ダムや海、山、川、岬を巡るツーリングを通し関東を主に日本の風景を紹介します

カテゴリー: 大橋ダム

大山祇神社を目指して しまなみ海道→瀬戸大橋で瀬戸内海往復ツーリング

国道194号線を北上してしまなみ海道へ

途中の大橋ダムに立ち寄り記念撮影だけ。直後の高知ー愛媛県境の寒風山トンネルは歩行者・自転車が通行可能な日本一長いトンネルです。そして内部がその名の通り寒い。

四国ツーリングは海沿いを行く限り、この時期(ゴールデンウィーク)比較的暖かいですが、山間部は肌寒い場所も多く、特に寒風山トンネル内は寒いです。是非、一度通過して寒さを実感してください。(真夏は涼しい)

しまなみ海道を通過して大山祇神社到着

大山祇神社の鳥居の扁額は「大山積大明神」となっているのは以前のツーリング(しまなみ海道途中の風景などもこちらから)で紹介しました。本殿にお参りして、本殿の裏側を散策した後、今回の目的の宝物殿に向かいます。

船舶の巨大なプロペラが良く目立つ

料金を支払い国宝館に向かうと目立つのが巨大な船舶用プロペラ、勿論寄付者は今治造船。ただしこちらは併設の海事博物館。「海事」の名の通り海にあるものは魚類、貝類、海生哺乳類などの動物、海藻、海底から掘削された鉱物などなんでもあります。(こちらは国宝館の後に見学しました。)

国宝館、紫陽殿ともに撮影禁止なので

スケッチしてみました。大山祇神社の国宝館は多くの胴丸(鎧)を収蔵、その中でも瀬戸内のジャンヌダルクと呼ばれ有名な鶴姫が着用し大山祇神社に奉納したとされる「紺絲裾素懸威胴丸」(1500年頃)です。

現代の感覚(私が代表させてもらいます)で素直にみると「女性が付けていた」と想像するのが自然だと思います。右側のスケッチはその感じを伝えようとして周りの胴丸との対比を書こうとしたのですが…技量不足で止めてしまったもの。

無粋なことを言えば鶴姫の実在性に疑問がある上に、1500年頃の胴丸としては胸部が大きくウエストがくびれて大腿部・臀部にかけて大きくなる形式は特別「女性用」というわけではなかったとか…。

この胴丸は大袖がないので余計に周りの甲冑との差が引き立ちます。

こちらは平安時代の鎧

スケッチの出来栄えは生優しく見守ってください。こちらは時代をさらに遡り1190年頃作成の「紺絲威鎧・兜・大袖付」。全体的に非常に「凝った」作りになっていることが素人の管理人でもわかりました。

社伝では源頼朝の武将河野通信(かわの みちのぶ)が奉納したとされており、瀬戸内で展開された源平合戦で源氏についた河野に頼朝が下賜ものでは…との想像も…。(こちらのほうは可能性としてはある…か?)

この鎧、非常に立派でかつ大振りです。実際に着用して戦場を駆け回る…というよりも河野の権威を表すために使われたのでは?というのが管理人の感想です。

なお、大山祇神社の国宝館には多数の文化財が所蔵されていますが、平安時代から戦国時代までの胴丸・鎧類の収蔵数は日本で随一です。アクセスが難しい場所ですが目的地として訪問する価値があります。(管理人の感想です)

他にもたくさんの文化財があったのですが、とても一日の訪問で鑑賞できる量ではありません。後ろ髪ひかれつつ、海事博物館を軽く見学して帰途につきます。

帰途も今回のツーリングのテーマ

今回の目的地は大山祇神社の国宝館でした。もう一つ目標があって、しまなみ海道を四国から本州に渡って瀬戸大橋で四国に帰ってくるルートを走るでした。

しまなみ海道を渡り切って山陽道を走り瀬戸大橋方面に。瀬戸大橋の与島SAで降りて橋と讃岐富士を撮影。瀬戸大橋は本四三架橋では最も古いのですが、様々な形式の橋梁コンプレックスが見られるのが特徴です。(与島PAまでの動画)

