも今市まで到着して撮影した写真。

以前、いろは坂(明智平)にいった時以来の日光方面です。

左から男体山、奥に大真名子山、小真名子山、右に木に隠れて女峰山。東京に比べると…寒い。

大谷川と書いて「だいやがわ」

大谷川の表示(2023年4月)
大谷川の表示(2023年4月)

大谷川と書けばWBCで日本チームが優勝し、MVPに選ばれた余韻が残る今なら知らなければ「おおたにがわ」でしょう。が、「だいやがわ」。

大谷川の釣り人たち

男体山、女峰山と釣り人たち(2023年4月)
男体山、女峰山と釣り人たち(2023年4月)

その大谷川、覗いてみるとたくさんの釣り人で賑わっていました。友釣りではなさそうだったので、狙いはイワナとかヤマメでしょうか?管理人川釣りには詳しくありません。

ダムツーリングの癖に釣りは海釣り専門です。

次回は4ダムの長女五十里ダムにむかいます。

上空から撮影した日本各地のダムなど(3)

スバル車の故郷?スバル研究実験センター

ツインリンクもてぎ上空(2016年10月撮影)
スバル研究実験センター上空(2016年10月撮影)

関東平野を東に進み、渡瀬川を過ぎたあたりでサーキットと思しき施設が見えました。筑波サーキットはもっと南だし、ツインリンクもてぎにしてはコースが縦長すぎるように思います。

これが何の施設か調べるのは結構頑張りました。サーキットをキーワードにして探してみましたが見つからず、航路に沿ってGoogleマップを見ていくという原始的な方法でやっと分かりました。スバリスト乾杯!

中禅寺湖と男体山

中禅寺湖と男体山(2016年10月撮影)
中禅寺湖と男体山(2016年10月撮影)

関東平野の北東端を過ぎると中禅寺湖と男体山が見えてきます。華厳滝はギリギリ確認できないか…。中禅寺湖、男体山を明智平から楽しんだツーリング記事はこちらから。男体山の「薙」と呼ばれる雨などで削られた沢がよく見てとれます。

蛇尾川ダムと八汐ダム

蛇尾川ダムと八汐ダムを南上空から(2016年10月撮影)
蛇尾川ダムと八汐ダムを南上空から(2016年10月撮影)

写真中央を流れているのは蛇尾川。「へびおがわ」でもなく「じゃびがわ」でもなく「さびがわ」と読みます。知らなきゃ読めない難読地名の一つだと思います。

写真中央につくるまサーキット那須が見えています。ダムは写真の上の方。正面にあるのが蛇尾川ダム。その左側に八汐ダムがあります。隣接したダムといえば…揚水発電です。八汐ダムが上池、蛇尾川ダムを下池とする塩原発電所では最大900,000k Wを発生します。

蛇尾川ダムは堤高104[m]の重力式コンクリートダムで目的は発電(P)のみです。また八汐ダムはフィルダムですが全体がアスファルトフェイシングという珍しい形式です。山梨県の大門ダムではダム堤体ではなく、漏水防止にアスファルトフェイシングが湖岸の一部に使用されていますが、全体アスファルトフェイシングで堤高90.5[m]は世界一の規模です。

塩原発電所に関連して過去に東京電力による取水量などに関するダム運用に関して改竄報告があり水利権が停止され発電できなくなるという不祥事がありました。根本的な原因は八汐ダムの漏水で、対策が取られ利水権は再度認められました。現在は時々点検のための計画停止はあるようですが運転しているようです。

不祥事のせいと言うわけではないでしょうが、この2ダムは現在陸上からの見学ができません。

深山ダムと沼ッ原調整池

美山ダムと沼ッ原池(2016年10月撮影)
深山ダムと沼ッ原池(2016年10月撮影)

さらに東進、那須高原にさしかかると深山ダムと沼ッ原調整池が見えます。深山ダムもアスファルトフェイシングフィルダムで堤高は75.5mと八汐ダムよりやや低いもののこの形式のダムとしては大規模な一基です。揚水発電の下池として利用されますが、目的はかんがい(A)、上水道(W)そして発電(P)の多目的ダムです。

沼ッ原調整池は見て揚水発電の上池とわかる人工的な形状で、また下池である深山ダムとの標高差(有効落差478m)がこの角度からよく分かります。沼原ダムは全周アスファルトフェイシングフィルダムで堤頂長が1579mあり日本国内の全ダム中で3番目の長さです。目的は発電(P)です。

深山ダムー沼ッ原調整池間には沼原発電所が設置されており675,000kWの最大出力を有します。なお沼原発電所はJ-POWER(旧 電源開発)の運営です。

羽鳥ダム

羽鳥ダム(2016年10月撮影)
羽鳥ダム(2016年10月撮影)

航路をやや北向きに変えて福島県に入ると羽鳥ダムが見えてきます。ダム湖は羽鳥湖と名付けられており、写真の羽鳥湖の右斜め上にダム堤体があります。羽鳥ダムは堤高37.1mのアースダムです。アースダムとして日本で2位の湛水面積と湛水量を誇ります。

農林水産省直轄ダムで目的はかんがい(A)の専用ダムです。かんがい用水として重要な役割を果たすと同時に観光資源としても開発が進んでキャンプ場、スキー場、ゴルフ場などが周辺に建設されています。

