ダムや海、山、川、岬を巡るツーリングを通し関東を主に日本の風景を紹介します

カテゴリー: 四万十川

中筋川ダムツーリング(後編)

名所旧跡は何もないけれど懐かしいここそこ

さんかく公園と津波避難タワー(2024年4月)
さんかく公園と津波避難タワー(2024年4月)

幼少時、よく遊んでいた公園には津波避難タワーが建てられていました。関東地方ではほとんど見ることはありませんが、南海トラフ地震の津波の脅威が想定される高知県ではあちこちに建設されています。

住んでいた場所は解体され駐車場に

管理人が幼少時住んでいた場所(2024年4月)
管理人が幼少時住んでいた場所(2024年4月)

小さいころ住んでいた場所は解体され駐車場代わりに使用されています。この広さに4軒の家族が住んでいました。狭いです。ただ小さかった管理人はさほど狭いとは感じていませんでしたが…。

管理人の兄が小さいころ釣りしてた場所

管理人の兄が小さいころ釣りをしていた場所(2024年4月)
管理人の兄が小さいころ釣りをしていた場所(2024年4月)

この写真、FBにも掲載しましたが、管理人の兄が小さいころ釣りをしていたポイントだそうで…。家族の証言によると漁師になりたかったとか…本当か?

管理人が通っていた保育園

管理人が通っていた保育園(2024年4月)
管理人が通っていた保育園(2024年4月)

管理人がかほっていた保育園は「シルバー人材活用センター」になってました。高齢化を実感。見えているプールは塗装こそ新しくなっているものの管理人が通っているころからこの場所にあり、入った記憶もあります。

四万十川を眺めて帰る

四万十川を眺める(2024年4月)
四万十川を眺める(2024年4月)

この日唯一の名所旧跡?大文字山

管理人の出生地中村市(現四万十市)は土佐の小京都と呼ばれます。その由来は応仁の乱の混乱を避けるために時の摂政関白太政大臣 一条 教房 公が中村に下向しそのまま在住。その過程で京の文化を持ち込んだのが現在まで続いているという由緒正しいもの。むしろ昔は大文字もどきがなんで中村にあるのかなーと失礼なことを考えていた管理人。無知とは恐ろしくも無礼なものです、反省。

いろいろ懐かしかったツーリング。ブログ的には名所旧跡を紹介する方が喜ばれるのでしょうが、管理人の備忘録もかねて紹介しました。

中筋川ダムツーリング(前編)

高知県道21号線(土佐清水宿毛線)

大半夏?の若芽と仏炎苞(2024年5月)
大半夏?の若芽と仏炎苞(2024年5月)

アクセスが大変とされる高知県西部ですが、管理人にとっては出生地・幼少期過ごした場所でもあり、母の出身地でもあるのでなじみ深い場所です。その当時はダムに目覚めていなかったので、今回「中筋川ダム」にダムツーリング。

ただし今回別に予定があった上にタイトルの「高知県道21号線」がなかなか魅力的で駆け足の取材でした。上の写真は県道の大半夏カラスビシャク?です。関東地方にも分布しているらしいのですが奥多摩では見たことが…ありません。

トンネルを抜けるとダムだった

高知県道21号線から見る中筋川ダム(2024年5月)
高知県道21号線から見る中筋川ダム(2024年5月)

高知県道21号線の土佐清水側(下ノ加江)からアプローチすると林道っぽい道が続きます。国道56号線の合流近くに中筋川ダムはあります。単にダムにアプローチするだけなら国道からのアプローチの方が圧倒的に早いです。

なお国道56号線の南(地名 平田)にダムがあり、北は芳奈(よしな)という場所。ここが母、祖母一族の出身地。

NC750Sと中筋川ダム(2024年5月)
NC750Sと中筋川ダム(2024年5月)

中筋川ダム諸元

中筋川ダムを展望所から望む(2024年5月)
中筋川ダムを展望所から望む(2024年5月)

詳しくはこちらで。中筋川は渡川水系に属していて有名な四万十川の主な支流の一つ。下流の中村で合流します。

中筋川ダムは降水量の多い高知県西部地方で洪水を防ぐことを主目的としてFNAWIの多目的ダムです。形式は重力式コンクリートダムで堤高73.1mの下流側堤体に設置された段状の構造が特徴的です。

この構造は深城ダムの減勢工下流にも似ていて、デザイン的には美しく越流時には減勢工の役目も果たすようですが「ゴミが溜まりやすい」という弱点もあるとか。

中筋川ダム堤体正面

NC750Sと放流中の中筋川ダム(2024年5月)
NC750Sと放流中の中筋川ダム(2024年5月)

中筋川ダムの堤体正面はダムサイトから県道21号線を国道56号線方向に少し北上した場所にある管理用道路からアクセスできます。特に施設はありませんが、堤体正面直下からダムを愛でることが出来ます。

2門の常用吐きゲートと自然越流式のゲートが良く見えます。確かに自然越流している様子は見ものと思われます。(が、そんな洪水時は立入禁止でしょう。)

まだまだ見どころがありますが予定の時間をオーバーし、後ろ髪をひかれながら次の目的地、土佐清水に向かいます。

四国最南端を目指すツーリング(1)-四万十川の風景

入野海水浴場から足摺岬を望む

入野の浜から足摺岬を望む(2020年12月)
入野の浜から足摺岬を望む(2020年12月)

四国最南端足摺岬へのツーリングに行ってきました。高知から足摺岬のある土佐清水市まではE55→国道55号→国道321号を経由して約130km、土佐清水市の市街地から足摺岬までいくつかのルートがありますが約20km。距離的にはまずまずですが、渋滞がないので全線非常に快適に走ることが出来ます。但しE55区間は山間部を通りトンネルも多く眺望は今一つ。E55の終点四万十中央ICから国道55号になってしばらく走行、土佐黒潮鉄道の土佐佐賀駅を超えたあたりで海岸線に出ます。この海岸線にあるのが入野の浜。

ここから南西向きを望むと目的地の足摺岬が見えます。

四万十市内の四万十川

市内域の四万十川(2020年12月)
市内域の四万十川(2020年12月)

清流四万十川の中流域のイメージが強いですが下流域は大きい川の様相を呈してきます。四万十川の河口域は現在四万十市になっていますが、中村市でした。この中村市は管理人出生の地でもあります…これは余談。

更に余談ですが、四万十市になったのは2005年のことで県内でもこの地名が定着しているとは言えません。道路標識でも「四万十市 旧中村市」の表記がされています。全国的にメジャーになった名前にあやかって市名を変更したものの…いずれは定着するのでしょう。

逆に今は四万十川が有名になっていますが本来この川は「渡川」と呼ばれていました。名前が四万十川に変わっていった経緯はあまり明らかではないようです。

四万十川は日本有数の漁獲量を誇った

四万十川と後川の合流点(2020年12月)
四万十川と後川の合流点(2020年12月)

四万十川は下流域で後川、中筋川と合流します。この場所は昔から船溜まりとして使われてきた場所で今も現役のようです。漁獲物はアユが有名ですがコイ、ウナギ、手長エビなども漁獲され青のり(スジアオノリ)も名物の一つです。が…全国の川漁師と同じく高齢化や資源の減少などで水揚げ高は減少の一途を辿っているとのことです。

なおこの辺りでは川の堤防の天端が道路として使用されており、景観に優れツーリングにお勧めのルートです。

明日は足摺の手前の臼碆を紹介します。読めますか?読みも明日。