目標を達成して走行距離約400km。NC750Sにちょうどいい距離のルートでした。いやー、また鑑賞にいきたい。

次回はダム。

国道439号+早明浦ダム+大橋ダムツーリング 大橋堰堤のランプ特集

大橋堰堤のランプがおしゃれ

大橋堰堤のランプと機械室(2021年5月)
大橋堰堤のランプと機械室(2021年5月)

大橋堰堤の天端は自動車が通れる道路になっていますがその照明がこのランプ。ダム建設当初からあるものではないでしょうが、オシャレです。多分昔からオシャレなランプがあったのが引き継がれてきたものと思われます。奥はクレストゲートの機械室。ワイヤーやプーリーが見えています。

大橋堰堤のランプと天端(2021年5月)
大橋堰堤のランプと天端(2021年5月)

上の写真は右岸側から撮影したものですが、この写真は左岸側から。大橋堰堤は堤長が短いのであちこち歩いて撮影するのが楽です。大渡ダムとか小河内ダムは堤長が長いのでダム天端を往復するだけでも結構な運動になります。

本川大橋方面を望む

大橋堰堤のランプと本川大橋(2021年5月)
大橋堰堤のランプと本川大橋(2021年5月)

奥に赤く見えているのが本川大橋です。この写真の左側に本川発電所とエネルギープラザ本川がありますがこの角度では見えません。本川発電所は四国で最も発電出力の大きい水力発電所(揚水)です。大橋ダムは揚水発電の下池として利用されており上池は稲村ダム。このダムは未取材なので今後の宿題です。

次回は分水第四発電所へ。

国道439号+早明浦ダム+大橋ダムツーリング 大橋ダムへ

さめうら湖を後にして

さめうら湖(2021年5月)
さめうら湖(2021年5月)

写真はさめうら湖です。早明浦ダムの堤体を渡って写真撮影を…と思いましたが工事中のため天端は通行禁止になっていました。さらなる撮影は諦めてさめうら湖を後にして大橋ダムに向かいます。県道17号線をさめうら湖に沿って上流に向かいますが…途中で通行止めになっていました。がけ崩れが発生したようです。う回路は県道265号線。県道17号がさめうら湖の北側、265号が南側を通っていますが、17号は幹線なので道路状況が良いですが265号は舗装はされているもののかなり狭いです。

大橋ダムは県道17号からよく見える

大橋ダムとNC750S(2021年5月)
大橋ダムとNC750S(2021年5月)

う回路の県道265号から県道17号に戻ってしばらく走ると大橋ダムが見えてきます。ここはダム堤体がコンディションの良い公道からよく見える特徴的な場所です。NC750Sを停めて記念撮影。なお、早明浦ダム側(吉野川下流側)からアプローチするとこの場所の手前に大橋ダムへの入り口があります。この入り口から大橋ダム天端への道は路面は良いのですが急斜面急カーブの道です。

大橋ダムの天端

特徴的な大橋堰堤(2021年5月)
特徴的な大橋堰堤(2021年5月)

大橋ダムは吉野川の上流部にあり、天端入り口左側に掲示されているように「皇紀二千六百年十月」(1940年)で戦前に竣功した大規模なダムの一つです。また当初の名称は「大橋堰堤」でダムという言葉が使われていません。更に特徴的なのはダム天端の欄干にあるライトがおしゃれ。小さく見えていますが、アップの写真は次回に。

次回は大橋堰堤の周りの写真を掲載。

2つの堰堤を巡るツーリング(3)-大橋ダムの記念碑など

大橋ダムはライトがおしゃれ

大橋ダム左岸から天端を見る(2020年12月)
大橋ダム左岸から天端を見る(2020年12月)

大橋ダムの天端を左岸から撮影した写真です。少し小さくて見にくいですが、天端の欄干の途中にあるライトが何ともおしゃれなのが特徴的です。ライトの向こうに見えるのがダムの管理事務所。ダム堤体近くにはいわゆる「駐車場/駐輪場」はありませんが駐車/駐輪するスペースは十分あります。

高らかに技術的進歩を誇る石碑

大橋堰堤記念碑(2020年12月)
大橋堰堤記念碑(2020年12月)