残念ながらこの後は東北地方、雲が多く撮影が出来なくなってしまいました。

まもなく仙台空港着陸

DHC8-Q800のランディングギアと仙台平野(2016年10月)
ランディングギアと仙台平野(2016年10月)

この撮影を行ったのが2016年。2011年に東北地方太平洋沖地震が発生した際にはこの写真に写っている場所は津波で冠水し仙台空港も大被害をこうむりました。

この時点では海岸側の防潮堤やその内側の防風林などが整備されているようでした。これが約7年前。今はさらに復興も進んでいることと思われます。

これで、上空から撮影したこのシリーズ終了。またねー。

いろは坂ツーリング(2)

晩秋のいろは坂。登っていって明智平のロープウェイ、展望台の風景など。

明智平のロープウェイ

NC750Sと明智平のロープウェイ(2022年11月)
NC750Sと明智平のロープウェイ(2022年11月)

NC750Sとロープウェイ、奥に女峰山。この日はツーリングのバイクも多く、それも旧車が多かったです。なお明智平の駐車場は有料ですが、駐輪場は無料です。嬉しい。

展望台正面には中禅寺湖と華厳の滝

中禅寺湖、華厳の滝(2022年10月
中禅寺湖、華厳の滝(2022年11月)

絶景です。右側が男体山。中禅寺湖は男体山が噴火した時の溶岩が川をせき止めてできた堰止湖です。中禅寺湖と華厳の滝の間には中禅寺ダムがあり華厳の滝の流量を調整しています。中禅寺ダムはFNPの多目的ダムです。(但しダムとして扱われていますが堤高は6.4mしかなく厳密には堰)

男体山と中禅寺湖

男体山、中禅寺湖、華厳の滝(2022年11月)
男体山、中禅寺湖、華厳の滝(2022年11月)

男体山が噴火した時の溶岩が…というのが想像できる風景です。男体山のマグマは流動性が低く、噴出した溶岩はあまり流れず高い崖を形成しながら冷えていったために屏風岩などの特徴的な地形が残りました。

国際色豊かな若者たち

国際色豊かな若者たち(2022年11月)
国際色豊かな若者たち(2022年11月)

多国籍の若者たち。どこかの大学の研究室とか…と思ったらWEBで偶然集まって日本を旅行することになったそうで…。でも楽しそうだったので記念に撮影させてもらいました。

ロープウェイの下りの動画

下りのロープウェイです。見た目より高度感あります。

明智平から筑波山を望む

明智平から筑波山を望む(2022年10月)
明智平から筑波山を望む(2022年10月)

関東平野の北端から山に登った明智平からは関東平野の真ん中にある筑波山が見えます。

方等上流砂防堰堤

男体山、方等上流砂防堰堤、方等滝、NC750S(2022年11月)
男体山、方等上流砂防堰堤、方等滝、NC750S(2022年11月)

雲隠れの男体山、方等上流砂防堰堤、NC750Sです。上の写真で滝のように見えているのは砂防堰堤でその下が方等滝(下の写真で分かりやすい)です。今回のツーリングではダムに恵まれませんでしたが意外な場所で出会いました。

方等上流砂防堰堤と方等滝(2022年11月)
方等上流砂防堰堤と方等滝(2022年11月)

男体山の屏風岩

屏風岩、NC750(2022年11月)
屏風岩、NC750(2022年11月)

屏風岩と呼ばれる地形は全国各地に多くありますが、写真は男体山の屏風岩。男体山が噴火して流出した溶岩の内南側に流れた(全体の内のごく一部)が川をせき止めて中禅寺湖を作り、東南東側に流れた大部分が屏風岩を形成したのではないかというのが高度地図を見た管理人の推測です。

帰りは東北道を素直に都心まで走って環七に合流。渋滞もなく順調に帰宅しました。地理的にとても興味深い風景が楽しめたツーリングでした。

いろは坂ツーリング(1)

(この記事は2022年11月にツーリングした際の記事です)

ある晴れた11月末、これまでに行ったことの無い五十里ダムを目指してツーリングに出発。都心から東北道を北上します。秋の東北道は所々で紅葉が楽しめました。

途中から日光宇都宮道路を日光方面に向かい今市で降りて、五十里ダム方面へ…と思っていましたが途中で「中禅寺湖」の表示を見て目的地を中禅寺湖に変更しました。

黒髪平からの風景

黒髪平から見る女峰山・大真名子山(2022年11月)
黒髪平から見る女峰山・大真名子山(2022年11月)
黒髪平から見る女峰山とNC750S(2022年11月)
黒髪平から見る女峰山とNC750S(2022年11月)

いろは坂途中明智平手前からの風景

男体山、大真名子山、女峰山(2022年11月)
男体山、大真名子山、女峰山(2022年11月)

左側の雲に隠れているのが男体山。奥のとんがっているのが大真名子山、その右奥が女峰山ー赤薙山の稜線。

明智平の風景

明智平のロープウェイ遺構(2022年11月)
明智平のロープウェイ遺構(2022年11月)

昔はいろは坂の下の方から明智平に登るロープウェイがあったそうな。

明智平のロープウェイ出発所(2022年11月)
明智平のロープウェイ出発所(2022年11月)

ロープウェイの出発所。片道600円、往復1000円。片道が設定されているのは上から徒歩でトレッキングを楽しんでいろは坂に出るルートがあって割と楽しめるらしいです。管理人はNC750Sが待っているので勿論往復で戻ってきますが…。

次回はロープウェイで登った風景。