昭和16年4月に建てられた大橋堰堤記念碑です。建設計画の経緯や技術的課題とその解決、完成したダムの諸元などが刻まれています。今どきのダムなら移転に協力した人々への感謝とかが強調されますが「(堰堤で分水し発電することの技術的解決は)実に我国における画期的設計にして今後永く此種流域変更計画の基準となるべきことと信ず」とあって技術的な画期性が高らかに謳われています。(もちろん大橋貯水池の水面下に沈んだ集落はありました。それはまた別の回で。)

よく見ると相模ダムに似ている

大橋ダムの堤体を上流左岸から望む(2020年12月)
大橋ダムの堤体を上流左岸から望む(2020年12月)

大橋ダムの堤体を上流側から見た写真です。重力式コンクリートダムの上部にゲートを上下する機械塔とゲートを設けて洪水吐とし、その天端に通路を通しています。ほぼ同時代に建設された相模ダムと構造がよく似ています。ダムの規模は大橋ダムの方が堤高が高いのですが、大橋貯水池の貯水量は貯水面積に応じて相模湖の3分の1程度です。

次回は大橋ダムを出発します。

2つの堰堤を巡るツーリング(2)-大橋ダム

機械室の中の機械がみえる

大橋ダムの機械室(2020年12月)
大橋ダムの機械室(2020年12月)

大橋ダムの右岸側から天端を歩いていくとまず機械室があります。機械室の中のモーターやワイヤーの巻き上げ機が見えるのが珍しい。機械室の上に立っているのは小型の基地局アンテナか?不明です。

テラスが格好良い

大橋ダムの目視点検用テラス?(2020年12月)
大橋ダムの目視点検用テラス?(2020年12月)

大橋ダムの中央付近にはテラスがあります。270°位の視界は絶景かもしれませんが見るからに手すりが低いうえに古い…こわごわ行ってみようかと思いましたが「立ち入り禁止」。良かった。高いところ苦手です。

合流点にダムがある

大橋ダム天端から下流を望む(2020年12月)
大橋ダム天端から下流を望む(2020年12月)

大橋ダムは吉野川本流と支流葛原川の合流直前の本流側にあります。ダム天端から下流側を見ると左手が葛原川の上流、右手が吉野川下流という比較的珍しい風景が望めます。

明日も大橋ダム周りの風景を紹介します。

2つの堰堤を巡るツーリング(1)-大橋堰堤

突然現れるダム堤体はかなり感動的

大橋ダム堤体(2020年12月)
大橋ダム堤体(2020年12月)

大橋ダムは国道194号から比較的近くにあります。高知市側から本川トンネルの手前から東の向きに入るとダム湖側から、トンネルを抜けてから東向きに入ると下流側からのアプローチになります。今回は下流側からのアプローチを選択。しばらく走っているといきなりダムの堤体が現れてちょっと感動的。下流側からのアプローチがお勧めです。

「堰堤」ってダムのことです

大橋堰堤の表示(2020年12月)
大橋堰堤の表示(2020年12月)

現在では大橋ダムですが建設当初は「大橋堰堤」と呼んでいたようです。随分古めかしい呼び方ですがそれもそのはず建設開始は昭和12年で昭和14年竣工。堰堤の呼び名は当時「ダム」と呼ぶのが一般的ではなかったか、あるいは敵性語なので「ダム」の言葉を避けたのかは不明です。

ただ戦後の昭和27年に建てられた「石小屋堰堤」の碑もあるように当時は「ダム」より「堰堤」の方が一般的な呼称だったのだろうと推察しています。

ダム湖ではなく「貯水池」

大橋貯水池を堰堤天端から望む(2020年12月)
大橋貯水池を堰堤天端から望む(2020年12月)

大橋ダムでできたダム湖は「~湖」と呼ばれることが多いですが、大橋ダムの場合「大橋貯水池」。近所にある長沢ダムも「長沢貯水池」。でも流域下流の早明浦ダムは「さめうら湖」。建設年次が古い場合「貯水池」になっているのかもしれません。

次回は大橋ダムの風景を掲載します。